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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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迷い Ⅰ

 エスピラは顔を上げ、そして少々思案した。


 クイリッタを呼ぶか、どうするか。


 エスピラだけの判断ならば、呼ぶ必要は無い。ティツィアーノとクイリッタの相性は悪いのだ。関係性も良くなることはほぼ望めない。

 でも、マシディリはエスピラの注意を受けてもなお東方遠征でティツィアーノとクイリッタを組ませた。サジェッツァも組ませるだろう。


 今は、後方支援中心のクイリッタと前線構築のティツィアーノで役割が違うのだ。

 少しでも機会があれば、相性を見ておくべきか。それを踏まえた忠告も残す必要はあるだろう。否。本当に、あるのか。マシディリも分かっているはずであり。


「お忙しいのなら、後にいたしましょうか?」


 ティツィアーノが僅かに頭を下げる。

 いや、とエスピラは右手で提案を弾いた。


「レピナがメルアの字を真似してきてね。どう叱ろうかと悩んでいただけだよ。尤も、レピナ本来の字もメルアの字に似ているのだけどね」


 手本にしているのがメルアの文字であった以上、仕方の無い話だ。

 他人の筆跡を真似するのが得意なのも、メルアが手ほどきをしたからだろう。


「フィロラード様が席を外している理由も、レピナ様からの手紙でしょうか」

「流石だね」


 ティツィアーノが目を閉じ、返事とする。

 「ウェラテヌスとアルグレヒト、そしてニベヌレスも含めて関係は安泰ですね」


 フィロラードの母はニベヌレスの娘だ。無論、シニストラの正妻である。婚姻を取り持ったのはエスピラ。レピナとフィロラードの婚姻提案はシニストラからだ。


「最初はどうなるかと不安だったけどね。メルアもアルグレヒトに対して努力してくれたし、何よりもフィロラードが寛容に受け入れてくれたのが大きいよ」


「エスピラ様がフィロラード様を随分と信用していると噂にもなっております」

「レピナが惚れた男だからね」


 事実、優秀だ。

 少々油断癖はあるものの、武芸も達者で芸術にも明るい。多少の不得手は勤勉さで補うことができ、人間関係に於いてもレピナに鍛えられたからか忍耐強く変に事を荒立てることも無いのだ。


「エスピラ様がフィロラードに対しても環境を整えてくださったからにございます」


 シニストラが頭を下げる。

 エスピラは鷹揚に手を振り、フィロラードの才への期待とシニストラの働きへの恩賞に過ぎないよ、と答えた。


 目を、再びティツィアーノへ。


「報告には目を通したよ。完璧な戦果だね」


 ティツィアーノの表情は一切動かない。

 返事をする際にやや引かれた顎もそのままだ。


「エスピラ様が敵の目を引き付け、精神を削ったからこその成果です」


「それなら私じゃない。結果的に本命作戦前の陽動として『白い布に青い光』が相手の意識に定着していたからだよ。マルテレスが信頼できる兵を前に出さざるを得なかったのも、アグニッシモの働きと派手さ。そしてジャンパオロの実績さ。

 何よりの手柄は、これら三つの内二つを敵に印象付けて来たマシディリだと思っているが、異論はないかい?」


「ございません。事実、マシディリ様だからこそマルテレス相手に快勝を収め、野戦を望む敵の心に一部の歪みを生じさせているのだと考えております。不敬ながら、実際の戦場の指揮は師匠では無くマシディリ様が執るべきであるとも、考えております」


「私もそう思うよ」

 破顔し、同意する。


 六万と言う大軍勢を率いてマルテレスとオプティマ率いる五万と言う大軍勢と当たるのなら、勝てる将はこの場にはマシディリしかいない。


「では、仮に。君がマシディリと戦うことになったらどう戦う? ティツィアーノ」


 ただの雑談だ。


 そう捉えられない言葉であるからこそ、エスピラは破顔のまま自然に見えるように聞いた。シニストラは不動。もしもフィロラードがいたら、流石に若い彼は反応してしまっただろうか。


「アレッシアと元老院を掌中に収め続け、外からマシディリ様が来る状態を維持します。少なくとも、どちらかは手放してはいけなかったかと」


「手放すとしたら?」

「半島。地の利の問題です。半島の地の利と支持はウェラテヌスにこそあれば、半島を放棄いたします」


「マルテレス側に、元老院を新たに組織する力はあると思うかい?」

「不可能でしょう」


「では、両方手放した時、君ならばどうする?」


「現地で徴兵し、軍団の調練を行います。戦後統治の予定と物資提供におけるその後の優遇策を提示し、物資も確保しなければなりません。同時に軍団だけではなく小規模襲撃部隊も準備し、港、主に船を襲い、破壊いたします。


 アレッシアの国力を思えば回復もされるでしょうが、一時的に物資供給に翳りが見えてきます。襲撃を頻繁にすれば、兵力も減るでしょう。


 互角になれば、まだ勝ち目がある。

 あとは、アグニッシモ様と本隊を引き離したいですね」


「どうやって?」


「フラシとエリポスに反旗を翻してもらうしかないでしょう。ですが、エリポス自体はイエネーオスが破棄しました。フラシで問題が起きようとも、ジャンパオロ様、ルカッチャーノ様がいて、何よりも制海権を握った今ならばグライオ様を差し向けられます。


 調練するための時間的空間的暇も有りません。

 春先の大攻勢で勝利をモノにできる確率は非常に高いと進言いたします」


 エスピラは、右の人差し指側面で下唇をなぞった。親指は頬に。肘は机について。


 ゆるゆるとその手を外す。


「馬の足跡が増えていたのだったね。戦果以外の情報こそ、ティツィアーノを選んで良かったと思える大収穫だよ」


 ティツィアーノの顎が緩くなった。首の見える範囲が広がる。


「ありがとうございます」

「脱走兵も、増えている」

「はい」


「比して騎兵の量は増えた」

「あくまでも戦闘による決着を期しているモノと思われます」

「だがそれが命取りだよ」


 エスピラは机の上で両手を軽く広げた。懐がしっかりとティツィアーノに見える形である。


「馬は人以上に物資を必要とする。春を迎えられたとして、マルテレスの軍団は飢餓に陥った病人だ。兵力を失わずに持ち帰れる可能性もある。

 今後の、政治的な状況を考えてもね。力を失ったマルテレスは私にとっても、きっとサジェッツァにとっても都合が良い。そうは思わないかい?」


 再びティツィアーノの顎が引かれた。


「それは、マシディリ様からの提案でしょうか」

「いや」

 ティツィアーノが小さく頷く。


「師匠の今までの戦略は恫喝や脅迫に近いやり方です。それで以て、敵兵の戦意をくじき、敵の団結をほどき、弱体化させてきました。

 その攻撃晒された敵が、今更降伏するでしょうか。

 私は、しないと思います。マルテレスだからこそ、最後まで戦おうとする。

 エスピラ様の言う「政治的判断」とは、親友を殺したくないがための言い訳にしか聞こえませんでした」


「手厳しいねえ」

「攻勢あるのみです」


 言葉は、強く。

 やがて、ゆっくりと顎が戻り、全身の力も抜けていった。


「ですが、私は師匠やマシディリ様とは違い、最初から半島外での決戦を主張してきました。根柢の考え方に違いはあるでしょう。そのことを考慮し、師匠には判断していただきたいと考えております」


 エスピラは唇を巻き込み、鼻から長く息を吐きだした。


 勝利の確度が高いのはどちらか。

 それは、ティツィアーノの案である。それは、エスピラも理解しているのだ。


「ユリアンナの出産予定が春なのは、聞いているかい?」

「いえ」


 即答。


「間に合うのは、攻勢の場合だとも、重ねさせていただきます」


 ふうむ、とエスピラは、再び口を閉じた。

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