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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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防衛手筈

 翌日。

 早速の攻勢、は、やってこなかった。


 敵も三つの防御陣地を前に五万の兵を並べ、杭や荷駄で簡易的な陣地を組み上げている。


 粗雑だ。穴だらけで、長いことの滞陣なんてできそうに無い。

 それでも、数そのものが十分な防備となっている。


「夜襲をかけます」

 疲れが抜けていない高官の前で、マシディリは常通りに宣言した。


 マシディリ自身もさほど寝ていないが、他の高官も同じである。長い睡眠時間を強制したのは殿を務めた者だけ。両タルキウスを除いた再編第四軍団にも長い睡眠をさせたかったのだが、余裕が無いのだ。


「黒い布を纏い、敵陣に近づいて攻撃を仕掛けるのが第一陣。

 第二陣は昼の内に森林地帯を歩き、敵の裏に出ます。そこで白い布に青のオーラを当て、数を誤認させましょう。

 第三陣として、それを合図に一気に松明を全陣地に灯します。


 最後は、第一陣の者達が各部族の言葉で敵襲だと叫びましょう。こちらの声をマルテレス様やオプティマ様が聞き分けられても問題ありません。


 敵軍が混乱すれば、それで十分です」


 松明を灯す、と言うが、正確には隠しておいたのを一気に出すのを予定している。

 大軍との見せかけであり、マルテレスやオプティマ、イエネーオスには見抜かれるだろう。


 それでも、襲撃は事実だ。


 恐怖心と言うのは広がりやすいものでもある。

 特に、敵味方ともに凄惨な戦いとなった昨日の陣近くの戦いを思えば、勝ち馬に乗りたいだけの者はどれだけ混乱するか。


 そのような者達がどれだけいるか、正確にはオプティマの軍団がどのようなモノかを判断するためにも行いたい作戦である。


「基本的には、否定する理由はありません」

 返答を切り出したのはスペランツァ。

 無感動な目が、他の高官を滑ってマシディリの下へとやってくる。


「ですが、もしや第一陣を兄上が率いるつもりではありませんか?」


「言語と部隊の疲労度、練度を考えても私が行くのが適任だよ。それに、ヴィルフェットの隊の一部と、もしかしたらアグニッシモも、かな」


「では反対です」

 すん、とスペランツァが真正面を向いた。

 マシディリからは横顔しか見えなくなる。


「わざわざ言う必要もありませんが、夜襲とは危険も大きいからこそ劣勢な側が採用する作戦です。現状で兄上にもしもがあれば、軍団は崩壊するでしょう」

「スペランツァ」

「では、兄上にもしもがあれば誰が兄上の代わりに指揮を執るのですか?」


 ぐん、と顔が戻ってくる。


「ティツィアーノ様だ」

「アスピデアウスに?」


 マシディリの即答に、スペランツァも即座に返してくる。


 微妙な顔をしたのは、スペランツァの隣にいるフィルノルドだ。

 見事なまでに余計な一言である。タルキウスがいるのなら、なおのこと。


 父上の弟子だ、と言うのが最も場を収める容易い一言だろう。だが、意味が違えてくる。言うべき言葉では無い。別の文言で納得させるべきだ。


「ティツィアーノ様は軍事的な才覚に優れているよ。戦場の内外を問わず、ね。それに、戦略の一致性も担保できる。元々が父上の軍団からの続きと言うこともあって、元老院からの横槍も最小限で済むだろうしね。


 何よりも、エスヴァンネ様の敗死から連なる一連の流れの中でまとめ上げたのは、当時五番目だったティツィアーノ様。今回のオプティマ様の裏切りを警戒し、初手の対応を見事にこなして被害を抑えたのもティツィアーノ様の功績。


 異論は出てくるのは分かっているけど、私はティツィアーノ様以外を指名するつもりは無いよ」


「では、その次はファリチェ様、私、アグニッシモ様の順か」

 マシディリは、フィルノルドに心の中で感謝した。


 難しいのだ。やはり。

 ファリチェとフィルノルドの置き方は、禍根を残しかねないのである。その中でフィルノルド自身が下がってくれるのなら、ありがたいことこの上ない。


(それに)

 と、マシディリは表情の鉄面皮化に努める。


 どうやら、スペランツァはフィルノルドとしっかりと信頼関係を構築できているらしい。

 良いことだが、先の一言を入れる必要はあったのだろうか。


「納得は致しましたが、反対であることに変わりはありません」

 スペランツァが背筋を伸ばしたまま、また顔を正面に戻した。


「父上が第三軍団を切り離したのは兄上の積極的な攻撃を防ぐためだけでなく、言い訳を作るためではありませんか? 


 マルテレスに対して不覚を取っても、第三軍団がいなかったからで話が済む。快勝したのは兄上なのです。兄上がいれば、と言うのは外交の根幹を為すはずであり、兄上の敗北くらいならば父上が挽回しますでしょうが、兄上の敗死は挽回ができません。


 絶対に前に出るなとは言いませんが、不要なところでは自重してください」


「要、だと思ったけどね」

 軽い調子で言い、苦笑いに近い笑みも浮かべておく。


 これまでを考えても、マシディリの意見に積極的な賛成の声は少ないだろう。むしろ、スペランツァの意見に賛同する声は出てくるはず。


(さて)

 どうするか。


「私の方が向いております」

 迷っている間に、スペランツァがはっきりと述べた。


「父上が唯一職務放棄をしたのは、母上のところに暗殺者が送り込まれたと知った時。その暗殺者が得意としていたのが、黒のオーラを光らせず、暗闇に溶け込むこと。


 私のオーラも黒です。

 第一陣は隠れて近づくとは言え、声を出す必要はありますし、第二陣に合図を送る必要もあります。その後でも、私なら逃げられる。兄上よりも可能性が高く。


 行くべきは、私では?」



 暗殺技術、とは口にしない。

 ただし、兄弟の中で一番適しているのはスペランツァだ。小エスピラと呼ばれていたことは、その面でも適しているのである。無論、呼んでいた者は預かり知らぬことであろうが。


「部隊に関しても、山中行動で静かに動くことは慣れていると見てもよろしいでしょうか」


 否定を重ね、スペランツァ以外の者の能力を疑っていると思われる方が愚策である。

 故に、マシディリは提案を受け入れる方向でフィルノルドに尋ねた。


「加えて、どのような連戦でもきっちりとこなし切る精神性も持ち合わせている。昨日で死んでいるはずだったからな。今日の肉体は想定より元気そのものだろう」


「では、以後の趨勢を決める大事な局面をお任せいたします。私は、陣に残って指揮を執りましょう」


 第一陣はスペランツァ。第二陣はウェラテヌスの被庇護者達で構成し、リャトリーチが率いる。第三陣は、残る皆だ。


 結果的にウェラテヌス関係者が多くなったが、問題は無い。

 ヴィルフェットもアグニッシモも下げられたが、何があっても使わない、と言う方針には本人達はもちろん、ファリチェやヴィエレ、スペンレセと言った者達も反対した。


 ティツィアーノは、ほとんど発言せず。


(溝では無いことは幸いでしょうか)


 口を堅く閉じたまま鼻から息を吐きだし、次の策も打つ。


 即ち、口撃だ。


 援軍が来ることをマルテレスは分かっていた。だからこそのラーンサルーグでの戦いであり、勝利である、と。そして、『そのためにシャガルナクを見捨てた』のだ、と。


 真偽はどうでも良い。

 廃墟と化した街や略奪された集落のことも口に出し、マシディリ側への協力は訴えずに悪評のみを広げるのだ。


「許可なき略奪の禁止も、より徹底しましょう」


 規律と言う差に加え、グライオによる制海権の有無による差が輸送の差となる。


 効果が出るのは今少し先。

 だからこそ、夜襲が成功するかどうかは士気の維持に大きく影響してくる。


(温度差も出てくれると良いのですが)


 大きすぎる青い光に対する、温度差。


 マルテレス側の高官は何度か見てきている。あれが、陽動だとは見抜ける可能性も高いはずだ。しかし、周囲はそうでは無い。特に混乱した兵は。


 アレッシア語同士なら抜群の統率力を誇る彼らも、言語の壁を乗り越えられるかどうか。



 夜中。

 静かな剣戟の後に、大きな声がした。広がると同時に、青い光が敵陣後方で煌々と輝く。


「松明を上げてください」


 そして、三つの陣地も松明で昼間のように明るくなった。

 当然、兵を出しもする。確実に外に出てきている兵が暗がりに隠れるのが、余計に恐怖心をあおった。


 敵軍の被害は、ラーンサルーグの撤退戦でアレッシアが被った損害に比べれば少ない。しかし、その内訳がどうやら味方に踏み潰されたり同士討ちした者が大半を占めると聞けば、マシディリは微笑んだ。



 次は手紙の出番。


 本当に同士討ちだったのか。

 本当は、殺したかったのでは無いか。

 そう言えば、あの部族は、君達のことを、普段から。


 確証などいらない。

 疑心さえ、敵軍に蔓延すればそれで良いのだ。

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