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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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ラーンサルーグの戦い Ⅲ

 特大の喊声、いや、怒声。

 南東の集団が走り出した。武器を掲げ、最も近い位置にいるトクティソス隊に襲い掛かる。


「卑劣な」

 ヴィルフェットが歯肉を剥く。歯が牙のようにさえ見えた。


 軍旗。それは、所属を示すモノだ。特に今回のように見知らぬ者が多い軍団が合流する際には大事な道具であり、誇りである。


「私が向かいます」

「待って」


 腕を伸ばし、台を飛び降りようとするヴィルフェットの首根っこを掴んだ。

 声が聞こえたかは分からない。再びの喊声がかき消してきたからだ。


 今度は、前方。イエネーオス隊とスィーパス隊。特段変化は見られないが、威勢の良さが戻るだけでも相対している兵にとっては脅威である。


「伝令! 変化は無い。フィルノルド様とファリチェ様に、部隊の動揺を鎮めるようにと伝えてきてください」


 脅威は、新手。

 テルマディニから回してきた兵か。

 そう思いながら顔を動かしたマシディリが、数秒固まる。


(燃えている?)


 かすかな煙は、テルマディニ方面。


 何の煙か。


 その思考を隅にやり、顔を南東へ。

 再編第四軍団の内、ボダートとスキエンティがトクティソスに合流すべく動いていた。


 素早い対応だ。

 まるで、予期していたかのように。


(いえ)

 予期していたのか?

 三度目の喊声を捉えながら、マシディリは戦闘前のティツィアーノを思い出す。


 今度の喊声は、マルテレス隊の前進を表していたようだ。狙いは左翼。再編第四軍団。


(テルマディニを捨て、新手が全てやってくることを?)


 いや、現時点でマルテレス側にいる兵は多くは無い。質も悪ければ、別動隊を組織することは厳しいだろう。少なくとも、誰かアレッシアの高官が必要であり、高官を守る兵が必要である。


 では、目の前で彼らが欠けていたかと言えば、否だ。


(テルマディニの煙は、本来は合図。功に焦った粗雑な兵が先走り、攻撃を開始した、とすれば)



「裏切りましたか」



 何故、と思いつつも、腑に落ちる。


 ティツィアーノが言わなかったのは、違った場合を危惧して。


 ティツィアーノが左翼を買って出たのは、備えるため。命令違反をする可能性を示唆したのは、咄嗟の行動をとるためであり、アグニッシモを右翼に置いたのは到達までに一番時間がかかるから。マシディリを後方にしたのは逃げやすくするために。


 何よりも、テルマディニを占拠した後でオプティマを招き入れてしまっては戦いようが無く、誘い込まれても戦いようが無い以上、オプティマの裏切りを白昼の下に晒しながら戦力を残すには野戦しか無かったのだ。


 気づけばサジリッオからの連絡が途絶えがちだったのも、父の問いかけに対して返信が無かったのも、夜間行軍を開始したことも。いや、到着予定よりも少し早くしか動かなかったのは、こちらの情報網を知っていたから。夜間行軍を開始したのはこちらが信じていると言う確証を得て。戦場の選定は、挟み撃ちを考慮したモノ。


 三万と言う数は、ケラサーノの戦いに於けるマシディリ側の勢力から第三軍団がいなくなれば、十分に戦える数だ。


(イエネーオスも、スィーパスも従い、マルテレス様も引き下がる人物)


 今回の作戦の指揮者は、オプティマ・ヘルニウス。

 調子の良い時はマールバラにすら勝てる実力を持ちながら、大ちょんぼもかますような男の、良い面が出ている。


「全軍撤退!」

 マシディリが吼える。

 まずは光では無く、伝令が走った。走らせた。


 決断はしたが、今は光を送れない。

 マルテレスの軍団が戦場の半ばまで迫っているのだ。作戦通りなら、ほどほどの激突で退く手はず。しかし、ティツィアーノの部隊が前に出た。ケーラン・タルキウスの重装歩兵がやや下がり、入れ替わるようにしてティツィアーノがマルテレスに向かっていく。


 挟撃を受ける形だ。

 前方からのマルテレス。側面からのオプティマ。両者ともにアレッシア屈指の指揮官。


 そして、眼前の敵軍も増えて来た。

 現実的な兵数が増えた訳では無い。逃げ腰だった奴らが勝利の匂いをかぎ取り、威を借り始めたのだ。


「マシディリ様」

 呼びかけてきたのはフィルノルドだ。

 砂にまみれ、髪がパサついている。


「どうかいたしましたか?」

「いえ。撤退を進言するつもりで来たが、判断が早かったようですので。殿を誰にするか聞こうかと」

「私とヴィルフェットで務めます」

「父上に似て、冗談が下手だ」


 マシディリは、意図的に眉間に皺を寄せた。


「本気ですよ」

「御冗談を」

「一番元気な部隊です」


 右翼から赤い光が打ち上がった。

 アグニッシモからである。アグニッシモが、敵中央後方へと進路を変えた。その先にいるのはマルテレス隊。側面を突く形だが、危険な行動だ。


「撤退の指示を」

 マシディリが眼光と共に口にすれば、アルビタがオーラを打ち上げた。


「殿は私が受け持つ」

 宣言したのはフィルノルド。


「一番後ろの隊が最後まで残られては、前の部隊が下がれない。

 それとも、エスピラ様の二回目の同僚執政官が誰だったのかを忘れたのか? 執政官に優劣があるとでも?」


「一番激しい戦いを続けていたのは中央のフィルノルド様達です。それに、既に二倍の敵に挟撃されている状況。最も戦い続けられる兵を選び、大勢を下がらせるのが最善ではありませんか?」


「ならば我々だ。降伏した者、寝返った者も居る中でアレッシア軍に留まり、戦い続けた者達だ。これぐらいの苦境は慣れている。


 あとは、順番だ。


 ティツィアーノ様も下がらせろ。老いぼれが先に逝くが、戦場での老いぼれは生き残りであり逝き遅れだからな。しぶといぞ。殿に向く性格だとは思わんか?」


 ぐ、とマシディリは奥歯を噛みしめた。

 つん、と血の味がする。


「任せます」

 返事だけは通る声を。

 フィルノルドが頭を下げ、さしてマシディリに顔を見せずに振り返った。



「野郎ども! 不滅の魂を見せる時が来た。

 肉体が消えようとも、名と魂は消えない。神の腕に抱かれるに相応しい生き様を示し、我の名を貶めた裏切り者に目に物を見せる時だ。


 此処で死ね!

 アレッシアの、将来のために。木々を育てるために。我らの最後の使命は人を残すことにある」


 老体とは思えぬほどの大声で叫びながら、フィルノルドが隊列に戻っていく。


「アレッシアに、栄光を!」


 それは、軍事命令権保有者かその代理にしか許されない言葉だが、何かを問うつもりは無い。


「祖国に、永遠の繁栄を!」


 兵も返事をしながら、隊列を広げていく。


(右翼は)

 追撃を焦り、杭の外に引き出した敵兵を、クーシフォスとヴィエレが一度叩き始めたようだ。出鼻をくじけば、撤退を始めるだろう。


「兄上」

「分かっている」

「逃げるなら徹底的に逃げなさいと母上が言っていました」

 叔母上らしい、とも思いながら、マシディリは台を降りた。


 緋色のペリースの消失。

 それは、事態が大きく動くことを意味している。そして、アレッシア側の攻撃と思う者は少ないだろう。


「撤退します」


 比較的元気な内の撤退。


 そう言えば、まだ何とかなりそうだが、仮に三万全軍が来ていれば敵兵数は二倍。しかも追撃戦なので兵数がそのまま戦力にある兵数となる。

 テルマディニに兵を残している可能性はあるが、それでも敵の方が大勢だ。


「伝令!」

 息を切らせた兵が駆け込んでくる。


「トクティソス様から。道路の抑えに失敗しました、と。敵は次々と雪崩れ込んできますので、マシディリ様は立ち止まらずに撤退を。それから、受け容れ準備をお願いします、と仰せでした」


 テルマディニからの迂回路。あるいは、西方からやってきた軍団が南東に現れるための道。

 それは、海水の流れ込んでいる湖の南を迂回する道であり、一本道だ。その出入り口を封鎖できれば、まだ少数でも戦える見込みはあった。


 だが、もう絶たれた。

 絶たれてしまった。


 だが、希望はある。まだそこにも軍団が居ると言うことは出そろうには時間がかかると言うことだ。今朝発った集落にマシディリ達第一陣が入る方が出そろうより早いかもしれない。


「戦いに使う物以外は置いて行ってください。少しでも、敵が略奪に走って足が遅くなるように」


 最後に命じ、マシディリはヴィルフェット共にいち早く戦場を離脱した。


 散発的な兵は見受けられる。しかし、襲ってこない。隊列を維持し、行軍を続ければ敵はもっと乱戦の地域へと飛び込んでいく。逆に言えば、残った者ほど地獄になるだろう。


 がぎぃ、と口内から音がした。

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