ラーンサルーグの戦い Ⅱ
マシディリ側の攻勢は右翼、アグニッシモから始まる。
対してアグニッシモに相対する敵左翼は両端の鋭い杭を地面に打ち込み、石を手にし始めたようだ。
馬の恐怖を煽り、騎兵の突進を軽減する。その上で、射程外からの投石攻撃。
なるほど。良い対策だ。野戦で馬の前に身を出す勇気の無い兵を使う場合に限定すれば最善かもしれない。
だが、相手が悪かった。
アグニッシモは、突撃能力に秀でた将だが、猪突猛進の人間では無い。
相手が杭を持ち、石を回収し、装備も不十分な軍団だと知れば戦い方を変えられるのだ。
これまでの槍と剣と少々の投擲武器から、投石へ。
馬上と言う高所を陣取り、投石具を用いてさらに射程を伸ばす。投石具の使い方は簡単であり、より良い扱い方や実戦でのあれこれは経験豊富なファリチェに聞いていた。
即ち、敵の射程外から敵よりも強力な投石を放ち、敵がやってくる前に素早く離脱する。
河原の石と言っても小さな川であれば、大きな石は無い。つまり、使う石もこちらの方が大きいのだろう。取りに来ようとする相手にも、上から石が降り注ぐ。家屋をはぎ取って作ったような盾では防ぎきることなど不可能で、破砕しながら敵の胴体へと石が次々に埋まっていった。
確かに、これまでに比べて一気の突破は出来てはいない。
でも、確実に押している。
あるいは、敢えて一気に押すことは避けているのだろうか。
前回の戦いではアグニッシモはスィーパスに粘られた。攻撃能力に於いて最強との話も出てきているアグニッシモが、である。屈辱に等しかったはずだ。
だからこそ、今回は削り切る。
じっくりと。常に劣勢のスィーパスを作りつつ、一番得意な戦術を使わないことで『遊んでいる』と言う印象を与えるために。
(どちらでも)
アグニッシモに関しては、心配していない。
杭の撤去に成功すればクーシフォスが。撤去できずともヴィエレが。幾ら粘ろうともパライナがさらに外側を経由するように狙う手はずになっているのだ。
それよりも、と思うのは中央。
イエネーオスがいきなりの突撃をかましてきたのである。
想定の一つではあるが、可能性は低く見ていたことだ。
相対するのはフィルノルド。簡単には突破を許さないし、中央の高官の二番手にいるのはスペランツァだ。中央から分断される可能性は、まだ限りなく低い。むしろ不気味なのは包囲殲滅をくらっておきながら、また両翼包囲をされかねない形をとってきたこと。
そして、後方に控え続けるマルテレス隊。
今は味方に槍を向け、戦場からの逃走を塞ぐために並んでいるようにも見えるのだ。
欲しいのは、闘争。
許さないのは逃走。
その後の構想は破綻していると言うのに。
「機を見て、一気に決めるつもりではあるでしょうね」
言い聞かせるように呟き、自軍左翼を見る。
第一列はケーラン・タルキウスとコクウィウム・ディアクロス。コクウィウムが中央寄りに陣取り、中央との間に隙間ができないように気を配り、ケーランが押し込む。さらに外をミラブルム・タルキウスが騎兵を率いて戦っている。
敵右翼も、ほとんど騎兵。
当然だ。
敵左翼、味方で言えばアグニッシモがいる側では騎兵を広く展開できないのである。するとすれば、敵右翼側。悪くは無い。が、それが敵左翼の劣勢をより強めている。
激戦。
しかし、動いていない部隊も多い。
右翼後方に控えるファリチェ、ヴィルフェットの部隊。備えているクーシフォス隊、ヴィエレ隊。移動中であり戦闘に参加していないのはパライナ隊。ポタティエ隊はアグニッシモと共に動いているが、スペンレセは中央を睨みつつ戦列の維持に努めている。
左翼も戦っているのは両タルキウスの部隊にコクウィウム隊のみ。ティツィアーノ、トクティソス、ボダート、スキエンティは未だに待機中だ。
中央は何度か入れ替わりを実行しているが、こちらは攻め込まれているが故に、でもある。
(誰の、作戦でしょうか)
敵を見て思う。
毛色が違う、と。
少なくとも、マルテレスであれば後ろで最初に突撃で以て味方の士気を上げてから部隊を下げるなり、控えるにしてももう少し前の方に陣取るなりするはずだ。間違っても、味方を脅す位置に騎兵を配置したまま黙ってはいない。協力者を疑い、近づけないことはあったが、自らが安全圏に留まり続けることは好まないはずだ。
尤も、戦場に安全な場所などあるか、と言う話ではある。
(かと言って)
スィーパスか、と言われると、迷うところ。
本人が目立つ要素が無い。攻撃の手段も乏しく、何より戦果が全く振るわないのだ。アグニッシモを恨んでいる以上、戦うための術を持ちもっと前に出てくるような性格をしているのがスィーパスである。
(となると)
最も本人の性格とやり方が合致しているのはイエネーオス。
可能性は一番高いが、全軍指揮を執る立場の者だけが突出するのは如何なモノか。
マシディリは、自身のことを露ほども振り返らずにそう思った。
「ヴィルフェット隊を中央へ」
マルテレス隊であろう集団を遠くに眺めながら、マシディリは命じる。
戦闘中であるが、少しの余裕と積み重ねた訓練が陣形の変更を容易にした。
「兄上。何かございましたか?」
その余裕が、従弟の直接の来訪にも繋がってくる。
マシディリは、自身がいる台に従弟を呼び寄せた。
「どう見る?」
「思ったより、敵中央後方が空いていますね」
でも、とヴィルフェットが眉を寄せた。
横顔は、幼い頃の記憶におぼろげにあるヴィンドに似ている。
「イエネーオス様が取って返し、マルテレス様が出てくれば中央後方を突いた部隊は壊滅します」
「その可能性は高いね」
フィルノルド隊に騎兵はいない。
正確には、騎兵だった者はいるが、馬を養っておけるほどの余裕がなくなった時に手放してしまったのだ。
今も、馬の補充の優先順位は低いままである。
「ただ、相手の敗北も決定します」
ヴィルフェットが重く言った。
フィルノルド隊に騎兵はいない。だから、イエネーオスが引き返した時に素早い追撃は不可能だ。しかし、中央後方を誰が突くにしろ、時間はかかる。その間にフィルノルド隊が到着し、一気に圧し潰せばイエネーオス隊も壊滅は必至だろう。
あとは、ゆっくりと調理すれば良いだけ。
「それと、左翼のタルキウスのお二人が聞いていたよりも戦上手に思えます。相手は、フラシ人でしたよね?」
「そうだね」
「父上が活躍されていた頃はまだまだアレッシア騎兵はフラシ騎兵に太刀打ちできない水準でしか無かったと母上から聞いています。今も、フラシ騎兵の方が騎兵としては優れているでしょう。ですが、引けを取らないどころか優勢にも見えました」
「優勢だと思うよ」
当主であるルカッチャーノがマルテレスに敗北し、以後、エスピラの計算には入っておらず、マシディリからも来ないで欲しいとまで思われていることも二人の闘志に火をつけているかも知れない。
尤も、エスピラもマシディリも直接そんなことは言っていないが。
でも、武の家門として同じ建国五門には負けられないのは強く意識しているだろう。
実績第一のマシディリに、武勇第一のアグニッシモ。ティツィアーノも軍団長であり、スペランツァも粘り強く戦い発言権を強めている。ヴィルフェットも、こうしてマシディリと打ち合わせをするくらいには着実に段階を踏んできた。
ただし、部隊を交換せずに三時間戦い続けるタルキウスは流石である。
アグニッシモも一度交代し、イエネーオスの勢いも死んで来たと言うのに、タルキウスの二人は少しずつフラシ騎兵を押し、減らしている。
「マシディリ様」
静かな声が下から聞こえた。
「援軍の約束でもありましたか?」
「援軍?」
「南東をご覧ください」
顔を、後ろに動かす。
遠くに集団が見えた。かなりの多さだ。後ろが見えない。
「アレッシアの軍旗を掲げておりました。装備はまちまちで、ただアレッシアの物では無い鎧を着こんでおります」
「オプティマ様の軍団でしょうか?」
使者が発つ。
しかし、到着する瞬間に、アレッシアの軍旗が下ろされた。




