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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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歴戦の

「我慢大会を開きましょう」


 ぽん、と手を打ち、マシディリは明るく告げた。

 内容は単純。相手が行ってきている挑発を最前線で聞き続けられた者の勝利だ。


 同時に、信の置ける百人隊長に溜まり過ぎた怒りをなだめる役目も任せる。相手の挑発に乗らず、怒りをため過ぎず、しかし必要とあれば爆発できるように。


(まあ)


 後者、爆発については無くても構わない、とマシディリは思っている。

 暴走される方が怖いのだ。事が全部上手く行く可能性など低いのである。ならば、最悪だけは避けたい。


 そうやって、日々の挑発を乗り越えるつもりである。毎日続く挑発を。

 だから、その日も朝早くから敵の挑発部隊が現れた。

 いつもと違うのは後方、東側からグライオからの伝令が現れたこと。


「報告いたします!」


 マシディリと同じ陣にいる高官、スペンレセ、ポタティエ、ヴィルフェット、クーシフォスも揃った中で、伝令が膝を着き声を張り上げる。


「グライオ様がテルマディニを占拠いたしました!」


 目が丸くなる。

 何時息を吸ったのか、肺は満たされていた。


「グライオ様が?」


 目を大きくする高官達は、皆口を真っ直ぐに引き締めている。必要以上に動きを制限しているようにも映る仕草は、上がりかねない口元にも表れていた。


 その中で大戦果を報告する伝令は、しかし揚々とした顔はしていない。


「はい。ほとんどの敵兵が出払ったのを確認すると、二つの港に強行上陸を果たし、宵闇に紛れて一気にテルマディニに迫りました。多くの部隊を南に見せ、北側に回した変装した兵を援軍と思わせることでテルマディニに侵入、開門させて一気に奪い取ることに成功しております。


 しかしながら、守り切るには兵力も足りず、我らの兵装も水軍仕様。一万の敵が戻ってくれば維持は出来ぬと放棄せざるを得ません。


 その旨の了承と、一時的とはいえ手柄を横取りするような真似に対する謝罪をいち早く着伝えるようにと、グライオ様が仰せでした」


「謝罪など。とんでもありません。こちらこそありがとうございます」


 頬が緩まないように力を入れつつ二度頷き、ぽん、ぽん、と右手で左手のひらを打つ。

 それから、再び伝令に顔を向けた。


「ちなみに、奪取したのはいつですか?」

「昨日の昼にございます。ですが、東側の囲いを解き、全軍が入場したのは日が暮れてからになりました」


 ぽん、と先よりも強く手のひらを叩いた。

「流石ですね」

 作戦も。人選も。


「アグニッシモ、クーシフォス、ミラブルム様は追撃の用意を。

 それから、スペンレセとポタティエ。ヒブリット、ユンバ、コパガも連れてうるさい奴腹を一掃してください」


 マシディリの伝令が頭を下げ、一斉に散る。

 陣中も一気に騒がしくなった。もちろん、外には伝わらないように気を付けるが、人の移動は増えていく。隠れて行うために、余計に密になる。


「北の陣はファリチェ、中央はスペランツァ、此処はプラントゥム以来の精兵をトーリウスに預けます。挑発部隊の一掃後、全軍は前に出てください。

 騎兵もアグニッシモは陣立てに参加。クーシフォスは最左翼。ミラブルムは遠回りをして敵後方に出るように」


 その後も、指示を飛ばす。


 全軍が入場したのは日が暮れてから。それまでは敵の伝令を封じていた、と言うことだろう。


 そうなれば、マルテレスもテルマディニの陥落を知るのは早くとも今朝。挑発部隊をいつも通りに出して撤退するか、一部の兵を残すか。あるいは段階的に引くことで時間を稼ぐか。


 マシディリであれば、マルテレスを先に退かせ、オプティマが最後尾を務めさせる。撤退戦とはいえ、オプティマ軍の方が数が多いのだ。テルマディニの奪還も、マルテレスであれば十分。


 あるいは、全軍でぶつかってくる可能性もあり得る。相手の情報がどこまで正確かにもよるが、マシディリ達を叩き潰した後で、と言う作戦も間違っていない。


「さて」

 散々に打ちのめされた挑発部隊が去った戦場を眺める。


 冬が近いのだ。

 草木による土の保持能力は下がっているのか、葉による湿度が低下しているのか。いずれにせよ、砂ぼこりがうっすらと舞い、戦場を見えづらくする。


 その奥に見えるのは、正面からの朝陽をさほど反射しない鎧と騎兵の列。

 堂々とした立ち姿に、蹴散らされる味方にも動揺が一切ない不動の姿勢。


「最悪を引きましたね」

 呟き、顎を引く。


 待ち構えていたのは、マルテレス率いる最精鋭騎兵だ。

 可能性を考慮していなかったわけでは無い。むしろ、防衛戦に於いて士気は最も重要とすら言える。


 今だけを見れば防衛側はマシディリだが、戦争全体を見ればマルテレスが防衛側。

 総大将による先陣は、士気を上げるのにはこれ以上ないほどの成果を挙げるのだ。


「予想以上に、挑発部隊が弱すぎましたね」

 中央から左翼に割り当てられたボダートが到着の報告と共に吐き捨てる。

 スキエンティは代理を立て、整列の指示を飛ばしながら走り回っていた。


(誰かであれば、と言うのは、こういう気持ちなのでしょうね)


 アビィティロであれば。マンティンディであれば。ルカンダニエであれば。

 きっと、挑発部隊を追い払う時間も計算し、こちらの整列終了まで待てたはずだ、とは。

 口にするわけにはいかない。


 敵から赤いオーラが立ち上がる。

 味方からも、光が打ち上がった。

 マシディリの命令では無い。独断だ。光の向きは敵。行き先はマルテレス隊。


 整列の終わらぬ自軍のための時間稼ぎであり、決死の行動。光の打ち上げ方を見ずともわかる。隊の状況、精神、決断力。クーシフォス・オピーマ以外にあり得ない。


「ぉおおおお!」


 大声が張りあがり、味方騎兵が突撃してくるマルテレス隊へと駆けだした。


 だが、届かない。

 マルテレス隊は逸れる。

 狙いは、マシディリ側の右翼。


(ヴィエレ隊か)


 マルテレスは誰がどこにいるかなど分かっていないだろう。それでも選べたのは、流石の嗅覚。『色』と表現すべきか。


 歩兵を率いている高官の中で最も攻撃に秀でているのはヴィエレだ。部隊が若いが、重装歩兵戦力としては誰もが頼りにしている部隊である。


 そこを、整いきらない内に撃破する。

 与えられる動揺は計り知れない。


「クーシフォス隊に撤退を」


 指示の光が飛ぶのと、遅れていたのか遅らせていたのか、一部のマルテレス側の騎兵がクーシフォス隊の側面に現れるのはほぼ同時であった。


(崩れはしない)

 決死の覚悟を持った者に、少数の突撃よる潰走は望めないはずだ。


 マシディリは、横に目をやった。

 流石に左翼から右翼の様子は完全に確認することは出来ない。故に、ファリチェに大きな権限が渡っている。ただし、狙っていたのはファリチェの地形把握能力に依る更なる防御力の上昇と各部族との交渉能力。


 戦闘では無い。


 そして、ファリチェは全軍団長の中で最も戦闘向きでは無い。


(失敗した)

 ティツィアーノを入れて置けば良かったか。

 いや、その場合は余計に他の軍団長との力関係が厄介なことになりかねない。


「下がりましょうか」

 ボダートが言う。


 マシディリの眼前を、では無く、部隊を下げることの提案だ。

 つまるところ、ファリチェの指示でパライナ隊が動き、穴が開いたことを見越したのだろう。


 補給基地として稼働し始めたシャガルナク。

 そこへの攻撃を、防ぐために。


「アビィティロがいれば、最右翼でしたね」

「ボダート。それは、父上への批判ですか?」

「滅相も無い」


 やや顎を上げ、ボダートを見る。

 ボダートも飄々と顔を流していた。


「ヴィルフェット。シャガルナクへ」

「ですが」

 ヴィルフェットが少し弱い声を素早く出した。

 視線は、スキエンティへ。流石に傍にいるボダートには向けられなかったらしい。


「ボダートとスキエンティがいれば、左翼が抜かれることはありません」


 旧伝令部隊に於いて、アビィティロが最大の出世株。グロブス、マンティンディが続き、その後に来るのがボダートとスキエンティだ。


 能力は、申し分ない。

 そして、部隊も東方遠征から続く精兵達。

 今いる軍団の中では最精鋭かもしれないのだ。


「アグニッシモ!」

 聞こえないだろうが、マシディリは鏑矢を取り出すと上空へと放った。


 独特の音が響き渡る。

 その音に続き、マシディリも自らの赤いオーラを空に打ち上げた。

 光を、そのまま後方、シャガルナクへ。

 アグニッシモ隊が、即座に反応して動き出す。


「ミラブルム様に突撃指示」

「もう、ですか?」


 反応したのはピラストロだ。

 アルビタが光を打ち上げる直前の姿勢で固まっている。


「最強の部隊が腹を満たしている内に、こちらも食い破りましょう」


 ただし、マルテレス様が戻ってきたらすぐに退くように。


 そう言いながら、さらにティツィアーノ、トクティソス、ケーラン、コクウィウムの再編第四軍団に追撃指示を飛ばした。

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