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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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心底から知る者 Ⅱ

「そちらが割れるのなら、こちらも交渉する必要はありません」


 イエネーオスがマルテレスとオプティマに進言するように言う。

 されど、次の一手があることを分かっているような言い方だ。当然、エスピラも簡単に弱点を晒すつもりは無い。


「サジェッツァを舐めるなよ。共通の敵が居るのに、こちらを削るような動きをするはずが無い。いや、してはいたな。でも、決定的な隙は作らない。第二次ハフモニ戦争の反省をしているのは、サジェッツァとて同じだ。

 私が勝った瞬間に、私を殺しに来るつもりだよ」


 マルテレスの眉間に皺が寄り、苦しそうに口が閉ざされた。顎も下がる。視線も下に。開いていた膝も、少々閉じた。


「サジェッツァは自分の手で殺しに来たこともあったからね。マルテレスと違って、自分の意思で私を殺そうとするさ。サジェッツァの理想とするアレッシアには、私が邪魔なんだよ。


 誰よりも、何よりも、ね。


 それでもマルテレスを討ち、広大になるアレッシアの領域を確保するには私の力が必要だった。だから、今は黙っている。私を抜きにしてウェラテヌスの者を外に出し続けることはもうできないのさ」


 正確には相討ちを願ってだろう、とはエスピラの考えだ。

 ただし、余計な言葉は使わない。

 ずい、と用意されていた茶をマルテレス側に押し出し、体も少々前に出す。


「前まではマルテレス、お前も居た。だから積極的には攻撃できなかっただけだ。インテケルンも居たしね。隙を見せれば上手く泳ぐのは、ディーリーを切った決断以来ずっと見せて来ていただろう?


 そのマルテレスがアレッシアから去り、インテケルンも死亡した。私の排除に全力を注いだ時、誰が横やりを入れる? 誰が横から最大の利益をかっさらえる?


 誰もいない。


 私が死ぬか。サジェッツァも死ぬか。それだけだ。


 そして、サジェッツァは半ば隠居することでアレッシアに居座り続けることができる。でも、私はできない。外交で名を挙げたウェラテヌスの例にもれず、私も諸外国から交渉窓口として求められている。軍団として求められればマシディリも外に出るだろう。ならば、とクイリッタやスペランツァをアレッシアで拘束し、分断することも可能だ。


 既に戦場はサジェッツァ有利なんだ。

 マルテレスが、アレッシアからいなくなった時点で、ね」


 最後の一言をしっかりと押し付ける。

 気まずそうな顔をしたのは、オプティマだ。イエネーオスは目を尖らせ、裏を探っているように見える。あるいは、気づいたか。


「俺の、所為か」


 マルテレスが呻いた。


 震えている手が、口元まで伸び、覆い隠す。顔が下がったのか手が上がったのか、それとも両方か。目の下まで指の側面がたどり着いた。


「案じるな。私に死の神託が下ったらしい。どのみち死ぬ。お前の所為じゃない。何なら、溜飲が下がったか? 目の前にいるのは、お前の子供達の仇だぞ」


「そして俺の親友だ」


 目を覆った状態で、はっきりと。

 迷いなど一切ない声だ。


(やり辛い)

 百も承知で来たこと。それでも、真っ直ぐなマルテレスは、決して、エスピラが手に出来ない輝きを放ち続けている。


「お前の愛人達の家族も随分と削った。罪を負って立ち直れない者も居る。


 私が、作戦を主導した。


 そして私は負けられない。宿駅襲撃には、少なからず私に情報を流し、私の寛容性にすがってきた者も居るからね。彼らが何より恐れているのは報復さ。マルテレスが賊を使っているのなら、なおさら怖がっている。


 死の神託と言ったが、当てにするなよ、イエネーオス。

 私は負けない。何があっても、マルテレスだけは連れて行く。降伏しないのなら、悲劇の英雄としてマルテレス・オピーマの灯火を消してやろう」


 マルテレスの手が顔から離れた。

 左手の行き先は、イエネーオスの眼前。一番闘志に満ちている男の口を封じる形だ。


「降伏はしない。

 エスピラと比べられて苦しんでいるのは、俺じゃなくて子供達だ。マシディリもクイリッタもアグニッシモも戦果を叩きだし、スペランツァもタヴォラド様から認められている。初陣ぐらいしか出番の無かったリングアでさえ『コウルス・ウェラテヌスの再来』と呼ばれていた。


 それに比べて、俺の子はどうだ?

 皆、可愛い。腕も立つ。優秀だと思うよ。でも、並みの優秀さでは劣等と呼ばれてしまうんだ。


 そんな環境に置きたいか?

 俺は置きたくない。だから戻らない。


 エスピラなら、良く分かるよな。マシディリがエスピラの子供じゃないと言われることに悩んでいたのはエスピラも一緒だったはずだ。マシディリを案じていたのも、過剰と言えるほどの愛情も。今だって、エスピラが一番怒っていることはマシディリの心を傷つけたことだ!」


(マシディリの心を)

 その通りかもしれない。


「エスピラ・アブー・マシディリ、か」

 小さく、こぼれる。


「懐かしいな、シニストラ」

「は」

 急に振ったにも関わらず、エスピラの短剣は常通りに応えてくれた。


「マルハイマナ式の名前の一つだ。マシディリの親のエスピラ。そういう意味さ。良く分かる。今の私の一番の願いは、そう覚えられることだからね。


 エスピラ・ウェラテヌスの子がマシディリ・ウェラテヌスなのでは無い。

 マシディリ・ウェラテヌスの父がエスピラ・ウェラテヌスなのだ、と。


 それが願いだよ。ハイダラ将軍もそうだっただろうね」


 だからこそ、『ハイダラ将軍』でアレッシアに広めたのだ。

 アブハル・アブー・ハイダラ。本来の意味で言えば、アブハル将軍と記載すべきだっただろう。でも、エスピラはそうしなかった。


 子の名前で広め、敬意を示したのだ。


「ハイダラ将軍、と言うと、エスピラ様が養っている方々か」


「微妙に違うな、オプティマ。その父親だよ。マフソレイオとの国境、辺境の地の警備を任され、マフソレイオとエリポスによって謀殺された名将だ。彼がいなくなったから後任が定まらなくなった。いや、後任が定まったところで、か。

 マルハイマナ戦争がすぐに終わったのは、ハイダラ将軍がいなかったから、と言うのが大きいだろうね」


 それから、エスピラは挑発するように左の口角を上げた。視線はイエネーオスに。



「ハイダラ将軍は、賊徒を用いたが賊徒を軍には入れなかった。


 規律が乱れるからね。物資に乏しく、本国からの補給もままならない土地では軍団の規律こそ大事だったのさ。勝手な狼藉は絶対にさせてはいけなかった。そして、どれほど優れた指導者でも、軍団の暴走が始まったら止めるのは至難の業。だからこそ、暴走の要因は削らないといけない。そうお考えだったのさ。


 覚えているか、シニストラ。

 私達も、最初は賊に襲われたな。


 フィロラード。父上はすごかったぞ。私が一人倒している間に、四人の賊を転がしていたんだ。その時のシニストラは丁度今のフィロラードと同じ歳で、いやあ、本当に。フォチューナ神とウェルカトラ神の御引き合わせに感謝する以外できないよ」


「私の方こそ、深く感謝しております」

 シニストラが目を閉じ、膝を曲げた。

 手だけは油断なく剣の傍にある。耳も澄ましているように見えた。フィロラードも、父に尊敬のまなざしを向けつつもつま先をマルテレス達に向け、膝の余裕も失っていない。


「レピナを託したんだ。手のかかるほどかわいいともいうモノでね。私にとっては今でも目に入れても痛くない愛娘さ。

 フィロラード。レピナを任せた意味、そして信頼を忘れないでくれ」


「必ず、ご期待に応えて見せます!」


 フィロラードが声を張る。

 君は私の義息でもあるのだから、そこまで硬くならなくても良いよ、とエスピラはやわらかく告げた。


「いえ! レピナ様を悲しませないためにも、ウェルカトラ神の工房にて神託の炎を書き換えて見せましょう!」


 頼もしいね。

 それを言うのに、一秒かかってしまった。


 当のフィロラードに気にした様子は無い。他の者にも無い。あるのは、マルテレスただ一人だ。



「エスピラ」


 今日一番の視線が、やってきた。

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