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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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アライオの戦い Ⅱ

 大地を揺らす足音に、怒声が混ざる。事実、土煙の向こう側では上官たちが敵方に降った兵の名を叱り続けているはずだ。


 恐怖と言うのは刻まれる。

 第七軍団と違い、先に半島を発っていた軍団の兵は新旧混合。当然のことながら、殺人技術に長けた先輩兵士による可愛がりもあったはず。その思いが、敵兵の身を竦ませるか、あるいは、逆に奮い立たせるか。


(難儀なモノですね)


 可愛がっていた兵が奮い立ったのなら、自身が討たれるのも本望だと言う気持ちも理解できてしまう。例えそれが裏切り者であっても。憎しみに変わり切ることは難しい関係も往々にしてあるものだ。


「待機」


 心情は一切顔に出さない。

 平坦な声を、しっかりと軍団に通らせる。


「全軍、待機」


 フィルノルド隊は完全な突出だ。

 そのような部隊は各個撃破の好機。敵にも動きが出てくる。もちろん、制する動きも。


 乱れがすぐに収まったのは敵左翼、イエネーオスの側。

 乱れが持続し、今もなお隊列が戻り切っていないのはスィーパス側。


 将の質は嘘を吐かない。乱れを晒す敵右翼は隙であり、秩序を保とうとする敵左翼を完全に叩き潰すのは骨が折れる。


「動くな。石に成れ」


 全軍を見て回る動きも、ゆっくりと。


 こちらを警戒し続けていた敵も、耐えきれないのか徐々に前に出て来た。

 いや、突撃を敢行しているフィルノルド隊に思ったよりも勢いが出ているのも要因か。


(何列まで破壊できるか)


 敵は、諸部族混合。

 持ち場の維持と言う理由があれば、わざわざ死地に向かわないかも知れない。あるいは、攻め寄せられている味方の救援よりも自身の功を欲して敵の側背を突くのを優先してもおかしくない。それらが、後々の禍根を残すとしても。


 我慢が利かず、崩れ出したのは敵右翼。

 何名かが取りつき始め、兵の勢いに任せるようにスィーパスも動きを開始する。


(焦るな)


 言い聞かせ、第二撃。


 打ち上げた合図は、パライナへ。敵左翼後方、遠回りをして林の中を進んでいた部隊による襲撃だ。今回は、敵も道を知っていると仮定し、予めレグラーレに部隊を預けて放っている。


 イエネーオスの乱れない対処は流石だが、これではどうあがいてもスィーパスへの補助には入れない。崩しにくい敵左翼への攻撃であるため、この攻撃による直接の戦果は多く望めないが、戦場全体では大きな戦果になるはずである。


「アグニッシモ!」


 備えていた騎兵よりも先に、最大の槍を突き出す。狙いは当然イエネーオス。前面に出ているイエネーオス隊の一部か、あるいはイエネーオス本人が後ろに移動していたのなら、大きな隙だ。移動していないのなら、移動はできなくなる。


 さて。自身の前面にも騎兵が並んでいると言うのに、遠くの騎兵が先に動き出したら兵はどう思うのか。中央の苛烈の突撃と土煙に隠れていれば、何を考えるのか。


 こう考える者が多くなるだろう。

『左翼の方が危機的状況である』と。


 後は、仲間意識の差。助けに行くのか、自らは助かろうとするのか。


 あるいは将の腕の見せ所。


 その点で言えば、スィーパスは踏ん張れる将だろう。

 一方で左翼はどうするか。イエネーオスは、アグニッシモに相対するか。


 マシディリとしては、どちらでも構わない。

 アグニッシモは時のフラシ王イポテスもイパリオンの派閥の一つの頭領であったバスタートゥもその手で殺している。今回の戦役でも高官を叩き殺した。オピーマ兄弟を最も討ち取っている者でもある。


 その調子でイエネーオスを討ち取れれば、一気に敵の将官は小粒と化す。

 直接相対しなければ、体力の持つ限りはこちらが優位を手放すことは無い。


 味方左翼も動き出した。

 最初の突撃は騎兵から。自身の後方にも兵と注意を向け始めた敵は、更なる混乱に陥っただろうか。その直後にケーランとトクティソスが突撃を開始する。重装歩兵の圧力だ。


 戦場は、全面的にマシディリの有利となる。


(あとは)


 じ、と視線を中央へ。

 大岩をも蹴散らす水流の如き勢いが、徐々に途切れ始めていた。


 敵は縦深の厚い大軍。突撃の勢いがあればあるほど戦いに参加しなければならない兵は増え、相手は代えが効く。しかも、相手からの突撃が無い分はこちらが走らなければならなかったのだ。


 地道なことだが、徹底して直接戦わず、些細なことでもこちらの体力を削ろうとしてきている。


 質の差を、運動量で僅かでも埋め、兵数差で押し切る。


 それが作戦の根幹だろう。


(この戦場は囮)

 マシディリは、太陽を睨む。


(退却のための部隊も残す必要がある)

 空の色が淡くなりつつあるが、此処から夕焼けとなり沈むにはまだ長い。普段であればすぐに感じるが、今日は、きっと、やけに長くなる。


「ヴィエレ隊とポタティエ隊も突撃。スペンレセ隊は補助と中央への援護を」


 これで手元に残るのはファリチェから受け取った第七軍団第三列のみ。中央にヴィルフェット、コクウィウムと展開されて、左翼も残るはティツィアーノのみだ。


 後は、全員敵軍へと向かっている。

 苛烈な攻撃で何層か削れていても、まだ敵の旗は動かない。


 多くの隊の移動によって乾燥した土地に砂ぼこりが発生し、視界不良になったのはどちらの味方か。敵の混乱を鎮めるか、それとも助長するか。


「マシディリ様」

 地面に耳を当てていた兵が静かに叫ぶ。


「ヒブリット。準備を」


 軍団長補佐に列せられてもおかしくない実力者だが、率いてもらっているのは敵の隊列を乱すための軽装騎兵。数も二百。

 きっと、土煙を利用して近づいてきた敵には及ばないだろう。


「杭を持ってください」


 されども、足りない物は別のモノで補うのみ。


 イエネーオスにしろ、スィーパスにしろ、マルテレスにしろ。

 一番の威力を誇り、相手も自信を持っているのは騎兵突撃。こちらの重装歩兵が減った瞬間ならば最大の威力が出せると踏むはず。いや、混乱にあるのなら、味方の士気を上げるためにも行わない手は無い。


 そして、精鋭騎兵が後ろにいたと言うことは、前衛の騎兵には少なくない数の諸部族混合騎兵が居るだろう。馬を持つ荒くれ者よりも持たない荒くれ者の方が多いのなら、騎兵の胆力に関しては、多分、イエネーオスが欲する基準には達していない。


 喚声が上がる。


 馬が嘶いた。


 音からも、敵の方が圧倒的に多いと伝えてきている。あるいは、アグニッシモとの戦いを避けて全部連れて来たか。



「皆さんは、新たな主力になる部隊として、精鋭部隊の種として選ばれた精兵です!」

 ヒブリットが最初に稼ぐ時間は多く無い。


「ですが、まだ雛だ。私と同じ。飛べない鳥に過ぎません。

 鷲であっても両翼が無いと空を飛べないのです。


 ケラサーノでは、第三軍団と第四軍団がおりました。今は、第四軍団だけ。今の私は飛べない鳥。しかし、もしもあなた方が精鋭部隊の雛では無く精鋭部隊へと飛び立つ若鳥になったのなら、私の両翼は揃い勝利を得る雄々しき鷲と成れるのです。


 さあ、此処が分水嶺。

 共に飛び立とうではありませんか。大空を越え、アレッシアの、栄光へと!」



 ヒブリット隊が敗走する。

 逃げる軽装騎兵を我先にと追うのは、欲深い兵。釣られるのは意志薄弱か連れ戻すためか、後れを取ったと思っている者か。


 いずれにせよ、敵部隊が一時的に乱れる。

 ただし、戦闘があった以上備えられる危険があるのなら、突撃を敢行して側面を突くしかない。土煙を利用した奇襲ならば、なおのこと。



「お待ちしていました」


 言いながら、マシディリは槍を手に取った。

 先端には杭を結び付けてある。簡易的だ。鍛冶屋が圧倒的に足りないため仕方が無い。

 それでも、先端が尖った物に変わりは無い。それも、いつもより長い。この長さは兵の勇気を補う長さ。いつもより馬と遠くで良い長さ。そして、いつもより馬に近づく長さ。


「突き出せ!」


 最初の命令は簡潔に。

 マシディリは、練度と経験に劣る兵のために、簡潔な命令と自らの手本によって騎兵の前面に立たせた。

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