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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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太陽 Ⅰ

(着実に追い込んでいる)

 それが、エスピラの戦い方に対するマシディリの感想であった。


 父の合流以後、大規模な戦闘は一度も無い。小規模な戦闘ばかりだ。その多くでエスピラ側は勝利を挙げ、相手が大軍同士の戦いに変えようとしている場所ではさっさと戦いを切り上げている。切り上げ方の中には、簡単に負けて、と言うのもある徹底具合だ。


「弱者の戦い方だよ」

 父は、そう笑う。

「尤も」と言いながら、自身の口を人差し指で叩く際は誇らしげに。


 マシディリが舌を巻くのはそこだけでは無い。この作戦が上手く行っている要因を、先遣隊にも求めているところだ。


 作戦の基になっている多くの情報を戦ってきたフィルノルドに。諸部族との繋がりはスペランツァ。別動隊としての連携はティツィアーノ。そして、それらの言葉に恥じない任務を各々に与えているのだ。


 フィルノルドには、遠くの戦いの軍監を。スペランツァは諸部族との交渉の一番手。ティツィアーノも大きめの戦いが予想されればそこに派遣され、撤退か進撃かを決める裁量を預かっている。


 マシディリも、例外では無い。


 道路整備と各都市の要塞化、占領地への新たな法の施行に対しての感謝を告げられている。

 それだけならば後方支援に終わりそうだが、他にも六万を超える軍団の一部の監督を、それもティツィアーノを超える権限でもらっているのだ。


 後方支援も戦いも十分にこなし、自分の意見もありながらエスピラの意思も理解できる存在として。

 即ち、後方支援に閉じ込めるだけでは無い。ある種、積極的なマシディリの軍事行動も認めた形である。


(配置で意図を伝える)


 マシディリも実行してきたが、ほとんどの場合は軍事行動のみに於いて。

 他でも上手くできていたかは分からない。だが、マシディリのその心理を理解してか、最近はマシディリに対して仕事を振り、そこからさらに振り分けるようにとの指示ももらっている。


「思ったより、背面も要塞化が進んでいますね」


 クイリッタの言葉と共に、色の濃い香が漂った。

 休暇に出した部隊と共にファバキュアモスに行った後、すぐに戻ってきたのだろう。


「回り込めない訳では無いからね」

 風呂に入ってきた方が良いよ、とも伝えながら、マシディリは木の皮たちから顔を上げた。


 気分を害しますかね、とクイリッタが自身の匂いを嗅ぐ動作を取る。念のため、とマシディリは答えるにとどめた。


「父上が近くの部族を次々と下しながら遠くの部族に対してスペランツァを派遣しているおかげで、遠慮なく上水を作れているのもあるから。そこも守らないと」


 本隊四万。先遣隊二万。あくまでも、これは兵士だけの数。


 これだけの兵を、ただ川の水を確保するだけで養える訳では無い。養うために川の流れを変え、枡形の浄水設備を用意し、作った池に貯めていくのもマシディリの仕事だ。


 防御陣地群に籠るのは、そのためでもある。

 父が磔と称して大量の木々を切ったのも、こちらに回す資材と言う側面もあったのだ。


 小さいながら出来た風呂も、兵の士気を維持するのに大いに役立っており、風呂を守るためと言うのも後方に位置する兵のやる気に一役買っている。ずぶぬれになりかねない工事も、褒美として風呂の長時間使用が許されればこそやる気が出ると言うモノ。工期もかなり短縮できているのだ。


「水も食糧も父上が簡単に供給量を増やせるほどにあります。言うまでも無く、兄上の御力が寄与するところが大でしょう。東方での越冬経験が遺憾なく発揮されている結果ですか?」


「あれは、酷かったね」

 今でもはっきりと悪臭と共に思い出せる。

 ひもじい思いも、寝起きに死んでしまうのではないかと思った寒さも。


「あの時も、私は後からの合流でした」

「そうだね」


 即座の返事は無い。


 マシディリは、一拍おいてから「どうかした?」とやさしく尋ねた。返事の前にクイリッタの手が木の皮に伸びる。木の皮に書かれた文字へと落ちた目は、さほどうごかない。


「兄上と共有していないことも増えて来たな、と思いまして」

 昔からじゃない? と言う軽口は封印する。


「でも、見ているモノは同じだよ」

「『ほぼ』同じですね。厳密には違いますから」


「サテレスとディミテラかい?」

 にやり、と此処で軽口を一つ。

 クイリッタが溜息と共に手に取っていた木の皮を元に戻した。


「兄上が一番兄上の価値を低く見積もってぞんざいに扱っていると言う話ですよ」

「良く聞くよ」


 無論、クイリッタ以外から聞くことの方が多いが。


「私の感情を抜きに考えれば、父上よりも兄上をより大事にするのが肝要です。ウェラテヌスとしても、アレッシアを考えても。ただ、私が父上に下された神託を覆そうと思うのは、偏に親子の情故にと言うことも、言わなくて良いことでしたね」


「私が最重要と言うのも、兄弟の情と言う奴が入っていない?」

「入ってませんね。どこに行ったのでしょう。私の兄弟の情は」


 クイリッタが大げさな動作で自身の衣服をあさる。

 あら。あら。あら。と衣服を裏返し、おや、と何も持っていなかったはずの手から紙を一枚出現させる。


 どうやっているのかは知らない。

 でも、なるほど、これは女性受けが良さそうだ。少なくとも、初対面での話のきっかけとしては十分すぎる。


「春には生まれるから父上を寄こすようにとユリアンナに言われているのでした。これに応えるのが、兄妹の情でしょうかね」


 マシディリは、まずため息を吐いた。

 それからパピルス紙を二枚取り出す。一枚は父宛て。もう一枚は、マシディリ宛てだ。


「私のとこにも届いているよ。カナロイアの国庫はアレッシアの味方だってね」

「詳しい情報とは羨ましい」

「父上宛ての手紙に関しても閲覧を許されているからね」

「母上からの手紙が無いから」

「だろうね」


 それだけでは無く、後継者として今から、と言うのもあるのだろう。


 父のことだ。

 サジェッツァと戦うになると言いつつも、マルテレスと戦った後では気力が尽きかけてしまう。やることになればその内戻るだろうが、しばらくは弱る期間があってもおかしくは無い。


 その時のために、でもあると、マシディリは解釈していた。


「歴史家は、父上やサジェッツァ、マルテレスの関係に亀裂が入ったとか、途中までは目的が一緒だったから手を取り合っていたとか、一時を境に劇的に関係が悪化したとかのたまいそうだ」


 クイリッタが吐き捨てる。


「父上は血も涙もない男だって、書かれてしまいそうだね」


 父が祖父に世話になったのは、言うまでも無い。

 その恩人の子供達にして義兄弟の多くを破って来たのも父だ。

 そして、今は親友と雌雄を決し、もう一人の親友とも袂を分かとうとしている。


「ウェラテヌスが繁栄を続ければ良い。そうすれば、ウェラテヌスにとって都合の良い歴史書ばかりになりますよ」

 クイリッタが眉を上げた。


「クイリッタも冗談が下手だね」

 声だけはとぼけて、表情は真剣に。

 クイリッタも、眉の動きだけを軽くしつつ眼光の鋭さも口元の引き締めも変えようとはしなかった。


「風呂、でしたね。一緒に入りませんか?」

 すん、とクイリッタが腕を鼻の下に持っていく。口元が隠れる形だ。


「三日前に入っちゃったからね。私の順番はまだ先だよ」

 桶と布なら持って来ようか? と提案するも、クイリッタはゆっくりと目を大きくするだけ。視線も切ろうとはしてこない。


「昔は良く入っていましたね。まあ、兄上が結婚してからはとんと入らなくなりましたが。

 いやはや、思い返せば兄上はあの時から生真面目だった。私やユリアンナが潜水勝負を仕掛けても、そんなことをする場じゃないと」


「私も、必要とあれば特別扱いを受けるよ。でも、風呂の順番は緊急では無いからね」


「私を理由に余計に風呂に入れると思えば良いでは無いですか」

「そうかな」

「第一、順番を守っただけなら、一度破るくらいよろしいのでは?」


 マシディリは、口を半開きにする。開き方も四角に。口角を少し歪め、苦笑いを浮かべる。


「それが、うん。べルティーナに手紙を書くために順番を変えて入っちゃったから」


 クイリッタの肩が落ちた。表情も、半開きの口とだらんとした目になっている。美形でなかったら閲覧注意な顔だ。


「何と言うか、絶妙な気持ち悪さに似た呆れを覚えましたが、ええ。ええ。その気持ちが分かってしまう自分自身も気持ち悪いと言うか」


「素直になったね」

 逃れるように口にする。

 やや早口になってしまったのは、ご愛敬だ。

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