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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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太陽 Ⅱ

「どうせなら、風呂の後にディミテラとサテレスに手紙でも書くかい?」とマシディリは言おうとしたが、それより先にクイリッタの表情が元に戻った。


「障害を踏み潰せるようになりましたからね。尤も、父上の後に兄上が君臨されるなら今後も、ですが」


 マシディリも、顔と心から冗談を追い出した。

 口を閉じ、しっかりとクイリッタを見据える。クイリッタも押し返すような視線を向けて来た。


 冷たい空気の中で、視線が押し合う。


 先に口は開かない。

 マシディリは、そう固く誓い、はっきりとクイリッタに視線を向け続けた。


 クイリッタの視線は、探るような色が濃くなっていく。


「父上が君臨され続けても、問題はありませんよ」


 抑揚はあるが、かなり平坦な声。


 最善に変わりは無いが、次善としてマシディリがエスピラの全てを継げるようにすべきだと言っている。

 少なくとも、マシディリはそう受け取った。


「父上と、何を話した?」


 この声は、長弟にのみ良く向ける声か。

 頭の片隅で冷静に自身を見つめながら、マシディリはクイリッタの観察も続ける。


「兄上ほどは話しておりません。兄上ほど多くの仕事も任せられてもおりません。尤も、父上の傍でマルテレスを睨み続けているアグニッシモほど単純な仕事でもありませんが。

 まあ、父上も兄上に仕事を偏らせ過ぎているので割り振ると言ってはいたのですが、結局自分の目の届かない後方を兄上に完全に任せながらも取次ぎをやらせているのですから。思っていることと事実が反するなんて言うこともあり得るとは思います」


「レグラーレ」

 声を張る。

 音もなく、天幕が開いた。


 信頼できる幼馴染は、外の冷たさとは違う硬度を持つ空気にも目を一度動かしただけで順応したようである。


「クイリッタと風呂に入るから、準備を」

「かしこまりました」

 天幕の入り口の布が落ちる音だけを残し、レグラーレが消える。


「マルテレス様の軍団は多くの亀裂が入っている。瓦解の足音は聞こえているはずだよ。こちらは戦う必要は無い。そうは思わないかい、クイリッタ」


「八割方、勝利は決まったと私も思っております」

「神託も変わる。戦わないのなら、父上に凶刃が届くことは無い」


「暗殺を除けば、ですが」

「父上ほど暗殺から逃れたアレッシア人もいないよ」


「今は、ですけどね。これからは増えますよ。暗殺も。アレッシアで」

「エリポスか」


 マシディリは声を低くした。

 クイリッタが首肯しつつも、「それ以外も」と付け加える。


「特に、風呂場で暗殺計画が実行されれば、為す術は無いとは思いませんか?」


 クイリッタが不穏に低く、昏く、冷たい声を出した。

 つま先は閉じている。膝もマシディリには向いていない。引かれた顎で、冷たい目を向けてきている状態である。


 そんな弟に対し、マシディリは盛大にため息を吐いて答えた。


「疑い過ぎると何もできないよ。アフロポリネイオからだって、今年の宗教会議への案内と返事を求める手紙が来ているんだから。それも、丁寧に出席を求める文章と共にね」


 エスピラに対しても。

 マシディリに対しても。


「白々しい」

 クイリッタが鼻で吐き捨てる。


「ドーリスとカナロイアは婚姻関係があるのに、アフロポリネイオは無いからね。関係構築に必死なだけだよ。アレッシアとの関係と言う点で言えば、乗り遅れているようなモノだからね」


「兄上。私は、兄上より幾分かエリポス情勢に詳しいつもりでおります」


 クイリッタの両手が広がる。

 正中線は完全にマシディリに向けられた。


「エリポス人によるアレッシア人の襲撃は減少傾向にあり、応じてエリポスでのびのびと活動するアレッシア人も増えました。一方ではそれが横柄だと言う新たな批判にも繋がっております」


「アレッシア人を見下しているからこそ、か」


 潜在意識の問題だ。

 多分、見下している、と答えず、対等だとか国力としては、とか答える人の中でも半分以上はどこかでアレッシア人を野蛮人だと見下しているのである。


 判別する方法は行動や言葉の端々からしか無いが、でも、見下す意識があることは確実だ。見下す側のエリポス人は気づかずとも、見下される側は分かるものである。


 それを無視するのは、エリポスに傾倒しすぎているか、負け犬か、ただの馬鹿。


「ディミテラからの手紙では、見目麗しいエリポス人はアレッシア人に見せるな、と言う話も聞こえて来たそうですよ。アレッシア人が通るところでは隠せ、とか。驚くことなかれ、これは、西方で起こった出来事では無くエリポスで起きたことなのだ、とか」


 噂は噂だ。

 エリポス人が面白おかしく言っているだけか、アレッシアとエリポスを仲違いさせたい者の思惑だろう。

 仲違いして喜ぶのは、なるほど。意外と多そうだ。エリポスにも、アレッシアにも、それ以外にも。


「離婚するなら手伝うよ。その上で、ディミテラを妻に迎えれば良い」


 クイリッタの眉間が険しくなった。

 手で口元を隠し、思考の海に潜っている。両の手は、どちらも親指が見えないように握られていた。


「妻、は、無理です。私はウェラテヌスの男ですから。ですが、愛人なら押し通せる。愛人でなら、いや」


 サテレスの言葉をエリポス語にしていることからも、クイリッタが二人を政権から離したいのは分かっているつもりだ。父が認めなかった以上、ウェラテヌスからも離し、守りたいのだとも理解している。


 それでも、と思わざるを得ないのは、自分が子供達に囲まれているからか。

 それとも、近くにいる時も素直になり切れていなかった母を見て来たからか。


「クイリッタ」


 壮大な仮定だ。

 正しいのかも分からない。

 それでも、マシディリは深呼吸を一度してからは迷わなかった。


「もしもエリポスが支配圏になったのなら、迷いを消せるかい?」


 挑発や探り、聞き返しなどでは無く、恐らく驚愕でクイリッタの目が大きくなる。

 目はすぐに戻ったが、代わりに挑発的な表情が浮かんできた。


「既にディティキやビュザノンテンはアレッシアの支配圏ですよ」

「もっとさ。もっと。エリポスも、アレッシアの支配下にはいる。史上類を見ない大国。西はフラシから、東はイパリオンまで。広大な範囲に跨る、領域国家」


 果たして、どれだけの言語が内包されるのだろうか。

 果たして、どれだけの文化が混ざり合うのだろうか。

 果たして、どれだけの宗教が隣り合うのだろうか。


「夢物語ですね」

 クイリッタが一笑する。


「どこまでが敵になるのか。いや、どこまでも敵になる」


 ですが、とクイリッタの握りこぶしが、クイリッタの目の前に持ってこられた。


「兄上の基盤となるのは東。東から勢力を付け、西の安定につなげる。マルテレスが沈むのは西へと行きながら。これは、縁起が良い」

「東から西に追いかける形とも言えるけどね」

「東から供給が始まる国家ですよ。それも、エリポスよりも東から。エリポスから見ても、昇る形」


 クイリッタが右手の人差し指を伸ばし、横から上へと腕を持っていった。目の高さの少し上で、一度手が揺れる。


「歴史上最大の国を作り上げた王の長弟ならば、誰を家族に迎えようと、誰も何も言わないのは、確かですね」


 指は戻り、手は拳に。

 ぐんと開かれた眼には、これまでにない強い光が宿っている。

 拳も硬い。口角は、自信故にか希望故にか上昇していて。


「王はやだね」

 マシディリも、似たような表情を浮かべながら小さく呟いた。


「別の名称を考えておきますよ。なんなら、そのまま兄上の名前でも」


 クイリッタがにやりと笑う。

 風呂の順番を開けられました、とレグラーレがやってきたのは、それから少ししてであった。

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