ラーンサルーグの戦い Ⅰ
「敵軍一万九千。既にカレルノミュレゾンに着陣し、一部の兵はカレルノミュレゾン川を越えて宿営しております」
「一万九千?」
「一万九千か」
疑問の声はフィルノルド。
内に確認するような声はティツィアーノのモノだ。
川を越えての宿営に驚かないのは、普通のこと。たった一メートルほどの川幅なのだ。非常に浅く、大きな障害にはならない。
ただし、朝方や夜半に川に浸かる形で渡河すれば、足にくる冷たさは刃のような寒さになってしまう。
「オプティマ様はどれほどでテルマディニに着くと?」
「五日から一週間、と」
「実際はもう少し早く着くと思われます」
マシディリの答えに、リャトリーチが補足を入れる。
一万九千であることも皆が飲み込み始めているのは、リャトリーチが調べたからと言うのも大きいのだ。
何せ、リャトリーチはエスピラのエリポス遠征時から情報収集役を担い、ソルプレーサの後継として十分な経験を積んで来ている。レグラーレも優秀だが、リャトリーチの持つ技術と経験に裏打ちされた推測、危機察知能力は上を行くのである。
「マルテレス様側の交戦意欲は?」
「非常に高いように思えました」
す、とリャトリーチが杭を出す。
両端が鋭く削られた八十センチほどの杭だ。
「左翼に行くであろう兵が特に多く持っておりました」
「杭、ですか?」
ファリチェが手に取る。
ひっくり返し、仕掛けの類を探しているようだ。
「俺がそんなに怖いか」
アグニッシモが口角を吊り上げ、既に座っている椅子により深く腰掛けた。
数名の目がアグニッシモに行く。
「馬は、先端の鋭い物を嫌います。持ち運ぶことによって簡易的な防御陣地を作成し、騎兵の勢いを落とすため、でしょうか?」
代わりの返答はヴィルフェット。
恐らくは、従弟の推測通りだろう。
「アグニッシモじゃなくて、クーシフォスとの直接対決を避けたいから、かもしれないけどね」
「あにうえー」
アグニッシモが泣き崩れる。
どうやら、先ほどまでは格好をつけていたらしい。
「装備不足の可能性もあるかと」
言ったのは、報告者のリャトリーチだ。
「鎧の無い兵も多く、武器の長さの統一もあまり為されていませんでした。剣や槍では無くこん棒を持っている者や農具をそのまま手にしている者も稀に見かけます。
河原の石と、削りだして作る杭。これによって、武器を増やし、戦う術を増している可能性も十分にあり得るのでは無いでしょうか」
「可能性は高そうですね」
利点が二つも三つもあるのなら、採用しない手は無い。
同時に、装備が整っていない内に攻めた方が良いとも結論付けられていく。
占いを行い、作戦を詰め、天候を確認し、食事を整え、演説を行う。
宿営地を出て、五キロ。敵陣まで三キロ。十分に挑発的な位置だ。
その地で、アレッシア軍は整列を始めることに定める。
周囲と比べ、土の硬いところを中央に。
基本は平野だが、木々の生い茂る場所が近い場所が右翼。対して左翼はゆったりと広くなる。敵が誘いに乗りやすく、なおかつこちらが先手をとって布陣を終了させられる距離。
アレッシア軍は、まだまだ暗い内から定めた戦場予定地に向けて進軍を開始した。
カレルノミュレゾンに至る道は、大規模な道こそ無いがそこそこの道が二つある。他にも小さな道、道では無いが通れる場所があり、規模を分けて素早く進軍を開始した。集合場所は決まっている。僅かな距離の分進合撃だ。
把握し、足並みを揃える練習でもある。一番不馴れなフィルノルドの軍団をマシディリが見ているのも役に立った。
そうして、空に青が広がり始めた時刻。
マシディリ側は、整列を終えた。
マルテレス側も、ぞろぞろと出てきている。
「オプティマ様の軍団の一部は夜間進軍を始めたそうです。予定よりも行軍は早くなるかと」
リャトリーチがソルプレーサのように言った。
「朗報か、悲報か」
隠さずにティツィアーノが言い放った。
他の軍団長、ファリチェとフィルノルドは何も言わない。
マシディリも、ティツィアーノには返さず、最後の共有を始める。
「目標は、テルマディニに到達可能な形を作ること。数の利を活かして戦線を広げ、薄くなった場所を食い破って一部隊でも後ろに回り込ませることにあります。
敵の数が予想以上に膨れ上がっておりますが、装備は不十分で練度も低い。整列にも手間取っています。実際の兵数としての開きは、想定通りと思って良いでしょう。
マルテレス様は抑えるだけ。
相手の最高の盾はもう無い。
相手の勝利条件は耐久では無く、私達の撤退です。
心に余裕を飼い、着実に追い詰めましょう。
有利にあるのは我々だ。焦る必要はありません。不測の事態にも慣れっこでしょう。
父祖と神々の加護を信じ、ただ進むのみ。
さあ、共に手を取り合い、参りましょうか」
共有と言うより、演説じみてしまったが。
マシディリは、軍団長達との確認を終えると、解散を宣言した。
ファリチェとフィルノルドが持ち場に去っていく。
「何かありましたか?」
残っているのは、ティツィアーノ。
「状況に応じた再編第四軍団の配置転換の許可を、願おうと思いまして」
「何かあったのですか?」
「今は何も。ただ、念のためにです」
口にもしたが、不測の事態が起こるのが戦場だ。思い通りに行くことの方が少ないのがふつうである。
「構いませんよ」
故に、マシディリは疑問に感じるところはあれども拒絶する気は毛頭なかった。
「ありがとうございます」
ティツィアーノが目を閉じる。
「もしも軍令に反すると判断された場合は、私が全ての責任を取ります」
ティツィアーノの言葉に、マシディリの眉間が淡く寄った。
「ティツィアーノ様?」
「もしもの話です。
それから、その『もしも』の際は、愚妹を頼みます。愚妹、と評するのも如何なものかと思うぐらいに、身内の贔屓目を抜きにしても出来た女です。
今後、マシディリ様が『何か』に迷われた場合は冷徹な判断に従ってもらって問題ありません。むしろ情に走れば、妹はそのことを後悔し続けるでしょう。知に従えば、傷つくことはあれども後悔は致しません。
ただ、その場合は妹に情を持って接し、寄り添ってもらえると幸いです。
決して、べルティーナの手を放さないでください」
マシディリの眉間の皺は、すっかりと取れた。
口は重い。朝の肌寒さなど、あまり感じられなくなっている。
マシディリは、鼻から小さく息を吸った。
「ティツィアーノ様。それでは、まるで死に行くように聞こえますよ」
「それぐらいの覚悟を持ち、戦場に立っていると言うだけです」
目を閉じ、片足を少し引きずりながらティツィアーノも持ち場に戻っていく。
何かはある。
(何がある?)
思いながらも、マシディリは見渡すために作った台に上る。
そこまで高くは無い。それでも、緋色のペリースは目に付きやすいだろう。
全体を把握するとともに、敵味方からもマシディリの位置は分かるはずだ。
故に、逃げることは出来ない。
故に、鼓舞となる。
故に、動いた時は事態も動く時。
「ふ」
息を吐き切り、眼光を鋭くする。
戦場では整列の時間稼ぎのための敵軽装散兵をヒブリット隊が駆逐し終えたところだ。
敵軽装散兵は粘り強くもなく、背中を見せて駆け出している。その奥、隊列はそれなりに真っすぐに揃っていた。幾つかの予想の一つ通り、木々の多くなってくる敵左翼は騎兵が薄く、広々と使える右翼に騎兵を集中させている。
(ウェラテヌスの父祖と、アレッシアの神々よ。全軍に、加護を)
神牛の革手袋に口づけ一つ。
マシディリは、攻撃開始の号令を発した。




