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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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シャガルナク攻略戦

 ぐがご、と、無遠慮ないびきが聞こえてきた。


 発生源を見やれば、目を閉じたアグニッシモの首が取れてしまいそうなほどに大きく動いている。最初は畏れ、慣れてくるとアグニッシモを揶揄っていた悪友達は、今は一周して縮こまり始めていた。


「戦場で眠れるのも一つの才能だよ」

 とは言え、少しは周囲を考えて欲しいけどね、とマシディリは片目を瞑り、微笑んだ。


 気持ちは、分からなくもない。


 シャガルナク。

 特段、大きな集落では無い。


 川の傍にあるからこそ、周りの集落よりは大きいが、その川も運送が大きく発展するほどの大河では無いのだ。それでも、家の素材になっていた木の板や漁に使う網などを用いればそれなりの防御設備は作ることができる。


 今日は、シャガルナク攻略七日目だ。


 わずか数百人の集落に手間取っていることに焦れる気持ちは良く分かる。むしろ、批判を口にしていないことに成長を感じているぐらいだ。


(甘いかな)

 そう思いながらも、遠くを見る。


 アレッシア軍が手こずっているのは、何もシャガルナクの防御と戦闘意識だけが理由では無い。

 僅か四キロちょっと先の集落に、マルテレス側の増援七千が入っているのだ。


 これの睨みに第四軍団を配備し、マシディリもシャガルナクの南西にフィルノルドらの五千とアグニッシモ、自身の精兵と共に構えている。マシディリとティツィアーノ、どちらを狙われても挟撃できる態勢だ。


 ただし、マシディリ達の方が少しばかり遠い。


 これはスペランツァとティツィアーノ、ファリチェの共同意見だ。

 たまには下がってくれ、と。


 そう頼まれてしまえば、マシディリとて何度も強行することは出来ない。先の強攻偵察を仕掛けた時は先導したのだから、なおさらだ。


 故に、こうしてアグニッシモと暇を持て余しながら、傷病者を帰して再編を迫られた軍団の訓練も重ねているのである。


 長くなったが、要するにシャガルナク攻略に当たっている兵力は第七軍団。しかも、その一部の五千二百だ。ファリチェとヴィエレの二千八百はシャガルナク北方に陣を張り、万が一の奇襲に備えている。


 一方で、マルテレス側も易々と救援には動けない理由があるのだ。


 まず、この地は集落が並んでいるが基本は耕作地が広がり、見通しが良い。大軍も展開できる。そうなれば、数の差がそのまま活かされてしまうのだ。


 迂回を狙うにも、南には九キロも行かない内に海に出る。一応池のように陸地に囲まれた海水だが、海に通じている場所だ。北はもっと近くに木々の生い茂った丘が迫っている。攻撃行軍であれば問題は無いが、シャガルナクは川の近く。丘を使い続ければ少しずつ離れ、離れた場所で渡河できてもそこは耕作地帯で見通しが良い。北にいるファリチェとヴィエレで即座の対応が可能なのだ。


 何よりも、オプティマの軍団が既にプラントゥム半島を出たと言う報告が届いている。

 テルマディニを防衛するにも戦力を残しておく必要があり、防御設備の薄いシャガルナクで戦うよりもテルマディニに全力を傾けた方が勝ち目があるのは当然の考えだ。


 見捨てられないから、此処にいる。

 見捨てなければならないから、マルテレスはこの場にはいない。


 つまるところ、敵軍は動かない。


 此処まで考えたかは分からないが、アグニッシモも敵軍を視察するなり「動かないよ」と言って、最初の眠りについてしまったのだ。


 わ、とマシディリの耳に一際大きな喚声が届く。

 マシディリは、近くの塔を見上げた。シャガルナク方面を油断なく観察し続けているレグラーレがすぐ目に入る。


「味方がシャガルナクの守りを突破しました」

 視線だけで分かったのだろう。

 レグラーレがマシディリを見ずに状況を答えてくれた。アグニッシモは、寝たままである。


「複数方面から次々と侵入しております。完全に陥ちるまで時間は要りません」


 レグラーレの言葉通り、シャガルナクの攻略完了を告げる伝令が訪れたのは、その少し後。


「戦ったのは君達だけど、多くの者が守り、支えた結果であることも踏まえた良心的な略奪で頼むよ」


 マシディリが伝令にそう返したのと、マルテレス側の軍がいる方向から大きな声が上がったのはほぼ同時であった。


 だが、アグニッシモは起きない。

 マシディリも前に出て自ら観察するに留めた。


 前線側に位置する百人隊長達はすぐに隊の招集を始め、整列を始めている。訓練をしていた者達も切り上げた。フィルノルドやスペランツァと言った軍団の高官たちも兵に混ざり始める。

 マシディリは、伸びていた背筋を少し緩めた。


「来ませんね」

 呟き、力を抜くように瞼を少々落とす。


 果たして、マシディリの言う通り。

 マルテレス側の軍団は集落を飛び出して勢い良く前進し、ティツィアーノの軍団の前で方向転換して横切るように去っていった。


 地鳴りと、声。それらはシャガルナクにも届いたかもしれない。でも、肝心の救援は届かない。


(戦略が違いますね)


 マルテレスなら、何が何でも助けようとした。


 父ならば、きっとシャガルナクの者を逃がすか家族の一部を引き取り、養う約束をしていたに違いない。

 無論、親類縁者を助ける約束はしていたかも知れないが、目の前の軍団は見捨てたのだ。


 時間稼ぎをして、それで終わり。

(何のための時間稼ぎか)


 シャガルナクに入場するなり、冬に向けて蓄えていた穀物を徴収しつつ、交易の記録を根こそぎ洗う。

 マシディリがいつもやっていることだが、どこか今回は後方に残すために渡された感が無いことも無い。


 でも、大事な情報だ。

 ここ数年の豊作凶作。周辺の人口事情。食糧事情。集落同士の関係。

 そういったモノが、新たに見えてくるのである。


「敵が準備していたことが判明いたしました」


 リャトリーチが祭祀場に入ってくる。ファリチェ、ティツィアーノ、フィルノルドも一緒だ。

 そして、ファリチェはヴィルフェットを、ティツィアーノはトクティソスを、フィルノルドはスペランツァを連れている。


 マシディリは、目を通していた木版をアスバクに渡し、正面を入ってきた七人に向けた。


「テルマディニ西方の道を封鎖しております」


 テルマディニの西方は丘陵地帯が広がっており、小さな森と化している場所が多い。が、進軍できないほどでは無く、大きな道も通っている。


 リャトリーチが言うには、その大きな道が交差する場所に関所を設け、どこからやってきてもまだ隊列が細い内に叩けるように備えているそうだ。


 一方で、北方に迂回し、より険しい道を通ることになる道は手薄。大軍が通り切るには適していないが、最もテルマディニ市街に近い道であるにも関わらず、だ。


 同時に、テルマディニ南方も防備がほとんど無い。

 こちらも海水が入り込み、いくつもの池や湖があわい仕切りで乱立している場所のため、行軍は良くても展開はできない場所だ。とはいえ、テルマディニ到着前に整列するだけの場所は残っている。


(いえ)

 テルマディニから少数部隊を繰り出し、船も繰り出して長く続く道を渡っている敵を狙える以上は、備えを厚くする優先順位は低いか。


 湖や池の間はもちろんのこと、海とそれらの間も本当に道のための道しか無いのだ。テルマディニの傍に来れば、港が二つあり、広い幅の道も整備されているが、そこまでは細い場所もある。満潮ともなれば二人通るのがやっとだ。


 なるほど。

 オプティマが三万の大軍ともなれば、確かに西方の大きな街道を通るしかない。


「それと、オプティマ様の行軍速度も振るいません」

 報告者のリャトリーチ以上に、ティツィアーノが眉間を険しくした。


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