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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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心底から知る者 Ⅲ

「俺は、生きるために戦っている。生きて子供達を守るためだ。クーシフォスやソリエンスはエスピラやマシディリに認められているから安心だと思っている。でも、他の子は俺が守る。価値は、俺が生きてこそ最大限になっている。今はそれで良い。そのために、今はまだ死ぬわけにはいかないんだ」


 それは、同じ親としての言葉。

 親友としての信頼。


「死んで、守れるモノがあるとは俺は思えない。メルア様も、本当は生きて子供達に愛を注ぎ続けたかったんじゃないか? その無念を、エスピラがいるから押し殺して眠ったんだろ?」


「幾らお前でも軽々しくメルアのことを口にしないでくれるか?」


 衣服の上から、首飾りを握りしめる。

 朝が嫌いになったのは、何時からか。寒い朝ばかりになったのは、はっきりと思い出せる。


 爪が、掌底に食い込んだ。


「勝手に、誰かをメルアに重ねるな。

 誰であっても許さない。タイリー様であっても」


「雌雄を決しよう、エスピラ。マシディリとオプティマが戦った平野で良いな」


 視線を、ゆっくりと動かす。

 握りしめる手も、ゆるゆると外した。服の皺がエスピラの行動の跡を残すが、手は元の位置に。普段通り、余裕をもって、年齢を重ねた分と気の置けない友人に対するふてぶてしさも備え。


「馬鹿か」

 気安く、否定する。


「マルテレスはマールバラと互角だった。私は、防御陣地群を作ってようやくマールバラと渡り合えた。


 今のお前の軍はならず者を多く含む、お世辞にもアレッシア軍と同じ質とは言えない軍だ。

 一方で私の方も防御陣地は群と呼べるほどは無く、即席で作ったモノを補強した形。


 お前が陣攻めを敢行し、私が守る。

 それで互角の勝負じゃないか? それこそ、マルテレスやオプティマがマシディリに望んで来た漢の勝負だろう?」


「おおう。やっぱ口じゃエスピラに勝てねえか」

「私が野戦でマルテレスに勝てないようにな」


「そりゃいつもの笑えない冗談か?」

「ほう。勝ちを譲ってくれると?」

「しまった。罠だ」


 鼻で笑えば、歯を見せる笑いが返ってくる。


「なあ、エスピラ。話し合いは俺が負けたから、その分ってことで野戦にしないか?」


「マルテレス。この交渉は六人しか内容を知らない。

 私が野戦に赴けば、他の者はマルテレスが交渉に成功したと思うだろうな。そうなれば、話し合いでもマルテレスが勝ち、野戦でもマルテレスが勝ったことになる。

 私の二敗じゃないか」


「駄目か」

「駄目だ」

「どうしても?」

「駄目だ」

「ところが」

「駄目だ」

「今なら」

「駄目だ」

「じゃ、俺が攻めるのは」

「そうしてくれ」


 引っかからないか、とマルテレスが大げさに肩を落とした。


「代わりと言っては何だが、贈り物はある」


 大げさに肩を落とし続けるマルテレスの前に、パピルス紙を滑らせた。


 マルテレスの注目は当然、封をされたような状態のパピルス紙に移る。エスピラが何かを言う前に開けてしまうのも、マルテレスらしい行動だ。

 そして、そんなマルテレスの目が大きくなるのも、予想通り。最早皺の一つまで完全に想定通りとすら言えてしまう。


「エスピラ」

「ああ。愛妻からの手紙だよ」


 イエネーオスは分かりやすい。怒りが中心だ。エスピラへの信頼が無いからこそである。

 オプティマは口を閉ざし、髭を触り始めた。手としてはあると思っていたところだろう。だが、イエネーオスよりはエスピラを知っているからこそ、この程度。


 そして、マルテレスは誰よりも複雑な顔をしていた。

 誰よりもエスピラを知るからこそ、である。


「中は見ていないよ」

 声は、親しみを込めて。されど、先の声よりもやや無機質な、ガラスのような声を意識する。


「他の、マルテレスに着いて行った兵の関係者にも書いてもらっているけどね。全部、中は見ていないとも。書いてもらった内容も自由にしてもらっている。

 尤も、現在の生活に関して触れてくれ、とは条件を付けさせてもらったけどね」


 じ、とマルテレスの視線が注がれた。


 シニストラが動く。誰よりも早くイエネーオスの顔が動いた。そして、シニストラが取り出したのはイエネーオスの母親からの手紙のはずである。イエネーオスの手元に行くために、まずは机の上に置かれた。


「クーシフォスの親だぞ、マルテレス。下手に手を出せば、私はマシディリに恨まれてしまう」


 至極真剣に言い切り、エスピラは陶器を持ち上げた。

 中に入っている茶で、ゆっくりと口内を潤していく。


 此処は戦場だ。後ろでは自軍が、前方奥には敵軍がひしめいている。双方ともに五万を超える大軍ともなれば、一部の暴走だけでも相当な数だ。当然、全軍を広げられる場所は限られる。一人の叫びが広がれば、その波は耳を簡単に持っていくだろう。


「チアーラにも、恨まれそうだな」

 安堵に似た声が、マルテレスから発せられた。


「チアーラ?」

 理由は分かりつつも、書いてあることは分からない。


「孫を風評から守るためにアグリコーラに呼んでくれたらしいな。あそこはまだ復興が続いているからなあ。下手な噂よりも優先すべきことが多くて助かっているそうだ」


「そうか。チアーラも天才だからな」

「エスピラの子供評は当てにならないから聞いてねえよ」

「天才じゃなければ、私の愛しい子供達の実績をどう説明しろと?」

「あーはいはい。分かりました」


 肩を竦め、下ろすと同時に茶目っ気も消す。

 視線は再びイエネーオスへ。マルテレスは手紙を読み進めており、オプティマが手持無沙汰の状態だ。


「他の者への手紙もある。マルテレスや君に渡したのと同様に、今の生活について書いてもらえればあとは何を書いても自由だと伝えた手紙だよ。中身は確認していない。

 渡すも渡さないも君達の自由だが、如何かな?」


 言葉の後に、フィロラードが光を打ち上げる。


 イエネーオスの奥、敵陣も反応した。金属音と、天を突く槍先の乱れ。左右だけでなく上下にも揺れ、斜めにもなっている。兵に揃えて等間隔を保っていた槍が、今や歪な間隔だ。


(最精鋭では無いとして、さらに下の軍団でこちらの攻撃を誘っているのなら見事だが)


 ある程度揃っている鎧に、先ほどまでの真っ直ぐな立ち方。

 完全に下の軍団と言うことは考えにくい。


「オピーマの財産は無事なんだな」


 イエネーオスに気を配りながら、奥の軍団を観察する。

 その上でマルテレスにも目を向けるのは流石に厳しい。故に、エスピラは敵軍団の観察を取りやめた。


「マシディリが半島内にある財は保護して欲しいと言ったからね」

「名義は俺のままか」

「死人の分は流石に保護しようがないけど、基本は名義人のままだよ」


「そうか。財産を受け継ぎたいとかみさんが言ってるんだが、エスピラに言えば手続きが出来るのか?」

「やってみるが、私とて完全に離れた状態で元老院を思った方向に動かせる訳では無いとだけ言っておこうか」


 探られているな、とは思った。

 もちろん、マルテレスによる信頼に基づく探りである。エスピラが読んでいるのなら準備を整えているはず、と言う読みのもと、マルテレスが言ってきたのだ。


 だが、もちろん、エスピラは書かれた手紙を読んでなどいない。


「チアーラについて長く書いていて欲しかったねえ」

 苦笑しながら言いつつ、エスピラは茶を飲み干した。


「俺の名前だと使う時も使い方についても言われかねない、とさ。だからチアーラの温情に甘えるしかないと書いてあったよ」

「チアーラも物質的な見返りは求めていないだろうさ」


 欲しいのは、きっと婚約破棄をしないこと。

 コウルスをドーリスから離しつつ、アレッシアの中枢からも少し距離があるのなら満足するだろう。その絶妙な距離を維持するのは、きっと、チアーラの一生の課題になってしまうだろうが。


「ま、後ろに愛の言葉が書いてあれば、それこそが最も伝えたかったことだろうさ。あるいは、私の言葉を嘘と疑い、暗号を仕込んでいるかも知れないね」


「そんなもんはねえよ」

 歯をしっかりと見せ、マルテレスが笑う。


「そんな腹はしていない。あいつはメルア様やべルティーナとは違う腹の据わり方をしているのさ。


『こちらを気にするような男なら、さっさと死になさい。中途半端はアレッシア人の名折れなのだから、勝っても負けても戦い続ける他に道は無し! 貴方の道は、闘争以外にあり得ない』


 だってさ」


 エスピラの口が閉じる。視線も、意識せずに外してしまった。広がるのは机の平らな面。エスピラが飲み干し、マルテレスも口を付け、オプティマもほとんど飲み干した茶。イエネーオス、シニストラ、フィロラードは一切呑んでいない。


「そうか」

 ゆる、と目を戻す。

 マルテレスは、常通り、活気と自信に満ちた顔をしていた。


「まだ、マルテレスの降伏と言う選択肢もあったのだがな」

「悪いな」


 語尾が消えゆくエスピラと、立ち上がりから終わりまではっきりとしたマルテレスの声。


 その後、大量の手紙の引き渡しはあったものの、両者が歩み寄ることは無く会談は終わる。



「どうでしたか?」

 聞いてきたマシディリも、そのことは何となく分かっているのだろう。


 エスピラは、右手を伸ばし、まずは愛息の頬に触れた。その手を頭の上へ。そのまま、亡き愛妻と同じ色の髪をぐしゃぐしゃにする。


 大きくなった愛息にするようなことでは無いだろうが、マシディリも何もせずに受け入れてくれた。


「まずは、ご飯にしようか、マシディリ。ソルプレーサ、クイリッタとアグニッシモとスペランツァを呼んできてくれ」


「何か、難しい問題でも起きましたか?」

 マシディリが声を潜める。

 エスピラは苦笑し、手を振った。


「家族でゆっくりと食べたいだけだよ」

 これは、紛れもない本心だ。

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