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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
1336/1592

漢の

 結論から言うと、アグサールはすぐにはマルテレス軍を追い出さなかった。

 三日間滞在させたのである。


 アグサール側の理由を断定するのは不可能だ。でも、マルテレス側が仮に多少強固であっても滞在したい事情なら分かる。


 兵以外の者だ。


 テルマディニからアグルサールは、兵なら二日か三日の距離。そこに六日かけ、ようやくたどり着いたのは、行軍が遅い者に合わせたからに他ならないはず。であるのなら、休息を設けたか、あるいは、休息をしなければならないほどきつい道を歩むつもりなのか。


(さて)

 仕掛けますか? と言う問いかけは、マシディリも良く聞いた。

 だが、動かない。


 追いかけるマシディリ側の兵力は切り離していることもあり二万。対して敵は減っていても四万以上。アグサールの周囲にかなり分散していることから、外側と小競り合いをすることはあっても、基本は陣地に下がらせることにしたのだ。


 あくまでも、しっかりと存在を知らせながら着いて行くだけ。

 敵の精神的な摩耗を狙う作戦。同時に、補給をままならなくさせ、崩す。

 賊あがりも多いなら、食べていけなくなれば瓦解もしていく可能性が高いのだ。


 ただ、後悔したことが無かったかと言えば嘘になる。


 マルテレスは、テルマディニを北方に抜けていたのだ。

 スペンレセらを配置していた集落に現れ、戦闘になったとの報告が入ってきたのである。


 水源の防衛には成功し、兵の被害も少なかったのは事実。

 同時に、マルテレスが『協力者』を得て、食糧を始めとする幾つかの物資を得たのも事実であった。


 続くマルテレスの猛攻に対し、スペンレセとポタティエ、ヴィルフェットは遅滞戦術を展開。湖までゆるゆると引きながら、隘路での防備を完成させたらしい。そうなれば、マルテレスも無理に攻めてくることは無く引いて行ったそうだ。


 ただし、救援要請としては出続けている。


 マシディリは、決戦もあり得るとして残りの第七軍団とフィルノルド隊を引き連れて出発。二日かけて合流するも、既にマルテレスはいなくなった後。


 マシディリ達が離れている間に四万の敵軍はファバキュアモスに移動し、なおかつ多くの部隊に分け、十キロほど北に行ったところにある水源で採水を行ったとのことだ。


 ティツィアーノも、妨害をしなかった訳では無い。

 しかし、ティツィアーノの手元にいるのは一万で、目前の軍団は五万。


 どうこうできる方がおかしい兵力差だ。

 こちらが一気に呑まれないように気を配るので精一杯であり、むしろ攻め込まれないほどの姿勢を示し続けたことを褒めるべきである。


 しかも、マシディリ達はファバキュアモスから距離を取る形で離されてしまっていたのだ。下手な攻撃から会戦へと繋がれば、それこそすべてが破綻してしまう。


 マルテレスは戦場だけの男では無いのは当然のこと。だと言うのに、忘れかけていたことでもある。


「ある程度、補給はされてしまいましたか」

 マシディリは背筋を伸ばし、風に乗せながら堂々と呟くも、本心では机に肘を着き、瞼を抑えて呟きたかった。


(冬営は仕方ないとして)

 ならばせめて、相手の数を維持したまま、相手自身にすり潰してもらうのが良いだろうか。


(強がりですね)

 地図を見つめ、息を吐く。


 ファバキュアモスは、どこに行くにも隘路がある。


 東方、テルマディニに戻る道もしばらくは広く続くが、途中で狭くなる。北方、マシディリが作った三角の植民都市群に行くにも丘陵により狭くなる場所があり、西、プラントゥムに帰るにも山脈の脇を抜けるために細くなる。しかも、湖もあるのだ。グライオがオピーマ船団を沈めた今なら、封鎖自体は容易いだろう。


 が、確実にどこかは突破される。一番可能性が低い北方にも兵を割く姿勢を見せる必要だってあるのだ。


 一見すると、アグリコーラにマールバラを閉じ込めたサジェッツァのような立場だが、兵数も圧倒的に違う。


 マシディリの兵数は、マルテレスの半分以下。

 何もせずに着いて行くことが最大の攻撃であるが、それ以外何もできないのである。


 隘路の封鎖。

 確かに良いだろう。


 しかし、マルテレスならば分散した兵力を徹底的に叩くことができる。マルテレス対策に同数の兵を割けば、本隊同士の兵力差はますます広がる。本隊同士の兵力差を維持しようとすれば、マルテレスに食い荒らされる。


「マルテレス様に対して、攻陣戦を強いる」


 その意味では、ファバキュアモスに留まらせているのは良い状況だ。

 浮かないのは、即座にできる防衛陣地がどこまで戦えるかの例となり得たテルマディニ北方、スペンレセ、ポタティエ、ヴィルフェットの向かわせた集落を同数程度の兵でマルテレスに押し込まれてしまったこと。


 果たして、閉じ込めることができるのか。

 ともすれば、各個撃破の好機を与えるだけでは無いのか。


 マシディリの中にすらある疑念を、スペランツァが気づかないはずが無い。


 結果として、マシディリはただただマルテレスが出す徴発部隊を叩き続けるしかできなかった。


 グライオとの事前のすり合わせによって敵部隊に有利な位置に閉じこもられることだけは避けられている。小競り合いに関しても、有利な場所に誘い込んで、と言うことも出来た。


 が、全ては小規模な戦闘。

 勝利の数は大きけれど、小石を積み上げているようなモノだ。

 相手とすれば嫌だが、マシディリ側としてもいつ崩れるかと怖いモノである。


 目を閉じ、息を吐く。


 手は無意識の内に箱に伸びていた。


 冷たい箱だが、中身は温かい。愛妻からの手紙である。他愛のない内容から、アレッシアの大事まで。多くが書かれているが、読み返した回数が多いのは他愛のない内容の方である。


「マシディリ様」

 冷たい風が入ってきた。

 天幕が開かれたのだ。レグラーレが、入室の可否を尋ねるより早く中に入ってきている。


「オプティマ様が出てきました」


 頭に浮かぶのは、疑問符。

 さっと立ち上がると、緋色のペリースを整えながらマシディリは外に出た。


 曇天だ。しかし、雲は重いと言うよりも白い。

 次いで、耳が陽気な音を捉える。裸踊りでもしているのだろうかと言う音であり、オプティマ様と言うことはしているのだろう、とマシディリは結論付けた。


 レグラーレの案内を受けつつ、音の方へと向かう。その間、マシディリは自軍の観察も行った。


 音の方へと向かっている兵もいる。だが、残っている兵も多かった。

 向かう割合が多いのは経験の浅い方に分類される第七軍団。残っている割合が多いのはフィルノルド隊。


 実際に見える位置まで行った際に、観察に徹しているのは鎧の傷が多い兵。どちらかと言えば目を大きくし、重心もすぐに変えられなさそうなのは若い兵によく見られた。


『付け入る隙はある』

 見に来るなとは言わない。

 だが、分布の偏りはそう思われてしまっただろうか。


「おおう! マシディリ様!」


 不意の、大声。

 裸踊りをしている男たちの先頭。

 こちらは鎧を着こんだままのオプティマが、白く大きな歯を見せながら右手を挙げた。


「お届けものを届けに参った!」


 開けっぴろげで、親しさすら感じさせる大声である。

 そんなオプティマの後ろ。隠れてはいるようだが、確かに草木の揺れが見える。土で汚した鎧も見えた。


(オプティマ様も、周囲からは反対されて此処に来ている)

 だまし討ちでは無い、とオプティマを知るからこそマシディリは判断した。


「楽しい贈り物だと嬉しいのですが」

 表情を少しだけ緩め、声も半音高く。


 オプティマと視線を合わせるような一拍を用意すると、マシディリは門を開くようにと合図を出した。


 反対の声は強引に殺し、レグラーレ、アルビタ、アグニッシモを連れて外に出る。向こうもオプティマが先頭になり、一人だけ供をつけて近づいてきた。無論、その後ろにいるのは丸腰には見える裸踊りの男の群れ。


「楽しいかは保証できないが、俺は楽しかったぞ」


 にかりと笑い、オプティマが手招きをした。

 半裸の人夫が、筋肉質な上半身から湯気を出しながら、二人がかりで大きな樽を担いでくる。

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