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最期の一押し

 最初に地鳴りに気が付いたのはエスピラか、地面に伏しているベルベレか。次いで地に立っている兵で、同時に奥に居る黒髪黒目の彫が深めの男。見ている方向はエスピラの達の左斜め後ろ。降り注いできたのはアレッシアの投げ槍。装備破壊を目的とした、着弾後に直ぐ折れ曲がる作りの槍。


「退け!」


 黒髪黒目の男が叫んだ。


 ハフモニ兵が五人を残して退き、奥で別の五人が止まって残りは退き、また五人を残して交代で退き。投石が幾つか殿となった兵の上を飛んでアレッシア兵に降り注いだ。


 そうして、整然と統率の取れた動きでハフモニ兵が退いていく。


 入れ替わるようにやってきたのはアレッシア騎兵。アワァリオを先頭に約二十名。遅れて、歩兵がやってきた。その数は五十を下らないだろう。


(随分と判断が早かったな)


 ハフモニ側の、退く判断が。

 ベルベレが捕虜となるのを分かっているのに。しかも、質の良い鎧や剣を装備し、一騎打ちの前に直接耳打ちするような形で黒髪黒目の男と話していた、それなりの立場にある可能性のある男を。


「ご無事でしたか?」


 重武装したソルプレーサが兵をかき分けて出てきた。


「死者の数、と言う意味ではな」


 エスピラは戦っていた者達に目を向けた。


 幸いなことに死者はいない。だが、『まだ』いないだけかも知れないと言う傷を負っている者も居る。無傷の者はシニストラとグライオぐらいのモノ。レコリウスも右肩を負傷していた。


「白のオーラ使いはすぐに治療を! 血を失い過ぎてなければ良いのですが」

「戦闘時間的には長くは無かったからな。助かると信じたい」


 エスピラはベルベレを兵に引き渡してからウーツ鋼の剣をしまった。


「流石はグライオ様、と言っておきますか。すぐさま、赤のオーラを空に三回打ち上げたのは彼のお方でしょう?」


 エスピラの横を歩きながらソルプレーサが言った。

 警戒に当たるように視線を凝らして感覚を研ぎ澄ませている様子を見せていたグライオがエスピラの方を向く。


「流石だな、グライオ」


 エスピラが労う。

 グライオの頭が下がった。


「ありがたきお言葉、痛み入ります」


 回復に当たっているシニストラの表情が少しだけ硬くなったような気がした。


(素直だな)


 詩を好み剣の腕も立つとは言え、少々腹芸が苦手なのはアルグレヒトの家門としての人の良さか。


 その素直さが少しばかり同じ血の流れているメルアにあればと思わないでもない。


「しかしながら」


 グライオの言葉に引き戻されるように、エスピラは目をグライオにやった。


「私が早くに場所を伝えたがためにハフモニの攻撃を誘発し、味方を危険に晒した可能性もあります。その場では最善の行動だと思いましたが、思い返せば軽率な行動だと非難されてもおかしくない行動であると判断いたします」


 自分に、と言うよりもベロルスに対する風当たりを理解しているが故の謙遜だろうか。


「なるほど。言っていることは最もだな。だが、グライオが伝えなくてもハフモニは攻撃を仕掛けてきたかもしれない。その時にグライオの素早い救援要請が無ければ死者が出たどころか、皆死んでしまっていた可能性もある。結果だけを見れば、グライオのおかげで全員が助かった。それが全てだ。君の行動は正しい。皆を助けてくれたこと、改めて礼を言おう」


 優しく、それでいながら鷹揚にエスピラはグライオの言葉を否定した。


「勿体なきお言葉にございます」


 頭を下げた後、グライオがエスピラの前から辞した。


 戻っていったグライオにシニストラが近づいていく。口の動きとかすかな声から、「何人討ち取った?」とシニストラが聞いたようだ。


 グライオはあまり表情を変えずに「三人」と答えている。シニストラは渋面を作った後、「流石だな」と多分言って「助かった」と付け加えて治療に去っていった。


(若さと理性か)


 ベロルスとベロルスに名誉を棄損されかけたアルグレヒト、と言う構図でもあるのだろうが。


 それを言えば、一番悪いのはベロルスだとしてもメルアを自由にさせていたセルクラウスやウェラテヌスにも責はあるのだが、アルグレヒトからすればある程度抜け落ちているのだろう。少なくとも、ウェラテヌスの責は。


「エスピラ様。もしも若さだとか思っているのでしたら、私やグライオ様から見たエスピラ様とエスピラ様から見たシニストラ様の年齢はほとんど変わらないことをお忘れなく」


 ソルプレーサが見なくてもジト目を想像できる声で言ってきた。


「絶対的な年齢が違うから良いでは無いか」


「それを言うのであれば現時点ではシニストラ様の方が同じ歳のエスピラ様よりも軍団に於いて高い地位に居ります。まあ、来年にはエスピラ様の方がやっぱり高い地位に居たとなるのでしょうが」


「タイリー様と言う発言権の強すぎる方がいるかどうかの違いだな」

「謙遜でもその発言はやめた方がよろしいかと。正直、とても腹が立ちます。色々な面で」


 エスピラは苦笑を漏らした。


「正直だな」

「おや。エスピラ様はご機嫌取りが御所望で?」

「そんなもののためにわざわざ引き抜きはしないさ」


 手が余ったらしい白のオーラ使いがエスピラの方にやってきたが、エスピラは右手のひらを見せて止めた。

 そのまま下がらせる。


 痛みがない訳では無い。


 だが、これは馬上から飛び降りた時の怪我であり、兵に負担をかけてまで治すモノでも無いとエスピラは思っている。


「ただ、今回に限ってはご機嫌取りが居た方が良かったかもしれませんね」


 エスピラはソルプレーサに目をやったあと、周囲を見回すように目だけを動かした。

 別に、顔の知らない者が居るわけでは無い。皆がエスピラの隊に居たことのある者であり、ソルプレーサの隊の者だ。


 そこまでして、「今回」が今この時を指しているわけでは無いとエスピラは思い至った。


「ベルベレなる輩がハフモニの高官なら、厄介なことになるな」


 そして重い溜息と共に言葉を吐きだす。


「逆に言えば、護民官共の口を黙らせることは出来るかも知れませんが」

「撤回させるのと、下らぬ対抗心から会戦を押し進めるの。どちらが早いだろうな」


「そこは腕の見せどころでは?」

「もう少しまともな状況ならやりがいもあったんだけどな」


 冗談めかして言いはしたが、暗澹たるものが渦巻き始めている。


 僅かな兵と共に敵陣の近くに居るのは軍団長補佐が二名と軍団長補佐筆頭なのだ。一軍団だけで見れば上位六人の内三人が固められている。エスピラとて、此処に居るのが力量確かで動きやすい面子なのはありがたいが、例えばここで出会ったハフモニ軍がもっと多ければ多くの高官が死んでいた可能性も高いのだ。それも、会戦では無い所で。会戦反対派ばかりが。


 要するに、死んでも構わないと思われているのだ。

 むしろ死んでくれと思っている者も居るかも知れない。


「マールバラもアレッシアの偵察の基本は高官が出向くことを知っていたのでしょうが、此処まで固まっているとは分かっていなかったみたいでまだ助かりましたね」


 少し時間が空いて、ソルプレーサがそう発した。


「ああ。そう……、そう、なのか?」


 ふと、思う。

 本当に知らなかったのか、と。


 同時にそれは買いかぶりすぎでは無いかとも思ってしまう。

 そこまでマールバラが天才なのか。こちらの動きを見ているのか。こちらの行動を把握しているのか。


 そんな訳は無いだろう。


 だが。


「何か、気になる点でも?」

「いや、マールバラが会戦を望んでいるのなら、と思ってね」


 さっさと退いたのも、一騎打ちを挑ませたのも。

 エスピラに高官を渡すためならば?


 顔を知らなくてもエスピラ・ウェラテヌスと言う人物はすぐに分かる。片掛けマントで左半身を隠し、左手も革手袋で隠している人物などアレッシアには一人だけと言って良いのだ。


 会戦に反対している者に手柄を立てさせ、会戦派を焦らせる。更なる手柄を、大きな手柄を求めさせる。行動を起こさせる。


 カルド島の功績があるエスピラが更なる功績を挙げれば、焦る会戦派は多くなるのだ。


 軍団全体で見れば会戦派が主導権を握っている以上、マールバラの目的が会戦ならば、ほぼ達成させられるだろう。


「……まさか」


 声を潜め、低くしているがソルプレーサですら動揺が隠せていなかい。


「私も、まさかと思いたいが。嵌められていたとなった場合は最悪なことだ。まさか私の手で最後の一押しをさせられるとはな」


 いや、考え過ぎだ。

 そうに決まっている。


 エスピラは、そう言い聞かせながら浮かべるべき堂々とした表情を何とか作り出した。


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