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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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行方 Ⅱ

「元老院が私の傀儡だと?」

 マシディリが硬い分、エスピラは口角と目じりを緩める。


「そうは言っていません。傀儡であれば、マルテレス様とこうして戦うことは無かったと思います。

 ですが、父上から同じだけの権力を受け継ぎ、私の後継者も継いでいくのであれば、いずれは、元老院は意味をなさなくなるのでは無いでしょうか」


 うん、と小さく声を出しながら、右手の人差し指側面で自身の唇に触れた。

 足を踏み出しながら手を外し、そのまま右手を前後に揺らす。


「では、その前、私の前は誰だい? オルゴーリョ・ウェラテヌス、私の父上かい? それとも兄上かな。叔父上の線もあるか。いずれにせよ、皆、継承に失敗しているよ。私のお爺様は大層なお方だったらしいが、私には無関係とも言えるね」


「私はウェラテヌスのお爺様は良く知りません。記録として、人の話として知っているのはセルクラウスのお爺様です」


「なるほど。そう考えると、積み上げて来たものだ」


 尤も、タイリー・セルクラウスにきちんと対抗できる政敵はいなかった。

 メントレー・ニベヌレスが重鎮として座しており、タイリーも逆らうことは出来なかったが、二人が反目していたと言う記憶は無い。


「最早、父上の判断に文句を言う人は誰も居ません。皆、黙って従います」


 拗ねた、とも少し違う。硬い声ではあるが、憧れか。嫉妬では無く、それこそ、幼子が高いところに手が届く父に対して自分もそうしたいのにと強請るような声だ。


 三十を超えた愛息に対して使うのには適切な例えでは無いだろうが、エスピラは心から表情を崩した。おだやかな笑みのまま、マシディリを指さす。


「私は、父上が言ったからで」

「同じだよ。私も、マシディリも」


 膝もつま先も手のひらも。

 意識した訳では無いが、どこも閉じてはいない。顎も過剰に上げることも無ければ首を隠すことも無い。完全なる自然体で、エスピラはマシディリに微笑んだ。


「誰も何も言わない方が不健全だとは思わないかい? 誰かの意見を絶対だと信じ、従い続ける。それは腐った組織だ。大多数はそうであって良い。ほとんどの者が私の言葉を信じ、従うのであればこれほど都合の良いことは無い。でも、近くに居る者は私に対して意見を重ねてくれなければ困る。阿諛追従の輩は一人とて傍には必要無いよ」


 対して、マシディリの顔は下がる。首は見えにくい。

 だが、つま先は閉じておらず、膝も閉じていない。ペリースの下に腕を隠すことも無かった。


「軍議を見て、どう思った、マシディリ。

 羨んだか? 自分には反抗していたのに、私には何も意見を言わないなと心を波立たせたか? 自分の意見も言えないほどに、口を閉ざさねばならない激情が渦巻いていたか?」


 普段のマシディリであれば、当然そんなことは無いだろう。


 問題は此処が戦場であると言うこと。

 人の感情がむき出しになり、欲に歯止めが利かなくなる。害を被る者はどこにでもいて、人格が変わる者だって出てくる場所だ。特に今回は同族同士の殺し合い。共に死線を乗り越えた者、協力してきた者、交流を深めて来た者と殺し合っている。


 上に立つ者にのしかかる責務も重圧も疲労も、桁違いにならないはずが無い。



「苛立ちは仕方が無い。人間である以上は、自分の意見が何度も否定されれば心がささくれだってくるモノだ。


 だが、人の上に立つなら堪えろ。

 相手の意見に対しても、『なるほど』と思えるところを探せ。

 無いなら、どちらか、あるいは両方の力不足だ」


 先までの声は強く。

 ここからは、やさしく。


「マシディリは、どうして戦場で前に出た?」


 マシディリはまめな人間だ。他人の成果を隠すことも奪うこともしないし、自身の失態も素直に伝えてくれる、理想的な責任者でもある。故に、エスピラもマシディリと他の者の意見の対立の軸は知っていた。


「士気を、上げるためです」


 ぽつり、と一言。

 エスピラが頷けば、マシディリが続いて口を開いた。


「相手がマルテレス様やオプティマ様である以上は直接判断しなければならないことも多くありました。幸いなことに半島では優秀な高官に囲まれ、任せられる場所も多くあります。こちらに来てからも、ティツィアーノに片翼を任せることができました。

 だからこそ、現場ですぐに変事に気づく必要があると思ったのです。


 それに、マルテレス様も前に出てきます。オプティマ様も同様です。

 相手は前に出てきているのに、味方の頭は引っ込んでいれば、兵の士気はどうなるでしょうか。


 伝統的なアレッシア軍は、指揮官が馬に乗らないことで真っ先に逃げることは無いと兵に伝えてきました。父上も兵と共に戦場に立っています。神託も、あのようなことを言うのであれば私は死なないと言っているも同義です。


 相手はアレッシアの英雄。仇敵である雷神の化身と互角に戦った勇者です。

 どこにいようと危険なことに変わりが無いのであれば、少しでも味方を鼓舞すると言う選択もまた正しいモノでは無いでしょうか」


 エスピラは、視線を険しくした。


「部隊長の考えだな」

 今日一番の、厳しい声を出して。

 無論、マシディリが怯むことは無い。


「ただ、私がスペランツァと同じ発言をする時はマシディリに死んで欲しくないと言う感情に基づくモノだ。他は後。全ては言い訳。だが、この感情を公益にするためなら幾らでも理由を付けよう。


 例えば、お前は副官であり、軍事命令権保有者の代理として大軍の指揮を預かる者だ。その立場として、安易に前に出るのは避けた方が良い。


 それに、ウェラテヌスの次期当主だ。纏めてもらわないと困る。史上最高の当主に成れる者を、こんな私達の尻拭いで失うわけにはいかないからね。子供達も可愛い盛りだし、べルティーナも毎日マシディリの無事を祈っているよ。


 私の持つ広範囲の軍権を割る訳にはいかないのも理由になるな。纏まっているからこそ強い。これが砕ければ、隙となる。正しく継いでもらわねばならない以上、マシディリ以外に適任はいないだろうな。


 だからこそ、万が一は避けたい。


 私がスペランツァと同じ意見を言うとすれば、これが理由だ。だからマシディリを下げる。マルテレスやオプティマとの戦いも容認しない。必要ならば、私が直接指揮しよう。


 納得してもらえたかな」


「私も父上に死んで欲しくはありません」

 残念ながら、理解と納得は大海に隔てられているようだ。



「この乱は、父上がいない時に私が上手いこと元老院を動かせなかったことにも起因しています。その点、父上は戻られてからは素早く元老院をまとめ上げ、支援を徹底させました。このような芸当は、私にはまだできません。父上が必要です。


 それに、セアデラもまだラエテルと同じ年頃。幼い時に母上を失い、また父上をとなればどれほど傷つくでしょうか。セアデラだけではありません。フィチリタも、父上に結婚の晴れ姿を見せたいと思っています。


 それに、私と父上では周囲の反応に差がありすぎるのです。これから私が継承していくとしても、まだまだ父上には元気でいてもらわねば困ります」


「そうか。継承してくれる気でいるか」

 何を当然のことを。

 そう、思っただろうか。


「なら、何故前に出た? 前に出た方が危険だろう? 私を止める理由が継承のためなら、マシディリも必要なはずだ。意見が破綻していないか?」


「味方を、鼓舞するためです」


「なら私も同じことを言おう。味方を鼓舞するために、英雄などと持て囃されているこの名を使い、指揮を執ろう」


「マルテレス様もオプティマ様も前に出てくる方です。臆することはありません。こちらも応えねば、好機を逃し、敗北を喫することになりかねません」


「私も同じことを言うよ」


「違います。私と父上では、違います。

 父上の戦い方と私の戦い方は違うのです。父上の功績は遠征を含めた功績であり、防御陣地群を用いた防御的な戦闘と殲滅戦による喧伝効果を主軸としています。


 ですが、私の戦い方は、常に私も前に出てきました。兵数を誤認させ、味方を鼓舞し、野戦で決着をつけてきたのです。

 それに、戦術における私の師匠の一人はマルテレス様。師弟対決としても、逃げ続ける者に誰が着いて行きたいと思うでしょうか」


「私も一騎討ちはしたことがあるとも」

 ディファ・マルティーマ防衛戦では、マシディリの目の前で行ってもいる。


「現在の立ち位置が違います。戦場で自ら刃を振る時の私の行動の性格と父上の行動の性格も違います。私が前に立つのは、それが最善であり、兵の力をより引き出すため。父上は相手の士気を削ぐため。そうではありませんか? 今回必要なのは、どちらでしたか? 


 士気を削ぐのは、喧伝で十分にやっています。戦場で必要なのは味方を鼓舞することではありませんか?」



 エスピラは、一拍空けた。


 マシディリの呼吸音がはっきりと聞こえる。随分の声量も大きくなっていた。シニストラとは言わず、最初に離れたフィロラードまで聞こえただろうか。それとも、内容は分からずとも喧嘩と思いちらりと視線を送ってきたのか。


 観察を終えると、エスピラは口を開いた。

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