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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
1354/1589

誰よりも利を分配し己の利益に強欲でなくてはならない

『捕虜の存在を証明する物が無いと取引に値しない』


 エスピラ側がそう伝えると、翌日には再び陣の中央に絨毯が敷かれた。敷いたのは、マルテレス側。中央にやってきたのは、マルテレスとオプティマ。そして、ヘステイラである。


 当初はエスピラも準備を進め、紫色のペリースが敵から見える位置に立っていた。

 しかし、ヘステイラの確認が取れるとあえて紫色のペリースを大きく翻し、奥に下がる。


 代わりの交渉役はクイリッタ。情報の裏付けとしてサジリッオとスペランツァ、護衛にフィロラードを付けて。


 交渉能力としてヘステイラの力が有用なのは、エスピラとて理解している。

 だが、それとこれとは話が違う。女性の凱旋式での行軍は認められていないのだ。当然、従軍するのも多くの場合は娼婦か、敗軍であるか。


 男は戦場で命を懸ける。女は出産で命を懸ける。

 それがアレッシアの根幹にあるのだ。


 それ以外にも、遠征になると女性の存在が規律を乱すことになると言う理由もある。女性の奪い合いになれば風紀は乱れ、結束が弱くなり、敗北にだって繋がるのだ。力と体力を見ても、中には超越する者も居るが、基本は男の方がある。


 その点、娼婦であるならば繋がりは金。戦闘は以ての外。入れ込み過ぎる男は躊躇いなく処罰できる。


(まあ、世界には女性だけの軍団もあるらしいが)


 彼女らが活躍する土壌があり、受け容れる空気があるのなら、エスピラも今回とは違う態度を取った。でも、アレッシアはそうでは無い。それは、異民族が集落ごと移動し、戦闘区域の近くあるいは戦闘に女性が加わるからでもあるのだ。


 奴等とは違う。

 常に領土を侵す憎き者達とは違うのだ。


 そう堂々と言いたい気持ちも、アレッシア人の空気を作り出している。


 アレッシア人であり続けるエスピラと、アレッシアを裏切ったマルテレスと言う形を作るには、エスピラはその空気に従う必要があるのも、行動の理由の一つだ。



「父上の見立て通り、マフソレイオで作られたエリポス風味の絨毯でした」

 帰還後の開口一番、クイリッタが言う。


 エスピラは、目を閉じた。

 そのまま冷たい風を感じ、数秒。


「広めよう」

「すぐにでも」

 ソルプレーサが返事をし、指示を飛ばしていく。


「香の匂いは特段変なところは感じませんでしたが、マルテレスとオプティマからも香ってきておりました。これは、以前とは違いますね?」


「違うねえ」

 言いながら、ソルプレーサに視線をやる。


 ソルプレーサは意図を察したのか、目を閉じて了承の意を示してきた。クイリッタはフィロラードに視線をやっていたようである。


「髪の艶は、マフソレイオでの生活と言い訳が効く範囲でしたが、髪先はあまり見せないようにしております。爪は短くなっており、土などが挟まった様子もありませんでした。あの年齢の女性にしては手入れされていたほうでしょう。衣服にも皺はありながらも汚れは見当たりませんでした」


「見栄を取ったか」

「あるいは、悪評は受け入れているのか」


「ヘステイラ様が悪評を受けることでマルテレス様を悪評から守ろうとしていると言うことも考えられます」

 ヘステイラにまで『様』を付けるのは、マシディリしかいない。いや、マシディリの発言を聞いたマシディリの腹心たちも『様』を付けるだろうか。


「作戦は変えなくて良いかと。むしろ、余計な功を与えずに済んだ、と考えましょう」

 クイリッタが声を小さくする。ただし、眼光の強さは変わらず、声の芯も失っていない。


「名目の方も聞こうか」

 即ち、捕虜の身柄について。


 正直な話、先に半島の外に出ていた部隊ではスペランツァさえ生きて帰ってくれば、エスピラにはどうでも良いのだ。最高神祇官の立場と個人的な信頼関係で以て内々にサルトゥーラの遺言も確認し、発表の時機をうかがっていたほどである。


(敬意は評するよ)


 サルトゥーラの、自らの思う公平を貫こうとした態度に。

 自身の子供や血縁者と比べ、クイリッタの方が優秀であるとして後見人に据えたことからも、彼の生き方が現れているのだ。


 だからどうか、厄介になる前に消えてくれ、とも思う。

 アレッシアのためには必要だから、生きて帰ってきても良いとも思っている。


 交渉の日の午後。

 エスピラは、逆さ磔の杭を少しずつ撤去していった。

 当然、磔にされている人も磔の状態からは解放されていく。


 だが、アレッシアは人質を認めない。

 助け、準備を始めたと見せかけながらもエスピラは静かに彼らの一部に対する処刑を敢行した。


「食事を多めに作っておいてくれ。個人への量も増やすよ」


 マシディリとヴィルフェットに頼みつつ、アスバクにも情報を渡して動いてもらう。試してみたい、ということでインウィクにもやらせてみた。


「冬を前に良いのですか?」

 インウィクは時間がかかると思います、と言いに来たフィロラードが、そもそもの質問をしてくる。


「バゲータが鶏を盗んできてしまうくらいだからね。冬を迎えているからこそ、不満は少しでも解消した方が良いだろ? それに、アレッシアにはアルモニアもパラティゾも残っている。輸送路はマシディリが整備した。早々枯れ果てないさ」


「またアグニッシモの食べる量が増えるだけでは?」

 フィロラード退出後に片側の口角を上げたのはクイリッタ。無論、アグニッシモは抗議の声を上げている。


「普段の量でもきつく感じる私が悪いだけさ。かと言って私だけ量を減らせば、要らぬ気を回して食べる量を減らす者達も出てきてしまうからね。アグニッシモにはむしろ感謝しているよ。

 それとも、クイリッタも食べたかったかい?」


「いえ。別に。馬に乗れないアグニッシモにどれほどの価値があるのかと思っただけです」

「俺は兄貴より動いているやい!」


 しかしてインウィクは、こちら方面では優秀とは言えないが無能でも無い。本当にやらせたいなら時間をかけてみていくのが最善、との判断が下された。



「反応が早いねえ」

 翌日。

 エスピラは、増えた炊事の煙を背に、丘の上から敵陣地を眺めた。


 被庇護者から、動き在り、との一報は既に受けている。遠すぎるために、エスピラからは「いつもより動いているな」程度しか分からないが、どのように動いたか、何で動いていたかの詳報はその内届くだろう。


 十中八九、野戦準備だ。

 マシディリからの報告で、こと食糧に関しては敏感になっているのは知っている。野戦を望んでいるのなら、逃すわけにはいかないと言う感情もあるはずだ。あるいは、磔刑に処されていた者達の食事の可能性を考慮し、こちらを誘い出すための動きであるかもしれない。


「どうやら、野戦の準備のようでした」

 ソルプレーサからの報告と共に、敵の一部が陣の外に並ぶ。

 無論、エスピラはこの誘いを完全に無視した。


「兵と同様の食事を、友達が多い裏切り者へも与えるように再度徹底してきてくれ」

「かしこまりました」


 ただし、ソルプレーサ自らが行くわけでは無い。

 これに関しては、被庇護者を動員して念入りに確認に行かせるだけである。


「さて。マシディリ。嫌悪感を抱く相手に、君ならどこまで説明する?」

 近づく足音に、確認もせずに投げかける。


「間に人を挟みます。配膳係が拒絶できない相手であり、作戦的な価値を知っている者。例えば、ティツィアーノ様とかスペランツァですね」

 愛息も、特段驚いた様子なくすらすらと答えてくれた。



「では、その二人は禁止だ。クイリッタも私から改めて別の命令を渡すし、フィロラードも私の護衛から外さない。人選を頼むよ」

「かしこまりました」


 愛息とて、数秒は思考の海に潜ることになるだろう。


「エスピラ様ご自身は良く他人に無茶な命令を下されるのに、これでは些か卑怯かと」

「アレッシアもウェラテヌスも次の段階に入ったはずだ。私のやり方では、疲弊を招くだけだよ」


 ソルプレーサに静かに返す。

 次の言葉は、マシディリからの「ヴィルフェットも禁止ですよね?」との一言であった。

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