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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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月が昇る

「時間が無いからね。やり取りはアレッシア語の文章で納得してもらおうか。人手も無いし。文字の形と、数字だけ覚えてもらおう。ま、そうやって作った担当者が多少ずるをしても、目を瞑ってあげようか」


 エスピラは、片目を閉じて口角を上げた。

 返ってくるのは「かしこまりました」と言う慇懃な返事。


 当然のことながら、占領地政策でもある。物資のやり取りはアレッシア語で。そして、アレッシア語を使える者が得をする。東方やハフモニなどでもやってきた手だ。ゆくゆくは、アレッシア語が公用語になるようにと言った考えである。


 現時点では、現地の言葉にも文化にも手は出さない。しかし、アレッシア語学習の過程でアレッシアの文化は流入する。してしまう。


「マルテレス側についた部族に対しては圧を強めようか。マルテレスの出方次第、いや、違うね。イエネーオスの出方次第では壊滅も視野に入れるよ」


「イエネーオス」

 反応したのはフィルノルド。

 恐らく、フィルノルド以外も思っていたことを、代表して短く口にしたと言ったところだろう。


「半島を脱してからの戦略はイエネーオスだよ。インテケルンがいれば、ヘステイラと組んでもっと長きにわたる戦略を立てられただろうけどね。でも、現状、あの軍団を次に率いる可能性が高いのは実力で言えばイエネーオスで、血筋で言えばスィーパス。


 マルテレス達はエリポスとの協力や共闘を夢見ていただろうけど、半島から追い出された時点で夢物語。フラシ側から行くにしてもマフソレイオで止まってしまう。海も島々はこちらが抑えているからね。


 半島から出ての戦略が上手く行かなかったのは、イフェメラを見ても明らかだろう? あれだけエリポスで人気があったのに、エリポスは見捨てた。動きが非常に遅かった。ディーリーがいなければエリポス政策が厳しいモノになることは分かっていたはずなのに。


 彼らには、その気になれば援護する力はあったのにね。


 それを思えば、エリポスに傾倒してしまうのは良くない。

 目の前しか採れない選択だが、実行できるのはイエネーオスさ。それに、オプティマはカルド島での失態が身に染みている。マルテレスは略奪の許可なんて下ろせない。賊を呼び込み、賊のような攻撃を行い、最終的にはエリポスと手切れをする。


 ヘステイラやメルカトルも立てられない以上、イエネーオスとみるべきだよ」


 尤も、確定的な情報では無いけどね、とエスピラは閉じた。


 イエネーオスは、学習の出来る人物でもあり、野心もある。第一次フラシ遠征では、身内びいきはあったもののマルテレスは高潔であったかもしれない。しかし、兵の心は掴めなかった。


 これを、スィーパスやアスフォスなどに求めずに、兵への褒美の多寡に求めたのがイエネーオスであり、その判断は間違っていない。報告書でも褒美に関して割いている文量はマルテレス派の中で最大であった。


 無論、報告書を読んでいない人間では触れられない情報であるが。


「冬の前に、決戦を行いますか?」

 フィルノルドがさらに聞いてくる。


「行わないよ」

 エスピラは、首を振る動作も付け加えた。


「マルテレスとは戦わない」

 エスピラとマルテレスが親友であることを知らない者はいない。

 その関係性が深いのは、軍事行動の記録からも裁判の記録からも見て取れる。普段の生活はなおさらだ。


 だから、危険な一言である。


 それを承知で、エスピラは一拍、間を開けた。



「マルテレス以外を叩き続ける。できれば、戦場を周辺の集落にばらけさせたいね。徹底してマルテレスとは戦わず、マルテレス以外が出て来た戦場で勝ちに行く。ただし、オプティマも警戒対象だ。


 故に、同時に襲う集落は三つ以上。本陣には強力な騎兵隊を残し、敵が陣を手薄にしたらこれを襲う。


 本陣に残すのは、第一軍団とアグニッシモだ。

 それから、オプティマと交戦を許可するのはティツィアーノ、メクウリオ、ジャンパオロ。クイリッタと兵数に劣るフィルノルド様は退くように。メクウリオも交戦時間を短くしてくれ。


 基本は第七軍団も本陣に残そうか。ただし、第一軍団よりも救援要請に対して機敏に動いてもらうよ。その際の指揮権はマシディリだ。そこの命令系統ははっきりとさせておこう。実績としても、能力としても、長期の戦略を練りながらマルテレスと戦場でも渡り合えるのはマシディリが一番手だ」



 冬が近い。

 当然、集落には蓄えてきた物資があり、これを戦争で奪われるのは避けたいと思うモノだ。


 そこを、突く。

 即座の救援要請がマルテレス側に届けば、動かざるを得ない。動かないあるいはアレッシアになびいたのなら、移住してもらう。


 幸か不幸か、カウルレウル・ウルブスやシャガルナクなどほぼ廃村と化した集落はそれなりにあるのだ。土地は困らない。農地の割り当ても、マシディリが占領地に残された情報を読んでいるため、仮割り当てぐらいならばすぐだろう。


 無論、後々に土地を巡る訴訟は増えるだろうが、そこは仕方が無い。


「連れて来た捕虜は?」


 フィルノルドの声は、やや低いか。

 食糧を圧迫するだけでは? との声が裏にはある。ただ、声を聞くことは無い。


「手順を踏んで、かな」

「手順ですか」


「そう。手順だ。

 まずは、オプティマに直接謝罪に来るように使者を送るよ。最後の機会だ、とね。

 直接謝罪に来て、自ら軍団を解散し、属州総督の地位を返上しに来い。そうしたら、許すことができる。処罰は必要だが、命までは取らないし記録も残す。とね」


 フィルノルドの眉間が険しくなった。反対に、口はしっかりと閉じられている。


「スィーパス、ヘステイラにも糾弾状を送るつもりだよ。一人には元老院を無視した勝手な占領政策について、もう一人にはアレッシアが下した裁定を破ったことについて」


 アレッシア人でないから従う必要が無い、と言ってしまえば、ヘステイラは派閥内でも力を手放すことになる。仮に力を持ち続ければ、目の前のマルテレス派がアレッシアの政権を握ることは出来ない。誰も受け入れなくなる。


 何より、先の段階ではヘステイラを許しつつ今回は厳しく糾弾することで、蔦が見えれば掴まなければより深くに落ちる、との強迫観念を植え付けるためだ。



「あとは、マルテレスには理を説くよ。


 あれだけ人気者だった君が、どうしてアレッシアからさらなる増援を受けられないのか、とね。宿場町もどうして想定よりも早く制圧できたのか。


 それは、君がアレッシアと言う後ろ盾を失ったからだ、と。威光をはっきりと消滅させることで、さらなる脱走兵を誘発しようと思ってね。


 これからは冬だ。基本的に戦闘は避けたいよ。代わりに、冬そのものを利用させてもらう。厳しい冬を越えても、春になれば勝手に瓦解してしまうような状態が最善だね」



 そのために、これまでの反乱者とは異なり『その後』を明確に知らせ続ける。元老院の正式文書として、その後をはっきりと見せるのだ。


 基本方針に異論が無いことを確認すると、エスピラは次に軍団の再編と銘打って確認を始める。だが、変更することはほとんど無い。やるのは直接の褒め言葉。それから、功ある者を聞き出し、彼らにも声掛けに行くこと。褒美を取らせること。




「流石ですね、父上」

 副官として、記録の真偽と功績の加筆を行っていたマシディリが、こぼすように言う。


 覇気のない言葉だ。気掛かりでもある。

 それでも、エスピラは相好を崩して愛息に顔を向けた。


「息子にそう言ってもらえると嬉しいね」


 ただし、表情を徐々に真顔へ。

 場所も軍団から少し離れ、護衛として着いてきていたフィロラードにも少し離れてもらった。シニストラは、変わらず。しかし、言わずとも途中で止まってくれた。アルビタも遅れて止まる。


 これで、外ではあるがマシディリと二人きりだ。


 冬の風は冷たく、息を吐くたびに入ってくる空気が体を冷やす。ペリースで覆われている左半身は風をある程度防げるが、右手は大分冷たくなった。


 でも、まだその手は温めない。


「私の方針か言葉に、納得いかないところがあるんじゃないかい?」


 今は亡き愛妻に良く似た髪色の愛息に、探るような視線を向ける。

 多分、マシディリの気を落とさせているのは別のところ。でも、まずは話しやすいところから聞くべきだと判断して。

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