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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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千里の腹心

 元老院からの使者がテルマディニに入っていった。


 今頃は、朗々と書状を読み上げているはずである。

 ヘステイラの罪を軽くし、代わりにスィーパスも罪人に加える、と。メルカトルの罪はそのままで。


 無論、ヘステイラは元老院に対して何もしていない。


「もう一度降伏勧告を出すなら、今、ですかね」


 道路の整備も進み、カレルノミュレゾンまでイーシグニス隊が出て来た。


 この地に関しても占拠しながら港の整備を進め、テルマディニの南部はほぼ制した状態である。


 近場最大の淡水池もティツィアーノ隊が守りを固めて久しく、山場の水源争いは続いているが、五万の兵を養うには相手も負担が大きすぎるだろう。


「マルテレスを引き抜ける自信があるのなら今だと思いますが、堅実に行くのならもう少し経って、ヘステイラとメルカトルで派閥が形成されてからヘステイラ側の人間を引き抜いた方がよろしいのでは?」


「へーすぅてぇぃいらぁ?」


 アグニッシモは、酔っている訳では無い。

 嫌いなのだ。純粋に。大きな理由は母上が嫌っていたから、と言うモノであるのだが、気に食わないのである。


 ただし、ヘステイラも愛人として娼婦として立派な女性。

 このあたりも、アグニッシモが女嫌いと言うことにされかけている理由だ。


「おじさんとおっさん以外引き抜く意味無いでしょ」

 おじさん、がマルテレスのことで、おっさんがオプティマのことだろう。


「アグニッシモの目は」

 言いかけたスペランツァが言葉を止める。

 アグニッシモに認められ、仲良くなった人物としてはティツィアーノもいるのだ。そのあたりを考慮したのだろう。


「アレッシア病ですか?」


 質問を投げかけてきたのはフィルノルド。

 フィルノルドの言う『アレッシア病』とは、任期間近の執政官が手柄を欲して無茶をする、あるいは普通ならあり得ない条約を結んでしまうことを指している。


「いえ。そもそも、私の手柄でしたら半島から追い出した時に十分にありますから」


 オプティマが来たことで、マルテレス軍の数も増えた。

 しかし、すぐに鈍化している。様々な要因はあるが、半島での快勝もその一つだ。


「なら、交渉には賛成させてもらう。この兵力差は如何ともしがたい。野戦はこちらの不利。本隊の到着には時間がかかる。

 幸いなことにグライオ様のおかげで港の確保は済んだ。本格的な戦いにならないようにするのも、立派な役割だと思うが」


 マシディリは、少しだけ安堵した。

 反対意見を良く言うのはこの二人なのだ。条件付きながらの賛成であれば、マシディリの思い通りに動く可能性も高くなる。


「エスピラ様との密な連携の取れない中で、二方向からの分断策はやめた方がよろしいかと存じます」

 よもやの反対意見はファリチェから。


「マシディリ様はマルテレスと現地住民との分断策を進めているからこそ、エスピラ様はアレッシア人同士の分断に着手したのでしょう。此処で下手に手を出せば、破綻の種となります。

 何よりも、マシディリ様とマルテレスは師弟関係であり、エスピラ様とマルテレスは親友の間柄。此処に来ての温情は横槍の危険性を高くし、こちらの分断にも繋がることも否定できません」


「いや、こんなことで横槍って」

「元老院とは狩場です」


 体を起こしたアグニッシモが口をつぐむと同時に腰をやや後ろに落とした。


「まあ、わざわざ立場が悪くなるなら、やんない方が良いんじゃ、良いと思いますよ」

 二人目の第一軍団経験のある高官のヴィエレにまで反対される。


「裏切者への処罰に関しても、軸が定まらないことにも繋がりかねません」

 最後は、ファリチェが締めた。


 軍議の場では発言しなかったが、ティツィアーノも「主導権をオプティマ様が握っている可能性がある」との理由で消極的な姿勢を表明してくる。


(主導権はオプティマ様)


 有り得ない話では無い。

 加えて、オプティマが主導権を握っているのなら、父の繰り出した分断策も想定以上の効果は発揮しないだろう。


 無論、オプティマが握り続けることを想像しづらいのはその通りであるが。


 地図を眺め、棒でつつく。


 現在、テルマディニ東方から南方にかけては完全に包囲した。北に広がる山場は未だに小競り合いが多発しており、西にまでは兵を伸ばせていない。伸ばしてしまえば、他が突破される危険性が非常に高くなるのだ。


 ただし、本隊が到着すればテルマディニで完全に包囲することが可能になる。


(マルテレス様やオプティマ様相手では、野戦に望むよりも攻城戦の方が戦いやすいはず)


 マルテレスを降伏させられるのが一番だが、そうでなくとも時間は稼がねばならない。

 こちらには、交渉の用意があると見せてでも。



「グライオ様のところへ行ってきます」

 マシディリは、地図をたたむとそう言い残し、ヴィルフェットとアルビタを連れて南へと赴いた。


 今日の軍議の内容とマシディリが何を目的として提案したのか、そして、そこまでして降伏勧告を行う必要は感じていないことも伝える。


 その間、グライオは口を開くことなく黙って聞き続けていた。


「どう思いますか?」


 最後に、グライオに投げかける。

 なおも口は閉じたまま、グライオの視線が左上に行き、左下に落ちていった。


 ぱちり、と火が爆ぜる。


 大分冷たい風は、なるほど、テルマディニ内部の軍団はかなりの量の布を必要とするだろうとマシディリに思わせた。


 やがて、グライオの口が開く。


「まずは、現在の私に於いては職権外と言うことを念頭に置いていただきたいと思います」


 静かな声は、なおも言葉を吟味しているようだ。


「その上で私が考えることは、エスピラ様は何をお望みなのか、と言う一点のみ。

 恐らくですが、マルテレス様との問題を降伏で済ませることは不可能だと思います。簡単な意思で蜂起した訳ではありません。エスピラ様とマシディリ様が交渉にあたっても蜂起を貫いたことでそのことは明らかです」


 だから、時間稼ぎでも構わない、とマシディリは考えている。

 でも口には出さない。グライオの話は、珍しくまだ終わっていないからだ。


「死んでいった兵は、どのような思いで死んでいき、何を託していったのか。託された者は何を思うのか。マルテレス様はそれを無下に出来る方ではありません。愚直なまでに貫こうとし、そんなマルテレス様をエスピラ様は尊重されるはず」


「では」

 グライオが顔を上下に動かした。

 マシディリも口を閉ざし、眉間を険しくする。


「エスピラ様はマルテレス様を思っていらっしゃる。故に、マルテレス様の名誉を重んじると思います」


「命よりも、ですか?」

 聞いたのはヴィルフェット。

 父を早くに亡くした子としての、当然の問いかも知れない。


 グライオの目は、新たに優しさを灯すことは無かったがしっかりとヴィルフェットを映した。


「命を大事にすることも間違いではありません。

 ですが、マルテレス様が選んだのは名誉。選択を尊重するのも親友であればこそ。

 崖から落ちる友に手を差し伸べるのも、飛び降りるための勇気を与えるのも。必要であれば、背中から押すのも、親友であればこそ」


 腕を組み、唇を巻き込む。

 グライオがかすかに微笑んだ。それから、地図を広げ、テルマディニの西方を指さす。


「マルテレス様が逃れてきた時に、滞在させないようにと申しつけてあります。無論、そのために差し出した物資はアレッシアが補填いたしますが、テルマディニから逃げる時には女子供老人もいる以上、マルテレス様も速度は出せません」


「追いつける、と」


「徴発部隊を潰し続ければ、離脱者も増えましょう。

 私の仕事は制海権を確保し、マルテレス様を枯らすこと。

 マシディリ様の仕事は港や道を整備し、現地住民からの協力を取り付け、本隊を出迎えること。


 下手に北上すればモニコース様へと刃を向けたことになり、ドーリスに喧嘩を売ることになると意識させれば、自ずとマルテレス様の行動範囲を狭められます」


 次いで、グライオが各地を指さし始める。

 防御陣地を築きやすい場所、物資を調達しやすい場所のグライオなりの見立てだ。


 それは、テルマディニ脱出後、部隊同士がぶつかりやすい場所。先んじて抑える姿勢を見せるか、あるいはその地を捨てて誘導に走るかを決めるのに必要な知識。


 上手く行けば、よりこちらに有利な、マルテレスに対して攻陣戦を強いることすらできそうな策。

 逃げ出した東方に戻ろうとすればまたテルマディニ攻防戦が始まり、アレッシア本隊ともやや早く接敵する。北上すればエリポスを敵に回すようなモノ。


 ならばとプラントゥムに向かうのなら、マシディリに有利な状態で残りの月日を戦える策だ。


(これが)

 グライオ・ベロルス。

 父の腹心。最も信頼されている男。

 他の軍団の者による否定に対してのささくれなど全く抱かず。

 染み込むように、マシディリに入ってくる条件だ。


「流石、ですね」

「ありがとうございます」

 グライオが丁寧に頭を下げる。


「ですが、相手が目先の勝利を選べば、こちらも手痛い損害を受けかねません。最善は、私もテルマディニにマルテレス様達を閉じ込めておくことだと思っております」


 方針として決まった後の一言も、やはり、マシディリにとっては完璧に思えた。

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