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久々の

「エ、ス、ピ、ラァア!」


 そう叫ぶと、マルテレスが抱き着いてきた。

 されるがままにエスピラも受け入れる。


「久しぶりだな。細くなったか? お前、その内折れるぞ? いや、馬から飛び降りてハフモニの高官を捕まえるぐらいなら大丈夫か。次はそのまま馬に乗ってさらわれるかもしれないけどな!」


 耳元でまくしたてる友人に、エスピラの口元が大きく緩む。


「元気そうだな、マルテレス」

「エスピラもな!」


 バシバシと叩きながら、マルテレスの体勢がエスピラと肩を組む形に変わった。

 久々に戦地に帰ってきたばかりのサジェッツァは、表情一つ変えていない。


 そんなサジェッツァにも明るく声を掛けながら、マルテレスがエスピラを引きずるようにサジェッツァの寝るべき寝台に腰かけた。


「気が滅入っているだろうと思ってきたけど、思ったよりも元気そうだな」


「マルテレスが来たからな」

 と、エスピラの代わりに返事をしたのはサジェッツァ。


「え? 照れるな。なら、このまま俺を軍団に加えるか?」

「それは駄目だ」


 エスピラとサジェッツァの声が重なった。

 マルテレスが演技じみた動作で肩を落とす。


「マルテレスはマルテレスの役目がある。こういうのは、何があってもある程度人気を保てる家門に生まれた者に任せておけ」


 サジェッツァが言いながら、コップを三つ取り出した。


「保てるっつったってなあ。小さい子はそうもいかないぞ」

「そこまでひどいのか?」


 エスピラの髪がマルテレスの顔に当たった。

 マルテレスが少し痛がる。


「うーん、まあ、安心させるためには嘘を吐くべきなんだろうけど、酷いぞ」


 眉が寄りながら、マルテレスが続ける。


「マシディリを不貞の子と噂されているからな。表立っては誰も言わないけど。噂がマシディリの耳にも入ってしまっているのが一番不味いな」


 与太話で裁判を起こすことは出来ない。

 だがしかし、とエスピラは考えざるを得なかった。


「ああ、でも悪いことばかりじゃないぞ。ほら、クロッチェ様あたりはウェラテヌスでそれが許されるなら私もしたかったって笑い飛ばしているし、トリンクイタ様もそれならそれで子に欲しかったって言うし。私の血が流れているよりエスピラの血が流れていた方が家門のためになる、優秀そうだなんて笑っていたしな。トリンクイタとクイリッタって名前似てない? ってクイリッタに言って逃げられていたぞ」


「メルアが、家に入れたのか?」

「と言うよりカリヨ様が? ほら、一応カリヨ様にとってもクロッチェ様は義理の姉だろ? その夫であるトリンクイタ様も一応縁戚にあたるし、無下には出来ないようだからな」


 裁判では、と言うよりも愛人の話が出るほどに一貫してエスピラの味方である以上、クロッチェ様ならば良いか、とエスピラは頭を切り替えた。


「マルテレスも良く顔を出してくれているのか?」

「ああ。マシディリのオーラは赤だろ? なら俺が赤のオーラを最大限活かせる剣術を教えることもできるし、と言うか、マシディリに教えてくれと頼まれたし」


「マシディリが?」

 父としては複雑である。


 マルテレスは良い人物で、力量はエスピラも認めるところではあるが何も言われずにこっちが良いとされると寂しいものは寂しいのだ。


「ああ、馬術も頼まれたけど断ったぞ。馬術は危険も伴うからエスピラの許しが無いと駄目だって。そしたら、父上に聞いてきてください、とよ。お前、マシディリに何か言ったのか?」


 変なところで不器用そうだもんな、とマルテレスが溢す。


 失礼な、とエスピラは軽く返しながら「何も言っていない」と質問に答えた。


「むしろ何も言っていないからだな」

 とサジェッツァ。


 エスピラの目がサジェッツァに向いた。サジェッツァの顔もエスピラにやってくる。


「言葉に出して伝えろ。凱旋行進であんなパフォーマンスをした以上はウェラテヌスの中ではエスピラとマシディリは同格だ。きちんと話し、迷惑を掛けていること、これからもかけることを伝えるべきだ」


「早くないか?」

「かもな。あくまでも私ならそうすると言う話だ」


 そう言うと、サジェッツァはコップに酒を注ぐ作業に戻っていった。複数種混ぜ合わせるのが最近のサジェッツァの趣味らしい。


「だって。どうする? パパ」

「パパ言うな」


 エスピラはマルテレスの額を中指で軽く押した。

 マルテレスがふざけてのけぞる。


「言うと、逆に不安になるだろ。だが間違いなくマシディリは私の子だ。マシディリを見てもそう言える。むしろマシディリの父親が私以外の誰だって? 私しかいないではないか。それに、メルアに触れられる男も私だけだ」


「ああ。そういや噂があった奴の半分以上は死んでたな」

 けろりとマルテレスが言う。


「だから確かめようもない」

 とこれまたさらりとサジェッツァが言った。


 エスピラは一息吐くと、酒に満足したらしいサジェッツァが来るスペースを開けるためにベッドの奥に進んだ。なぜかマルテレスも同じ動きをする。


「マシディリの乗馬の件だが、私からも頼む。とは言え、私がアレッシアに戻れば私もマシディリに教える。そのことをマシディリに伝えておいてくれ」

「おう。ついでに、父上が寂しがっていたとも伝えておくよ」


 それは要らん、と言おうとしてエスピラは口を噤んだ。

 代わりに、勝手にしろ、と言っておく。


「しかし、子供の可愛い盛りに遠征に遠征とは。エスピラもつくづくついてないな」

「アレッシアのためにと言うウェラテヌスの背中を見せられているのなら、逆に運が向いているとも言えるがな」

「本当は寂しい癖に」


 心を読んだかのようなマルテレスの発言に、エスピラは眉一つ動かさなかった。

 一瞬の沈黙の間にサジェッツァが板にコップを三つ載せてベッドへとやってくる。


「まだ幼いエスピラの子供たちに届いているかは分からないが、パラティゾがエスピラの堂々とした立ち振る舞いに感銘を受けているのは事実だ。九つしか違わないエスピラが非会戦派の中心として会戦派からも認められている。自身の五年後十年後を見据えた時にどうするべきかをもっと考えないといけないと実感したと言っていたぞ」


 エスピラはサジェッツァから渡されたコップを受け取った。

 果実の華やかな香りと酒の匂いが良い具合にブレンドされている。


「随分と見せるべきでは無い姿も見せてしまった気がするけどな」

「完璧な姿を見せられるよりもずっと良い」


 淡々とサジェッツァが返してくる。


「なんて言うか、生まれた時から人の中心でどう生きるかみたいなのを考えないといけないとか、貴族も大変だな」


 他人事の調子でマルテレスが言って、コップを傾けた。

 おお、美味い! と素直な感動がマルテレスの口から零れてくる。


「すぐに他人事ではなくなるぞ」

 と窘めているものの、サジェッツァの口元は僅かに緩んでいた。


 酒の出来が褒められて嬉しいらしい。


「言っても、まずは財務官だろ? しかもオピーマは身内に元老院議員経験者が居ないからな。その間にまた遠征に加えてくれれば、その間に身に着けるってもんよ」

「それでは遅い」


 サジェッツァが明るいマルテレスの言葉に幕を下ろした。

 サジェッツァが板をひっくり返し、簡易的な半島周辺の地図が現れる。


(何を使っているんだ)


 酒を溢すつもりも無ければそこまで大事なモノでも無く、ベッドとの往復も最小限に抑えたいと言うサジェッツァの考えも分かりはするが。


「元老院は良く言えば柔軟に、悪く言えば言をひっくり返す形でグエッラ様も独裁官に任命した。あり得ないことをしている以上は、今後も手順を踏んで人事を行わずとも驚くべきことでは無い」


「あれは耳を疑ったなあ」


 マルテレスが他人事に近い調子で相槌を入れた。


「非常事態だからこそまかり通るようになったのだ。臨時の最高権力職である独裁官ですら安売りする時分と見て良いだろう。マルテレス。指名はすぐに来るかもしれないぞ」


「だってさ、エスピラ」


「私はイレギュラーな形とは言え一度軍事命令権を保有したからな。異例の人事をしているとはいえ、二度も私に権力を握らせるように動くとすればこれまで対象外だった者達も一気に権力を持つ瞬間になるだろうさ」


 ヴぇ、と言った、潰れた蛙のような声をマルテレスが出した。


「マールバラがこちらの執政官候補の性格を調べ上げているのであれば、こちらもこれまでの候補者以外から出す必要があるからな。変革は一気に来るだろうが、残念ながら今はマールバラの予想の範囲内だろう。グエッラ様が全軍団指揮するのがマールバラにとってベストな展開だったかもしれないと思えばまだ良い方だとも言えるがな」


「あのままサジェッツァをアレッシアの中に釘付けにしておいて、か?」

 とのマルテレスの言葉に、サジェッツァが頷いた。


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