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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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狐と狸が鼬の巣で Ⅱ

「トリンクイタ様がマルテレスと戦うことはありませんよ」

「私もエスピラ君がマルテレス君と戦うことになると考えて生きてきたことはほとんど無かったさ」


「先の言葉をお約束いたしましょう」

「出来なければ責任を取る、と言うことかな」

「そうなりますね」


 家に虫が土足で上がり込んでくるような不愉快さだ。


 ただし、その虫を踏み潰すようにして感情を仮面の下に隠す。感情を隠しているのはトリンクイタも同じだ。朗らかでにゅうわな顔の下に、何を隠し持っているのやら。


「オプティマ君の任命責任は、どう、取るのかな?」


 詰問。

 いや。

(自身の自由に関しても聞いてきているのか)


 取ると言えば自身にも制限をかけるのかと言う方向へと話を持っていく。

 取らないと言えば、責任感の無さに関して詰めてくる。


 どちらに転んでも、トリンクイタに利があるはずだ。


「共に討ち果たす。それだけです」


 そして、エスピラは足を組んだ。

 トリンクイタの目ももちろん動きのある足に行ったが、僅かばかり普段より長く組まれた足に視線がそそがれている。


「属州総督の話はお忘れください」

「良いのかい?」

「他にも人材はおりますので」

「おや。酷い言い草だ」

「言葉を選ばなければ、私と意思の合わない有力な者はたくさんいる、と言うだけです」


 朗らかで自嘲的な笑みを貼り付けて、エスピラは悠々と言った。

 そのまま茶で口を潤す。


 事実、トリンクイタを属州総督として解き放つのには懸念もあった。トリンクイタもエスピラが絶対に求めているとは思っていなかったようだが、トリンクイタが思っているよりもエスピラはトリンクイタを求めてはいなかった。


 エスピラは、そう、温度差を認識している。


「焦っているね」

 ぬ、とトリンクイタの上体が前に来る。

 エスピラは、内心目を細めつつ、表情の変化は一切させなかった。


「私を焦らせる存在だと認識しているのですか?」

「メルア君と死のうとしていた時には無かった焦りかな」


 エスピラの言葉を無視し、トリンクイタが続けた。

 目はぎょろぎょろとしているようにも見えるし、ガラス瓶の底まで指を突っ込んでかき回しているようにも思えてくる。あえての不快感は、演出か、否か。



「忠告ですよ。トリンクイタ様の能力は、ディファ・マルティ―マ帰還後の私に大いに役立ちましたから。色々と思うところはあれども、トリンクイタ様無くして私の今の地位は無かった。


 そうですね。

 言うならば、属州総督は私なりの思いやりでした。


 目に見える外敵の方が、忍び寄る背後の味方よりも備えやすいでしょう?」



「ほう」


「サルトゥーラ・カッサリアが本当に死んでいたら、あるいは裏切っていたら身を隠した方が良い。サルトゥーラと貴方は対です。あるいは、その均衡を貴方が崩すか。崩した場合は、貴方が上に立つしかありませんが、ね」


 トリンクイタの眉間に皺が出来る。


「ポルビリ、ティミド。アルモニア君か?」


 呟くような言葉は、しかしエスピラの観察に用いている単語だ。

 故に、エスピラも一切態度を変えない。


「私が提案し、トリンクイタ様が断った。それだけです」

「断ってはいないさ」

「義理は果たしました。クロッチェ様にもよろしくお伝え下さい。唯一、メルアが肉親として慕っていた方でしたから」


 落としていたドライフルーツを残さぬように茶を飲み干し、陶器を机の上に戻すとともに立ち上がる。


「そうそう。コクウィウムはどうしましょうか。

 危険ですが、功を立てられるような配置を望むのか。

 比較的安全ですが、功の少なくなるような配置を願うのか。

 尤も、最後に決めるのは運命の女神の賽ですけどね」


 トリンクイタを、見下ろして。


「運命の女神は賽に善悪も好悪も含まないと聞く以上は、無意味な問いでは無いかな?」

 トリンクイタも常通りの雰囲気で返してきた。


「好機を掴むのは私達ですよ。一瞬の機をモノにできるか逃すかは、その人次第」


 言って、歩き出す。

 シニストラがすぐにエスピラの後ろに付き、トリンクイタとの間の壁となった。


「私の負けか?」


 エスピラが部屋を出る直前に、トリンクイタがどこか楽しそうに言う。口角を上げている表情も容易に想像できる声だ。


「さあ。先に待っています、としか」


 それだけ言うと、トリンクイタの反応を待たずしてエスピラは部屋の外に出た。

 取り決めることは他にもある。根回しも必要だ。


「ソルプレーサ」

「此処に」

 空気から生成されるように、音もなくソルプレーサが現れた。


「元老院での採決の後、アルモニアと会談の場を持つよ。調整するように、と伝えて来てくれ」

「かしこまりました」


 元老院も民会も魔窟だ。

 だが、元老院に住まう魔物は自らの力が後ろ盾となる者も多いが、民会に住まう者はウェラテヌスからの援助によって才を活かせた者も多い。




「以上の理由から、民会の意思としては属州総督かそれに相当する地位をエスピラ様に兼任していただきたいとの結論に達しました」


 後日。

 元老院の議場にて。


 まるでエスピラの意に反するかのような民会の結論が発表された。


 エスピラは、権力の集中を理由に一度これを固辞。

 再度民会で審議に戻るが、結論は変わらず、むしろ元老院議員の中の支持者が広がる形で戻ってくる。

 神殿関係者も後押ししたが、エスピラは渋る姿勢を変えなかった。


 変えたのは、議場の外で民意に触れて。

 折角だから、とフィチリタとセアデラを連れて露店に出て、その場で何故か噂として漏れていた話を聞いた者達にも頼まれて。


 そこまでして、エスピラは民会からの提案を受け入れ、属州総督の地位及び任命権を自身の預かりとした。


 面倒な手順だ、とは思う。その上で、今回の軍事命令権保有者を受け入れた条件がきちんと明文化されているのを確認した。


「この粘土板が守られるのなら、任命権に関しても、マシディリ様に委譲されることになります。それから、解釈によってはプラントゥム以外の属州総督も、マシディリ様が任命権を持っていることになるでしょう」


 議事録保管庫で、アルモニアがそう言った。


 民会の意思も、元老院の議長を務めているアルモニアが大部分に介入できる。


 強力な支配体制だ。

 独裁者の懸念を持たれ、本人もそう見えないように振舞いに気を付けていたタイリー・セルクラウスすら超えたとも言える。


「最盛期か」

「突き進むか、跡形もなく消えるか。

 分水嶺に立った権力者は漏れなくその岐路に立つと言いますが、エスピラ様の場合はマシディリ様が正しく継いでくれますので、後者はあり得ないと思います」


 ウェラテヌスの、と最初についても。

 エスピラの、と最初についても。


「アルモニアは、私についてきて後悔したことがあるかい?」


 もう二十年以上前。

 マフソレイオへの使者としてタヴォラドやエスピラ、マルテレスにアルモニアと言った面子が派遣された時の記録に触れる。


「難しい質問ですね」

 アルモニアの指は、それから三年後の記録に伸びている。


「着いて行ってからは、言うほど無いと思います」

 アルモニアの指が横、近年に近づく方に流れた。


「そうか」

 エスピラも、指を放す。


「これからもウェラテヌスを頼むよ」

「後ろはお任せください。エスピラ様の帰りをお待ちしておりますので」


 苦笑し、手を振る。

 後は、メルアの眠る霊廟に赴き、家に帰り、最後にまた霊廟に行ってから軍団と合流するべく船に乗る。


 意外と時間がかかったのか。

 それとも、未練が足を重くしたのか。

 それは分からない。判別はしようとは思えない。



「さて」


 ぎゅ、と船から降りる前に神牛の革手袋をきつく縛り直す。


「もう一つ、交渉か」


 降り立ったのはクルムクシュ。

 アレッシアの朋友への礼と、裏切り者へのお礼をしなければならないのだ。

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