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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
1328/1589

ラーンサルーグの戦い Ⅳ

 爪を食い込ませ、皮を破かんばかりに拳を握りしめながら、一時間の行軍を。


 たどり着いた集落は、しかし、燃え尽きた廃墟である。撤退する際にマルテレス側の軍団が徹底的に破壊を行ったのだ。それを、軽く整理し、大軍が居住できるだけの空間を確保していたのが現状である。


(嫌ですね)

 この状況が、今の心情に合ってしまうことが。


(ですが)

 利用するしか手は無い。


「軽く土を掘り、埋められる物はなんでも埋めて高い壁を作りましょう。まるで、しっかりと守りが整っているかのように!」


 幸いなことに、廃材はある。

 それから、便の入った壺も、野戦だからと置いて行った攻城兵器も。


「調子に乗る敵ならば悪臭は避けようとする者も増えますが、死に物狂いの味方には関係ありません。守りが弱い場所には糞尿をまき散らしてください」


 指示しながら、マシディリも手を動かし、土を掘る。見回りも同時に行った。

 すぐに撤退の第二陣が見え始める。クーシフォスとスペンレセだ。ただ、もう敵兵も喰らい着いてきた。


「戦闘準備!」


 ただし、こちらは最早見知った兵。

 敵味方の区別がつかなくなることは無く、敵を狙える。対人兵器を引っ張り出し、持ってきていた手持ちのスコルピオを全部動員し、マシディリも弓を手に持った。


 兄上が戦っていたら意味が無いんじゃ、とヴィルフェットに言われもしたが、数が足りないのだ。

 迫りくる敵兵に対し、こちらから見れば心許ない土壁から攻撃を行うしかないのである。傍から見れば強力そうに見えても、崩れやすい壁だ。土をかぶせてあるだけのがらくたなのだから。


「撤退した者は中で人が登っても自立できるような太さの丸太を探してください!」


 叫びながら、矢を射る。


 喉は張り付きそうだ。汗すら勿体なく感じる。それは、逃げて来た第二陣の方が感じているであろう。精神的な圧迫も半端なものでは無い。鼻を突く悪臭も気にならず、血の匂いを敏感に感じ取るが悲鳴は耳に届かないほどだ。


 だが、第二陣に組み付いていた敵兵は多くは無い。


 撤退させるには十分だった。十分だったが、敵はまるで獲物を狩った獅子の隙を狙うはぐれ獅子のように遠巻きにこちらを見ている。味方と合流し、数が増え次第襲ってくるつもりだろう。


「死体を回収し、丸太に突き刺すように」


 それは、ディファ・マルティーマで父がした所業。


 あの時は生きたままくし刺しにし、その中で食事を摂っていたが、今回は死体をくし刺しにする。

 相手に少しでも恐怖を与えるためであり、味方に父の姿を少しでも感じてもらうためだ。


 僅かな休息の間も、外側の強化を忘れない。張りぼてでも構わない。損傷が激しい死体も土壁のための道具だ。


 そうこうしている内に、第三陣が到着する。パライナとポタティエの隊だ。

 まだ部隊で纏まっていたが、少々乱雑になっており、座り込む者も出てきている。


 が、敵も容赦は無い。むしろ敵には好機。故に、また殺到する。


「死体を奪え!」

 マシディリも、吼えた。


 足を切り、可能であれば敵の口にそのまま杭を突き刺して立てる。ただ、味方も目玉が零れ落ちる者が出てくるほどの戦いだ。


 互いに、無事では終わらない。


「生きているのなら」

 と、倒れ伏した敵兵の手足に杭を打ち込み、放置する。

 敵は助けに来ない。ごく少数の者がやってくるだけ。


 次に帰ってきたのは、派手な紅。

 返り血に裾を汚したアグニッシモ隊だ。少数のミラブルム隊が混ざっており、ミラブルム自身も遅れて帰ってくる。ケーランも此処に居り、彼の隊は散り散りになりながらも遅れて帰ってきた。


「アグニッシモ。此処は任せた」

「うぇ?」

「私はティツィアーノ様が陣を構えていた場所に移動し、防備を整えるよ。ヴィルフェット、パライナ、ポタティエは私と共に来てください」


 陣所跡は南東にある。

 防備の線だ。一部の敵は勝手に抜け、シャガルナクを襲撃し始めているが、残してきたアスバクと少数の防衛兵によって撃退されている。


 でも、何時までも少数で攻撃してくるとは限らない。


 ヴィエレとファリチェが歴戦の将らしく残る第七軍団のほぼ全てを収容しながら帰ってくれば、マシディリはさらに軍団を移動させた。シャガルナク攻略戦の時に陣を張っていた場所である。アグニッシモは、マシディリが先ほどまでいた場所に移動させ、ヴィルフェット共に守りを固めてもらった。


 次の帰還兵は、遅い。中々現れない。


 だが、その時間も待ちぼうけではいられないのだ。死体でも何でも積み上げながら土の壁を高くし、適当でも各陣地間をつなぐ何らかの防備を配置し、見た目上は防御陣地群へと整える。


 その際、一部の兵は強制的に休ませた。

 そして、定期的に休ませた兵で攻撃を加える。


 最早、装備は貸出式だ。最後に手にしていた剣さえも刃こぼれが酷く使えなくなった者がいる。一人や二人では無い。大勢だ。それでも、敵と違い丸太や杭だけは許さず、形だけは整えた。


 まだ戦える。

 アレッシアには余力がある。


 そう、見せかけるために。

 団結力の無い敵が、自らを危険に晒してまで攻めるのではなく、誰かが攻めるのを待ってからと思えるように。


 そのために、足を切り、腕を折った敵を放置することもあった。

 例え少数ながら敵にも白のオーラ使いがいて、回復されたとしても。拷問のような状況に対しては、拷問のような攻撃で応えるのみ。


「これほど日暮れが遠いと思ったことも中々ありませんね」

 何色の布がどれだけあるかをシャガルナクに残るアスバクに問い合わせながら、マシディリは汗を拭った。


「アグリコーラの長い午後ほどでは無いのでは?」

 百人隊長として現場指揮を続けていたトーリウスが丁度武器の交換で戻ってくる。


「あれは、暮れてからが長かったです」

「今回は、ああ、暮れてからならばこちらが有利になりますね」


 見える範囲の兵が、ぐ、と拳を作り、笑みを浮かべた。


 皆、疲れが見えている。前髪は張り付いており、長くなった髪を乱雑に切り落としている者も居た。大小さまざまな傷と泥汚れを付けながら、盾だけは誰も失っていない。


「手を動かしましょう、手を」

「照れ隠しだ」

 豪快に男たちが笑いながら、戦いに、あるいは陣構築に戻っていく。


(まだ、戦える)


 三カ所の陣地を完成させ、シャガルナクを後方補給地点として繋げば正面からの攻撃は防ぎ続けられるだろう。そうなると、敵がやってくるのは包囲。しかし、それには良質な将兵が足りていないはずだ。


 よしんば、足りていたとしても、一か月持ちこたえればこちらに援軍がやってくる。


(本隊が加われば、こちらは六万五千)

 数的有利も、こちらのモノ。


 喉をこそげるような息を吐きだしながら、マシディリは工具を地面に突き刺した。再び弓を手に、高所に登る。帰ってきたのはティツィアーノの部隊だ。大分散り散りになっていたが、百人隊長や十人隊長がしっかりと味方をまとめ上げている。


 無論、中には盾と指輪だけの帰還になった者も見受けられた。


 ボダート、スキエンティ、コクウィウム、トクティソスも帰ってくる。

 高官は今のところ無事なのは救いか。それとも呪いか。


 分かるのは、陣に籠れば撤退の援護が必要なことだけ。


 弓や投石具を手に攻撃を仕掛け、あるいはアグニッシモやクーシフォスが隊を整えて小規模な突撃を敢行する。そうして敵を一旦離れさせてから陣に入れて、陣で攻防を行うのだ。


 碌な装備は無い。

 それは、強行軍をしてきたオプティマの軍も同じ。

 本格的な陣攻めはできないはずだ。


 殿、最後を務めたフィルノルドらが帰ってきたのは夕暮れ。実に七時間以上かけての帰還である。


「結果的に、私の策を採らなかったマシディリ様が正しかったな」

 出迎えに向かったマシディリやその他の高官の前で、フィルノルドが盾を置く。


(そんな訳がありません)


 仮に、フィルノルドの策通りの一万五千ならば戦いに望んでいただろうか。

 望んでいたとしても、今のように急造の見掛け倒しでは無く、それなりの防御陣地だってできていたはず。


「私の策では、各個に圧し潰されて終わっていたよ」

 疲れた、と言いながらフィルノルドが兜も投げ捨てるように脱いだ。


「フィルノルド様が殿だからこそ、これほどまでに多くの者が今日の夕陽を見ることができました」


 それでも、マシディリは否定は口にしない。

 フィルノルドの意思を汲み、フィルノルドの言う通りと言うことにしておいた。

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