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使い続ける理由

「ベルベレを捕え、尋問したのがエスピラ様で良かったよ」


 口には出さないが、エスピラも評価をきちんと聞くグエッラが報告相手で良かったと思ってはいる。例え派閥として敵対していても。


 決して言うことはしないが。


「ただ、マールバラは恐らく私にベルベレを捕まえさせたのでしょう」

「エスピラ様に?」


 グエッラが怪訝な声を出したが、すぐに目が大きくなった。

 口元を抑えながら、目が細かく動き、やがて止まる。


「捨て駒か?」


 グエッラの聞きたいことでは無いと、エスピラも分かっている。


「でしょうね。本人は否定していますが」


 ベルベレが納得していても騙されていても否定するだろうが。


「作戦行動については何か言っていたか?」


 グエッラの聞きたいことではあるが、多分一番話したい話題では無い。


「会戦場所は常に選定しているとか。今回もある程度選んでいるとか。詳しい作戦行動は常にマールバラだけが決めて、マールバラが直前に必要のある人物に話すだけ、らしいですので詳しいことは何も分かっておりません」


「尋問は?」


「柔剛合わせて様々やりましたよ。もう喋れなくして良いのでしたらもっときつくもできますが」

「いや、良い。信用している」


 ふう、とグエッラが重い息を吐きだした。


「なら、私が言いたいこともお分かりで?」


 やや腰を深く落とし、エスピラはコップを傾けた。


 グエッラが露骨に嫌な顔をする。


 そして、表情を変えずにグエッラが右手を振った。奴隷が出ていく。


「エスピラ様。まさかウェラテヌスが言をひっくり返すなんてことはありませんよね」


 低く丁寧な口調でグエッラが言う。


「グエッラ様こそ、私の発言をきちんと思い返してください。私は、どういう時に会戦に協力すると言いましたか? 今、反対しないことこそアレッシアの神々と父祖を裏切る行為。そうは思いませんか?」


 エスピラも口調は丁寧に返した。

 コップをグエッラの方へ押しやり、身をやや乗り出す。



「高官と受け取ることもできる人物をマールバラは切ったのです。その上、いくつもの勝利をこちらに献上している。北方諸部族なんて言う個性の強い、纏まり辛い集団を抱えたうえでその行動を取っているのです。


 今、会戦を最も望んでいるのはマールバラだ。


 マールバラの軍団は、敵地に居る以上は纏まり続けるでしょう。ですが、北方諸部族は違う。彼らは先の大勝の幻影を見ることでしか留まり続けていない。マールバラは、そろそろ次の成果を欲しているころです。こちらから仕掛ける必要は無い。罠にかかりに行く必要は無い」



 グエッラも対抗するように身を乗り出してきた。



「それはこちらも同じこと。

 私は会戦すると宣言したのだ。


 ここでひっくり返せばどうなる? 兵の士気は大暴落だ。戦う戦うと言っていた軍事命令権保有者が戦わないと言う。誰がそんな軍事命令権保有者を信じる。誰が従う。誰が補佐筆頭に過ぎないウェラテヌスに屈したトップに付き従う。此処で会戦をしない選択をした場合、アレッシアが組織的に攻めることは金輪際できなくなるのだ。

 それだけじゃない。全軍解体もありうる。この軍団では無理だと解体命令が出ることだって有り得るのだ。本国の雰囲気は会戦一色だ!


 エスピラ様も良くおわかりでしょう。そうなればどうなるか。どういう結末を迎えるのか。纏まるためには最早会戦以外に手段は残されていない。

 戦って、勝つしか無いのだ」


 言っていることは尤もである。

 それは、エスピラにも分かる。


(そう言う状況にしたのはどこのどいつだ。目の前のグエッラ・ルフスでは無いか)


 この状況は、副官としての役目を放棄して会戦を主張し続け、兵を扇動したこの男の自己責任だとすら思えてしまう。


 例え、グエッラの後ろにさらに色んな思惑があったとしても。そのためにグエッラが先鋒になっているだけだったとしても。


「サジェッツァを呼び戻しましょう。そうすればまだ良い方になります。今、サジェッツァが戻ってくれば会戦を回避できる可能性があるのです」


「回避するのが本当に正しいのか? 慎重になりすぎているだけでは無いのか? エスピラ様は、大層タイリー様に気に入られていたそうだな。守ってくれる盾が無くなって怯えているだけでは無いのか?」


 左手の革手袋がぎりりと悲鳴を上げた。

 思わず強くなる眼光を、エスピラは理性でねじ伏せる。


「臆病なのは欠点では無く、勇猛なのは美点だけでは無い。要は使いようだと思いますが」


「だが上官が臆病でどうする。勇猛さを宿し、全軍を鼓舞するからこそ相手の腹を突き破れると言うモノ。アレッシアの伝統で最大の戦術は数を揃えての中央突破だ。北方諸部族の忠誠が薄れている今、彼奴等にアレッシアの恐怖を戦場で思い出させれば戦線は崩壊する。敵が会戦を求めていると言うことは、戦場で敵を崩壊させられる最大の好機だと捉えることもできるのだ!」


 物の捉え方を変えることで返してきたか、とエスピラの頭の中のどこか冷静な部分が分析する。


「奴らの団結の一つはアレッシアへの憎しみです。恐怖で分解する可能性と同時に団結する可能性があることもお忘れなく」

「十分に検討している。それが軍事命令権保有者だ」


 グエッラのコップがエスピラの目の前に置かれた。


 エスピラはそれを払いのけるように動かす。


「検討しているならサジェッツァの呼び戻しもお忘れなく。友は、ずっとマールバラについて調べておりましたから。偏にアレッシアのために。自分が独裁官になる保証など無かったのに。その友を自分の弁舌では勝てないからと卑怯な手で留め置いた者の口がアレッシアの伝統戦術を語るなど、片腹痛いわ」


「言葉には気を付けろ、エスピラ・ウェラテヌス。上官は私だ」


 圧と圧が激突する。

 たっぷりとにらみ合い、先に口を開いたのはグエッラ。


「それと、留め置いているのは私の意図では無い。一緒にするな」


「最初からですか?」

「最初からだ」


 はっきりと、隠し事など無いと言わんばかりに言い切るグエッラを、エスピラは心の中で笑った。


 エスピラの手には、手紙が届いているのだ。


 エスピラ宛では無い。グエッラ宛だ。アルモニア・インフィアネが得た、護民官からグエッラに当てた暗号化された手紙。サジェッツァを留め置く期間を尋ねるモノ。


(何が売国奴か。売国奴は、理想しか語らず、良く知りもしないで大きな声ばかり出す連中のことだ。目の前しか見えない愚か者め)


 護民官の言い分である。

 戦わないことが売国奴だと言うのだ。


「縁戚の者ならば、戦場に立ちもしようとしない護民官の口を黙らせては如何です?」


 エスピラの左の口角が上がった。

 目には昏い光。


「護民官特権に切り込むのは、いただけないな。それは平民の特権だ。貴族連中にとやかく言われたくは無い。それこそ国を割る愚かな行いだとは思わないか?」


 勝手にしろ。


 無責任にも、エスピラの心に真っ先にその言葉が浮かんだ。


 護民官が声を大にしていることに、一部の民も同調している。否。同調している者の方が多い。だから貴族や新貴族、平民の一部が眉を顰めても動きは少なかったのだ。

 何も知らない、考えもしない、外からとやかく言っているだけの輩がどれほど多いことか。そういう奴らを守るために、何故、ウェラテヌスやマシディリが犠牲にならないといけないのか。売国奴などと罵られなくてはいけないのか。まだ幼い息子にありもしない不貞の個だと言う疑惑をかけられなくてはいけないのか。


(勝手にしろ!)


 そんな感情を圧し潰して、エスピラはグエッラを見送った。


 居なくなった直後にコップを引っ掴み地面に叩きつける。上手く割れなかったそれを、足で踏みつぶし粉々にした。


 二度、三度とねじ込むように足を捻り、砕き切る。


 それから、大きく強く、重い息を吐き捨てた。


「今見たことは忘れろ」


 パラティゾ、グライオ、片付けに来た奴隷に冷たく言い捨てると、エスピラはパラティゾにソルプレーサを呼ばせた。


(勝手にしろ、は無責任だな。貴族としての責務は果たさなくては)


 腕をめくり、思いっきり噛みつくと、エスピラは血をすすり一息ついた。

 足音が近づけば傷を隠し、通せと目で合図する。


「お呼びでしょうか」


 ソルプレーサ、パラティゾ、そして呼んではいないシニストラと入室してくる。


「軍団を割るぞ、ソルプレーサ。圧倒的に有利な持久戦で堪えられない大将ではマールバラに勝てん。それに護民官もうるさい。何のための独裁官だ。すぐに物事を決めるためでは無いか。それが元老院のお歴々はその動きを止めると来た。なら、従来の執政官二人体制で十分。

 グエッラ・ルフスを執政官にするように働きかける。奴の軍団と、サジェッツァの軍団。それで良い。どうやら、アレッシアがまとまるためにはもっと強い刺激が必要なようだ」


 エスピラはやや荒い息でまくしたてた。

 シニストラがエスピラと同調するように頷く。パラティゾはやや腰が引けている。

 ソルプレーサは、恭しく頭を下げた。


「かしこまりました、が」


 そして、ソルプレーサが腰から山羊の膀胱を取りエスピラに中身をぶっかけた。


 エスピラの髪が顔に引っ付き、冷たい感触が頬を伝って顎から落ちる。無味無臭は、得難い綺麗な水の証だ。シニストラが激昂してソルプレーサの襟をつかみ上げた。ソルプレーサの表情は変わらず真っ直ぐにエスピラを見ている。


 エスピラはゆっくり目を閉じると、拭わずに流れるがままに俯き加減の首を少し傾けた。


「頭を冷やしたうえでもう一度ご命令ください。私たちの敵は誰と想定して、何を守るべきなのか。上に立つ者としてエスピラ様に求められるモノは何か。それを理解したうえでご命令を願います」


 淡々と、ソルプレーサが言った。


 ズキズキとした腕の痛みと垂れる水、砕けたコップに意識をやってから、エスピラははりついた髪を手でかきわける。


「軍団を二つに分ける。サジェッツァの下で、サジェッツァの作戦を支持する部隊とグエッラ様の下で突撃を敢行する軍団だ。そのためにグエッラ・ルフスを執政官にする。その工作に着手しよう。マールバラの強さを理解している者を一人でも守り、そしてもう一度伝えてアレッシアを一致団結させるのが我々の使命だ」


 今度はゆっくりと、落ち着いた声でエスピラは紡いだ。


「仰せのままに。………それで、私への処罰は如何致しましょうか」

「何があっても私を諫め続けろ。それを上官であり庇護者である私への不敬の罰とする」


「かしこまりました」

 言うと、ソルプレーサが出ていった。


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