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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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亀裂を打ち込みましょう

「君達を生かした理由は、君達が死ぬと悲しむ友達が多いからだよ」


 怖れと嫌悪感。程度の差こそあれど、エスピラに従わないと死んでしまうと言う打算。

 それらの視線を感じながら、エスピラはにゅうわな笑みを浮かべ続ける。



「そんな難しい話はしていないだろう? 私は、アレッシアのために戦ってきて、今もアレッシアのために戦っている。元老院から君しかいないと委ねられてね。


 そうである以上、アレッシアを構成するアレッシア人を殺すことを私は望んでいない、と理解してもらえないかな。


 アレッシアがアレッシア人を守らずして誰がアレッシア人を守るのか。とも、私は言い続けて来たしね。過剰なエリポス崇拝も嫌っているよ。カナロイアとドーリスと言う二つの歴史ある国家の王族と婚姻を結んでいるのも、アレッシア人とエリポス人は対等であると言う私の主張に合致しているとは思わないかい?」


 滔滔と。

 朗々と。


 真になびかせる気は無い。

 臣になびかせる気も無い。


 どこかに納得と引っかかりを覚えてくれれば、それで良いのだ。


「故に、アレッシアを裏切る以外に選択肢の無かった君達に、新たな選択肢を渡そう」

 言葉の後に、一つに揃った足音が鳴る。

 後ろと、前。離れた場所にあっても、音は一つ。


「今なら友達を含めて救おう。戦いになる前に降伏してくれるのなら、先の裏切りは不問とする。エステンテやトリルハン、トトリアーノによって強制されたモノだと報告するとも。


 悪い話では無いはずだ。

 条件も、手紙を返してくるのは君達が行うことと言う一点のみ。


 尤も、それが難しいとも言えるけどね」


 片目を閉じ、表情は軽く声音は重くする。


「マルテレスは君達を喜んで受け入れるさ。何も、私とマルテレスの取引によるモノだけじゃない。君達が脱走してきた者であれ、喜んで受け入れる。抱擁を交わし、交わせずとも最大限の礼儀と先の磔による疲労を癒すためにあらゆることをしてくれるだろう。


 無論、出来る範囲ではあるが、最大限の誠意を見せてくれるはずだよ。そんな漢だ。マルテレスは、アレッシアの英雄だからね。立ち振る舞いも含めて、最も陰湿とは遠い二人があちらにはいるよ。


 問題は、出る時だ。

 監視はしっかりとしているし、イエネーオスやヘステイラも互いを嫌悪しつつもそのあたりでは結託している。イエネーオスはその後の外交関係を考えずに今の最善を取り、後の禍根を残す男。ヘステイラは高級娼婦として多くの男を裏で操ってきた妖女。


 入るのは易く、出るのは難い。

 それでも、君達が手紙と持って帰ってきてくれれば、盾裏の離反とはみなさないよ」



 言葉の終わりと共に第一軍団の兵が手紙を持ったまま、ずい、と裏切り者達の間に入っていく。

 手紙を手渡し、一糸乱れぬ統率で再び前後に整列した。


「よくよく、考えてくれたまえ。

 私は君達の結論を尊重するよ。例え、どのような結論であっても、どのような結末を手繰り寄せようとも、ね」


 話の最中、エスピラは全員の顔をしっかりと見た。見逃している者は一人もいない。目が合わなかった者も居るが、会った者も多いのだ。


 裏切り者達と離れた後に近づいてきたのは、フィロラード。

 きょろきょろと周りを見渡してから、また一歩近づき、やっぱりやめて元の位置に戻る。


(どうするかな)

 少し迷う。


 その間に珍しくシニストラがエスピラとの距離を変えた。足音と衣擦れから、フィロラードの背中でも押したのだろう。フィロラードが、再びエスピラに近づいてきた。


「あれでは、彼らはマルテレス様の方に降ってしまうかも知れませんが、戦場で処するのが目的ですか?」


 声は、小さく。

 インウィクも距離を詰めている。


「いや。それでもかまわないとは思っているけど、敵の兵数が増えるのはこちらの被害も増えかねないことだからね。しかも、裏切りを疑われた者は猛進する者も多い。厄介な敵だよ」


「では、マルテレス様を褒めるのは、よろしくなかったのでは無いでしょうか?」


 声は弱く。

 不興を買うのを恐れているのか。だとして、意見を言ったことに対してか、このような質問をせざるを得ない己の不明を咎められることに対してか。


「大事な質問だね」

 全てを声音からは判断できない。

 だからこそ、エスピラは今後も質問や意見をしやすいようにと入りに気を付けた。


「記録では敵を褒め、交渉でも敵を褒めても寝返りのために信用していない人を送り込む場面では敵を褒めるのは良くない手だ。


 ただし、落差が生まれればそうでも無い。


 マルテレスは歓迎するさ。それも張り切ってね。私が人質交換に応じたとも思うはずだよ。意思を示すために少数送ったのだともね。


 でも、今の彼らが今日の私たち以上の環境を用意できるかい? 食事の量も、布も、火の数も。恐らくは私達が上。先に来た使者の反応を観察した私の子供達も同じ結論に達しているよ。


 だから、歓迎されても物資に乏しいのを理解してしまう。未来があるのはどちらかを意識してしまう。マルテレスと共に戦いたいのなら、私の言葉を嘘だと思いたくもなる。

 そして、そんな彼らを疑うのがイエネーオスやヘステイラ。オプティマは疑わないが、二人の反応は、私の言葉が真実だとはっきりと補強してしまうモノさ。


 あとは、どうするか。

 彼らが芯のある男なら、私も戦場で決着をつけるのはやぶさかではない。動いてしまうのなら、早々に本国に送るだけ。あるいは、友人をちらつかせたことで友だけは助けようとしてしまうか、ね」



 失敗しても、楔にはなる。

 彼ら自身の。そして、マルテレス側の軍団の。


 マシディリとクーシフォス、ルカンダニエの関係を見ている以上、マルテレスとオプティマは解放された裏切り者を手厚くもてなし、信頼を伝えようとする公算が高い。


 それこそが、エスピラの罠。

 敵軍が新たに内包してしまう綻び。


「それに、彼らの命を奪うのは私達や冬だけじゃないからね」


 質問の無かったフィロラードやインウィクが、この言葉の真意をすぐに理解したかは定かでは無い。でも、三日後には理解したことだろう。


 敵本陣への強襲。

 それが、敵に味方している部族の一つから行われたのだ。


 大崩壊を起こしてもおかしくは無い攻撃である。応じるように、エスピラもカウヴァッロを始めとする騎兵を即座に動かした。

 だが、エスピラの予想よりもはるかに短い時間で敵の混乱が収まる。カウヴァッロも、すぐに撤退に移った。


「此処まで実害が少ないのは予想外だけど」

 苦笑しながら、流石はマルテレスだね、と本音の歯を見せる。


「対応が早かったのは、マルテレスかその周囲、あるいはその両方が君達を疑っているからだ。少なくとも、信じていれば対応はあそこまで早くは無かった」


 でも、手は緩めない。

 自身の驚嘆すら作戦に組み込む。


 諸部族に対してだけでなくアレッシア人同士でも生じているどことなく危険な香りは、個人的な悪意にも繋がり、個人的な悪意は反射しあう。そうして悪くなっていく空気に、敵陣に帰った裏切り者達は何を思うのか。


 無論、全員がエスピラの方へと走る訳では無い。

 でも、全員がエスピラからの提案を知っている。


 それは即ち、たくらみが漏れやすいことも意味しているのだ。


「マルテレスは武骨に信じ続けるだろうが、スィーパスはどうだろうねえ」


 りんご酒でのどを潤し、一言。

 それは、全員が思わざるを得ないことだ。


 寛容なマルテレスと処罰を辞さないエスピラ。


 その構図が、次代になれば逆転してしまうのではないか。


 寛容なマシディリと、疑わしきは罰するスィーパス。


 エスピラとマルテレスの年齢を考えれば、そこを考慮し始めるのも無理からぬ話である。

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