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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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行方 Ⅰ

「オプティマ様の謝罪先は、元老院ではありませんか?」


 普通ならば、他の者が口にしなければならなかった質問だ。

 そう思いながら、エスピラは口元を緩める。


 なるほど。ソルプレーサあたりは気づいたかもしれないが、口には出来ないだろう。他の者は、意見すらできなかった、と言ったところか。


「属州総督の決定権は、その元老院が私に一任したよ」

 態度としては、上位者として寄せ付けないモノを。


「あくまでも父上が決定権を預かったにすぎません」


「その通りだ。だが、西方も東方も、軍事行動に関しては私に一任されている。正確には、私の軍事命令権に書かれている、と言ったところかな。他ならない元老院が私に代理を認めた証左だよ」


「父上の命と引き換えに、ですか?」


 右目を細め、左目を大きくする。口は閉じたまま。ゆるり、と右目を閉じる。

 愛息の咎めるような瞳の色が濃くなった。


「第七軍団は、突破されるのかい?」

「いえ」


「自身の最精鋭とファリチェを入れる決断は見事だったよ。他の情報戦もね。

 戦場での勝敗など、時の運だ。無論、それだけでは無いが、どうしようもない部分も生じてしまう。

 その点、その後、戦闘をどう扱うかには運の要素は薄くなる。見事だ、マシディリ。時間をかければこちらが勝てる。かなりの確率でね」


「それは」

 マシディリの顎が引かれる。親指も拳の中だ。


「父上にもしもがなければ、と言うことでよろしいでしょうか」


 態度を誘因した考えとは別の言葉だろう。

 エスピラは、口角を緩めると息を吸いこんだ。


「私が死ぬと神託にでも言われたか? 死ぬ死ぬ言われると、本当に死んでしまうぞ」


 笑い飛ばすようにし、さらに一歩、護衛達から離れる。

 マシディリからは物音がしない。


「仮定の一つとしては用意してある。だが、全てじゃない。神託を下したのは誰だい? マシディリ」


 ようやく、衣擦れの音。

 それから、乾いた地面を踏みしめる音がして、気配も近づいてくる。


「シジェロです」

 声は、小さく。


「ほう。何て?」


「フラシ遠征の前に出ていた神託です。

『既に火種を失った。見失った。大事な火種だったのに。数多の炎の中に見失った。

 されど火種は微笑んだ。太陽のもたらした影をも照らす、愛しい炎の僅かに先で。消えてった』、と」


「おや、シジェロはその時には死んでいたのでは無かったかな」

 軽口一つ。

 クイリッタがシジェロの捜索を続けているのを知りながらも隠し続けたのは、何よりも当主に向いた才能の一つだろう。


「消えた火種は、フラシの独立さ」


 エスピラは、笑みを消した。


(シジェロの神託か)

 考えうる限り、最悪の展開である。


 エスピラの最も信頼する占い師は、シジェロ・トリアヌスだ。

 人間的にも個人的な関係としてもあまり好きでは無いが、占いの腕だけは代わりが利かない。何があろうとも、それこそメルアの機嫌を損ねると知っておきながらも距離を取り切れなかったのは偏にシジェロの腕前故にである。


 エスピラは、懐に隠したサジェッツァからの短剣に軽く触れた。今は鞘に仕舞ってあるが、果たして、その刃が向かうのは。


「違います」

 マシディリがはっきりと言った。

 手を止め、されど振り返らない。今は振り返れない。


「シジェロが死に際に書き残した神託は、それだけではありません。


『炎そのもの』。

 その神託もシジェロの傍にあったのです。


 シジェロの注釈として、『アレッシア人にとって炎とは大切なもの。また、炎と一口に言っても大きさによっては人が移動してできる風にも負け、ある程度の大きさがあっても風雨から守らねばならない。しかし、ひとたび大きく成れば街をも呑み込み、山を焼き払う大きさにも成る』、ともありました。


 最後には『順調に育てばエスピラ様に比肩するか、あるいは、もっと』、と」


「マシディリが小さい時に頼んだ占いだな。そう思えば、順調に育ってくれたよ。メルアと、お前の努力の結果だな」


 あの時は、タイリーが一年以内に死ぬとは思ってもいなかった。


「最後に、これでもかと大きく、『これで私の方が先に会える』と、勝利宣言をしていました」


 思わず、目が大きくなる。

 それから、ようやくマシディリに体を向けた。


「シジェロは良い時に死んだな。

 自分の占いが外れるのを見ずに死んだのだから。それも、外れたこともごく少数にしか知られずに、ね」


 愛息の口が閉じる。

 複雑な色だ。期待も入っているのは分かる。が、その期待には応えられない。


「メルアが、シジェロが先に私に会うのを許すと思うかい?」


 返事はかすかな眉の動き。

 数秒後の、いえ、と言う短い言葉。


「だろう?」

「ですが、母上はシジェロの言う通りに父上が動くことも許さないと思います」


 今度は、エスピラは少し口を閉ざしてしまう番だった。


 メルアに良く似た髪が、風に吹かれて僅かに揺れる。本当に僅かだ。良くある現象の一つに過ぎない程度である。


 本当に。普通のことだ。


「そうだな」

 表情筋から力が抜け、それでも、顔はおだやかなまま。


「メルアが怒りそうだ」

「怒っていると思います。現在進行形で」


「困ったね。でも、相手はマルテレスだ。神託関係なしに、私の死も仮定しておかないといけないだろう?」

「父上」


「マシディリ」

 ぴしゃり、と名を呼んで口を封じる。


「お前の後継はどう考えている?」


 質問は、もう一度空気を緩めて。

 目は真剣だと、はぐらかしている訳では無いと訴えるように。


 マシディリが無音ながら大きく息を吐きだしたのが分かった。


「仮に、今誰かが継がねばならないのだとしたらセアデラを当主に据えます。ですが、もっとウェラテヌスの権威が安定していればラエテルにいたします」


「どうしてだい?」


「現時点ではセアデラの方が優秀だからです。混乱したウェラテヌスを纏めあげ、再度大きくするにはセアデラの方が適任でしょう。


 しかし、十分に大きくなり、東方も西方も睨まなければならないのであれば、ラエテルの方が適任です。長く続く組織とは、上に立つ者より優秀な者が下に割拠し、上に立つ者はそのことに喜びを覚えていることが理想では無いでしょうか。


 影響力が大きく成れば多くを見なければならず、組織も大きく成れば摩擦も大きくなります。その時に上に立つ者に求められるのは、人々を上手く動かす歯車になること。優秀な者達の意見を聞き、理解して、判断を下せる。意見を容れた者達への褒美も、否定した者達への説明も忘れない。


 そこを考えれば、大きく成った際にはセアデラの方が適任だと思いました」


 うん、と一度、エスピラも頷く。


「文句のつけようの無い判断だ。それで良い。それが良いと私も思うよ」


 人と仲良くなる早さも、ラエテルの方が早い。奴隷に声をかけている様子もラエテルの方が多く見る。長男と末子の違いはあるだろうが、兄弟に対して目を配っているのもラエテルである。


 もちろん、セアデラの方が文武に優秀なのも、エスピラの見解と一致したものだ。


「同じだよ、マシディリ。

 私の場合、マシディリのおかげで後継者に迷ったことは一度も無いけど、どう残すかも考えるものだろう?


 歴史を振り返れば一人が持つには強大で、世界を考えればまだまだ足りないこの大権を、誰が継ぐのか。それは元老院では無い。元老院に返してはいけない。


 マシディリ。私が手にしている大権は、余すことなくお前が継ぐべきだ。中途半端な力は別の力から攻撃を受ける。今の私がそうであるように、ね。


 それを抜きにしても、副官として私の後に指揮を執るのなら絶対に必要だろう?」


 マシディリの表情がまた硬くなる。


「元老院の機能をすっかりと奪い去れ、と言うことですか?」


 声も、すっかりと角が出来ていた。

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