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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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アライオの戦い Ⅲ

 攻撃を当てるのが狙いではない。できれば突き出す瞬間を合わせて欲しいが、大事なのは高さの統一。故に、マシディリは普段より早く号令を上げた。


 そうして突き出された槍が、敵騎馬の足を大きく上げさせる。急停止した結果、落ちる騎兵も続出した。暴れ馬を乗りこなしている者と、後ろに追突された者。そして、蹴とばされた味方。


「ポルトス! 見事な勇気です!」


 前に出過ぎだと言う思いも、恐怖で前に出過ぎましたか、と言う思いもある。


 が、必要なのはこの経験の足りない軍団に勇気とやる気を出させること。

 退かれるよりは前に出てくれた方がありがたい。そして、ただ黙って待つ方が精神的に辛いのだから、動かす命令を下すのが一番。


「眼球を狙え!」


 前列と、後方への指示。

 普段のアレッシア兵よりも杭によって長くなった射程で前列は騎兵の目を狙い、後列は杭や小石で以て敵騎兵や馬の目を狙う。


 顔は、いわば避けやすい場所。

 それは体が反応するからでもある。


 最初に恐怖に耐える時間があり、爆発させた結果簡単に手に入れた勝利があり、追撃を我慢してこちらに来た兵が、文字通り自身の眼前に恐怖の結晶を再び晒される。


 いつもよりもさらに不安定になっている馬上で咄嗟の動きが大きく成ればどうなるのか。


 自然、ほとんどの兵が攻撃どころではなくなる。


「腹から声を! 勇気を込め、一歩前へ!」

 ずい、と槍が前に出た。


「さあ、元の姿勢に戻るために、もう一歩出ましょう!」

 言葉にならない野太い叫びと共に、兵が動く。


 後方から、光が打ち上がった。

 ポタティエである。偽装退却後の戦闘の推移がどうあれ、ある程度の時間を伝えて上げるように命じていたモノだ。


「退け!」

 エリポス語による叫びが聞こえた。

 声は、おそらくイエネーオス。

 元々勢いが削がれていた敵騎兵は、隊列を乱しながら一気に下がっていった。


 ポタティエの軽騎兵も向かってきているとは思うが、追いつくのは難しい。重装歩兵では騎兵に対して追撃をかませない。

 追撃が出来なければ、多分、立て直すこともできる。


(それも考慮しての撤退指示でもあるのでしょうが)

 あるいは、土煙の奥から赤い光と派手な一団が現れるのを警戒したか。

 イエネーオスの突撃を隠ぺいした土煙は、同時に更なる部隊の出現も隠ぺいするのだ。


(それとも、敵の中でアグニッシモの存在が大きくなりすぎている、と言う可能性もありますね)

 それならば目立つ紅を用いさせた意味もあったと言うモノだ。


「警戒指令を」

 アルビタが、すぐに光を打ち上げた。

 土煙を越えて伝わることを願いつつ、イパリオン騎兵との接触で手に入れた角笛の音色でも伝えるべく、帰ってきたばかりの軽装歩兵を走り回らせる。


 敵の方が数が多い。

 即ち、受け止めながら後列から兵を出すこともできる。その兵で、攻めてきている兵を包囲することも。


 武器を構えずに走り回る騎兵は、彼らへの牽制だ。

 視界の効かない中での蹄の音は、いもしない集団を幻視する。角笛の音は味方への伝達以外に敵に対しての威圧にもなる。そうなれば、一人一人の単位では敵も積極的には動きにくくなるものだ。


 ただし、全ては決定打には遠い。


 夕方を狙ったのは追撃を防ぐために夜の闇を利用したいがため。

 与えた時間は、兵の質に寄る精神的な影響によって兵数差を埋めようとして。

 相手が手にした利点は、最精鋭騎兵を呼び戻せるだけの時間。


 夕焼けに差し掛かった空に、幾本もの赤い光が立ち昇った。


(さて)


 マルテレスも、本人の活力と同等にオーラの量が非常に多い人物だ。

 どこにいるかは、横から見ればわかる。問題は数人が一斉に上げているのを角度によっては見えないこと。偽物がいると分かりつつも、前線の兵達には本物がどこにいるかなど分からない。


 この状況での撤退命令を、兵は、どう、捉えるか。


 マシディリが迷うことを見据えての作戦だろう。


「全軍撤退」


 すぐに、決断を下す。

 例えマルテレスに対して弱気になっていると思われようとも、傷の浅い内に撤退する方が良い。


 同時に、マシディリは中央に位置するヴィルフェットとコクウィウムの隊を前に出した。両翼を構成する自身の隊とティツィアーノの隊は斜めに折れ曲がる。自陣に対して末広がりになる形だ。戦闘正面を増やす形である。


 土煙に混ぜるのに役立つ葦の毒玉は、残念ながら使えるほどは無い。

 半島にいる時の戦いでは、ふんだんに使ったのだ。当然、補充は必要になってくる。だが、補充にも優先順位はある。


 食糧に、通常使う武器。それと、道や港の整備に必要な物資。これらが最優先。特に食糧は現地部族に対して約束しているのも有り、余計に必要だ。緑のオーラ使いや白のオーラ使いの負担を減らすために薬の類だって増えている。


 アレッシア軍全体で使われているとは言いようが無い葦の毒玉などは、優先順位は最底辺。あっても、斥候に持たせて逃げるために使ってもらうだけ。


 故に、受け止めるしかない。

 勢いに乗り始める敵を。

 その出鼻をくじいて。


(『また』撤退戦だと、言われてしまいますね)

 自嘲の笑みは、ごく短く。


 味方が戻ってくるより早く、左翼から敵軽装歩兵が現れたとの伝達があった。

 多数であること、土煙が発生しやすいこと、武具を満足に用意できないあるいは半裸で戦う部族がいること。


 それらを加味し、利点にしようとした時に取れる作戦だ。

 敵より横に広がり、後ろの部隊を隠匿する。土煙もまた隠匿の一環。そして、騎兵でなくとも身軽な歩兵は早く走ることができる。


 ただし、想定の範囲内。

 マシディリは、自部隊にも備えている網を見た。漁に使う網だ。テルマディニやアグサールにはたくさんある。これを放れば相手の動きは鈍くなるし、部隊の両脇ならば両端が鋭利な杭を地面に突き刺しておいても味方の邪魔にはならない。


 そして、嘯く。

 全て見抜いていた、と。


 あくまでも幾つも想定し、対処できる方法をできうる限りで集めていただけの、相手の動き一点読みなどでは到底ない事柄であっても。


 まるで、そう取るしかないですよね、と言わんばかりに。


 絶対的に読み切っている頭と、それを信じ込む体。

 それでも。


(数か、質か。どちらかさえあれば)


 立ち昇った赤いオーラが、まずは右翼を蹂躙する。

 山中のパライナ、端のアグニッシモは反応ができない。ヴィエレ隊も恐らくは迂回しようとした敵を潰しているか、アグニッシモがいなくなった分薄くなっている。


 だから、ポタティエ隊を貫かれる。


 仕方が無い。

 中央はマルテレスにとっても最も突撃しにくい場所だ。


 敵軍も殺到しており、その後にマシディリ側の兵も蹴散らさないと平野に出ることができない。全てを封鎖するにしても兵が足りない以上、出てくるまでにかかる時間で撤退するしかないのである。


「マシディリ様」

「撤退。急いで」


 百人隊長の声に、淡々と返す。

 狙われるのは、きっとコクウィウム隊。コクウィウムではマルテレスを止めることは不可能だ。突破されてしまえば、厚い隊列を鉄床に、マルテレスと言う鎚を叩きつけられてしまう。


 兎にも角にもマルテレスの妨害が先。

 そのためには、騎兵でマルテレス隊を襲うしかない。騎兵で襲うには、騎兵を先に下げるしかない。騎兵が先に下がれば援護は無く、歩兵はひたすら敵歩兵に食い下がられる。


 隊列を組めるうちの撤退である。

 作戦に組み込まれている。

 夕暮れは団結力の高いアレッシア軍に有利。


 だから、何なのだ。

 地獄の撤退戦に変わりは無い。



「先んじて、撤退を」


 高価な腕輪が、沈みかけている太陽の光を反射する。マシディリは、思わず顔をしかめた。


 目に付いたのは、発言者、カレヌス・アンピウスの腕輪である。マシディリよりも年上だが、系統としてはスペランツァに従う立場。関係性としてはマシディリの従兄。タイリーの四女フィアバの息子である。


「では代わりに死んでくれますか?」


 返事は、無い。

 高価な腕輪は二つも着いている。


「冗談です」

 言い終わると、マシディリも部隊を連れて撤退を始めた。


 軍団としては至極真っ当な決断である。この軍団に於いて、最高決定者はマシディリ。マシディリを失うことは一時的に頭をもがれることと同義。失わなくて良い命まで消える結果に繋がるのだ。


 だと言うのに、気持ち悪さは残り続ける。


(第三軍団がいれば、戦場でも勝てたと言うのに)


 良からぬ考えだ。

 それは、良く分かっている。父が「グライオが居れば」「ヴィンドが生きていれば」とこぼすことが多かったからこそ、良くない思いだと良く分かっている。


 でも、例えば、最後に残していた部隊がアビィティロとグロブス、マンティンディであれば。


(詮無き事ですね)

 でも、第三軍団なら撤退することに安堵したりしない。

 確かに優勢に推移していた戦場で、先に去る事態にはならなかった。


「アルビタ」

 友を傍に呼ぶ。


「私の従兄は、たくさん戦場で露と消えました」

 トリアンフからコルドーニまでの従兄は全員死んだ。フィルフィアの場合は刑場もある。

 コクウィウムは、まあ、死なないだろう。


「?」

 すちゃ、とアルビタが剣を握る音が聞こえた。


「必要ありませんよ」


 ただ、本当にスピリッテが報われない。


 祖父(タイリー)(タヴォラド)と比べ、自身の非才を嘆いていた従兄は、生きていれば間違いなく執政官になっていただろう。今も、軍団を率いていたはずである。


 あるいは、プラントゥムにマルテレスを閉じ込めることに成功していたか。


(良い人ほど死にやすい)

 被害報告を聞きながら、瞬きを減らす。


 夜を迎えたからか、投石機を何度か打ち込んだからか。

 幸いなことに、敵の追撃は激しくは無かった。

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