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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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約束

「私の愛義娘むすめに何をした」


 恐ろしく昏く低い声。

 猛獣であれば喉が鳴り、犬歯を剥いている。


「誤解だ、エスピラ」

 サジェッツァが目を閉じる。顔も左に。


「どうかな。リリアントの件をマシディリに伝えたか?」

 リリアント・アスピデアウス。

 裏切り者トトリアーノ・アスピデアウスの娘であり、アスピデアウス一の美女と巷で言われている女性だ。


「それこそアスピデアウスのことだ」

 サジェッツァの顔と視線が戻ってくる。


「別に、養女にするなとは言っていない。それとも、疚しいところでもあったか?」

 口を開こうとしたサジェッツァに対し、エスピラは右手を軽く振った。

 サジェッツァも唇を結び直している。


「アスピデアウス一の美女か。早く訂正した方が良い。そこに関して、マシディリは烈火のごとく怒るだろうからな。本当にウェラテヌスとの関係を考えているのなら、お前がやるべきことはそれだ。私への支援よりもな」


「他人からの評価だ。私がどうこう言うことでは無い。べルティーナは端麗な顔立ちをしているが、親の贔屓目もある。アスピデアウス一の美女の称号はリリアントにあっても問題ない。

 だが、忠告は受け取っておこう」


 それでは受け取っていない。

 そう思いつつも、エスピラは口を開く気など一切無かった。


「ティツィアーノから報告はもらっている」


 サジェッツァが切り出した。

 当然、エスピラもティツィアーノからの報告は受け取っている。内容に差異はあるだろうが、特段思うところは無い。


「私は、少々エスピラがのんびりしすぎているように思えるが、大丈夫なのか? マシディリは元から危険に身を晒すことが多い男だったが、今回は度が過ぎている。そう思ったのだが、エスピラの指示か?」


「自重は訴えたよ。ま、私の死にマシディリでも関わっているのかね」


 だから、死なない。


 アビィティロからの報告も最近は隠し事が増えてきたが、なんとなくそう読み取れるモノであった。隠し事も、マシディリのためであればエスピラもわざわざ聞き出そうとは思わないのである。


「死の神託など、占わせることは無いと思うが」


 心なしかサジェッツァの声が細くなる。

 エスピラは、少々体の力を抜いた。警戒を続けているシニストラの肩に手を置き、僅かに下がってもらう。


 サジェッツァにとって、エスピラは政敵だ。最大の敵であり、サジェッツァの意図を理解しない元老院よりも厄介な相手だっただろう。仮にも理想のための票田として必要な彼らと、理想そのものが違うエスピラでは、エスピラとの報が共存も厳しいのだ。


 だから、マルテレスにぶつけると言う考えはエスピラも理解できる。

 そこに対して、親友として思うところがあるのなら、エスピラも安心できるのだ。



「多くの人が死んだ。覚えているか、サジェッツァ。私達の上には数えきれないほどの人が居たはずだ。椅子が空くのを待っていては何十年かかるか分からないほどにな。


 だが、大勢死んだ。生き残っている者はあまり多くは無い。


 気づけば、何年ぐらい争っていたかな。

 第二次フラシ戦争の最終盤からと考えれば、十七年ぐらいか? 


 すごいな。

 タイリー様。タヴォラド様。トリアンフとコルドーニ様も加えておくか? セルクラウスだけで四人。

 ペッレグリーノ様、メントレー様、バッタリーセ、オノフリオ様、グエッラ。

 まあ、年上だけじゃないか。同年代も大分死んだ。


 サジェッツァの番もそろそろかもな」



 口角を悪戯っぽく上げ、肩を竦めて首を傾ける。

 サジェッツァは鼻から息を吐きだした。


「まだ元気だ。エスピラも」

「そうだな。元気だ」


 だから、戦場に行くのである。行かされるのである。


(どうするかな)

 仮にアスピデアウスが干渉を深めてくれば、べルティーナは自身の子では無くセアデラをウェラテヌスの後継者に推すだろう。マシディリはどうかは分からないが、べルティーナはそうするとの確信がエスピラにはある。


 ただ、望ましくは無い。

 多くの場合と違う方向に、ラエテルやリクレスが不利になるように贔屓目が働いているのだ。


 ならば、申し訳ないが、家門に食い込まれた時はセルクラウスを最前線にしておかねばならない。


「ポルビリは、サジェッツァから見てどうだい?」

「ポルビリか」

 サジェッツァの目が動いたのは、一度だけ。


「無難な人物だ」

 流れの変わらぬ水流のように、サジェッツァが言う。


 そして、評価もそこで止まった。正直、エスピラも本当に終わったのか迷ってしまうほどあっさりとしている。あっさりとし過ぎていて、無言の時間が流れてしまったぐらいだ。


「セルクラウスの分家としてしっかりと立てるつもりなら、止めた方が良い」

 あっさりとし過ぎたと思っていたのはサジェッツァもだったのか、数秒越しの続きが紡がれた。


「その予定は無いが、ティミドの家門をわざわざ吸収するつもりも無い。私は、だけどね」


 後はスペランツァの領分だ。

 ウェラテヌスとしての干渉を入れるべき場所では無い。


「トリンクイタ様か」

 それは、どういう意図の言葉か。

 能面の親友から読み取るのは非常に難しい。


「言いようにされたのは今は昔。私とエスピラが警戒している以上、好きなようには出来ない、いや、させないと約束しよう。彼の者がセルクラウスの、違うな、ウェラテヌスとの対立になった時は、潰れる時だと神々と父祖に誓おう。必要なら、誓紙も出すが?」


「いや、良いよ」

 さら、と手を振り、返す。

「その言葉だけで十分だ」


 口の足りない男だが、約束を平気で破るような男では無い。

 それぐらい、長い付き合いで十二分に分かっているのだ。三人の中で一番約束が信用ならないのは、きっと自分だろうともエスピラは思っている。


「ああ、ただ、誓紙を出すのなら、その内で良い。べルティーナを離縁させないとでも出してくれ。べルティーナは、ウェテリ以外の尊称を付けることは無く、ウェラテヌスに嫁いだままにする、とね。マシディリに、とまで限定したいところだけど、ウェラテヌスの当主としては保険をかけさせてもらうよ」


「エスピラとマシディリになら任せられる」

「マシディリだけに限定しておいた方が良いんじゃないか?」


「ウェテリ殿との嫁姑関係が一番の心配だったが、随分と気に入ってくれたようだからな。べルティーナの片思いにならなくて安堵したよ。つられてかは分からないが、エスピラも自分の子のように思ってくれているしな」


「嫌いになる方が難しい良い子だよ。マシディリにぴったりの、ね」


 誇りの高さと芯の強さも、マシディリの光となってくれている。

 良い影響を随分と与えてくれているのだ。べルティーナがいれば、マシディリが道に迷っても途方に暮れることは無い。きっと、ともに間違った道でも泥だらけになって突き進み、戻ってきてくれるはずである。


「ウェテリ殿が亡くなって、そろそろ五年か」

「……そうだな。また、冬がやってくるよ」


 もしも、メルアがあそこまで弱ったのが夏だったら。いや、春や秋の穏やかな気候だったのなら。


 そう思わずにはいられない。恨まずにもいられない。誰を恨めば良いのかなど分からないが、考えずにいられないのだ。


「賢い女性だった。嫉妬の強さはいただけないが、アレッシアの女たるもの、ウェテリ殿を参考にするべきだとは今でも思っている」


「……そうかい……」


 だらりとペリースを垂らしたまま、サジェッツァに背を向ける。


 のろのろと廊下を行けば、シニストラも着いてきた。きっと、サジェッツァに正面を向けたまま歩いているのだろう。


「リリアントにも伝えたい。その内、話を聞きに行っても良いか?」


 のっそりと、されど静かにエスピラは足を止めた。


 振り返りはしない。視線を感じるが、何を見るでもなく先をみたまま、少しばかり時が止まったように体を止める。


「……機会があればな」


 小さな声は、しかし、しっかりとサジェッツァに届いたようだ。


「ああ。約束だ」

 大きくは無いが、はっきりとした声。


(約束か)


 目を閉じてから、足を踏み出す。


 二か月ほどでマシディリと合流する。そのためには、もう、エスピラはアレッシアを発たねばならなかった。

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