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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
1319/1589

行きつく先を Ⅰ

「よっす」

「不敬」

 右手を挙げたイーシグニスの尻に、レグラーレの蹴りがめり込んだ。


「あっだっばっ! 何すんだこんにゃろ!」

「アルビタ」

「悪かった。俺が悪かったから。な、アルビタ。引いている右足を元にもどしてくんねえかなあ」


 レグラーレに蹴られた直後は尻を抑え、痛みにもんどりうつ足で踊り、今はアルビタに対して必死になって両手を上下させている。


 イーシグニスと言う男は、どこまでもひょうきんな男だ。何かを示せば、より良い音色になって帰ってくる。


「ふざけているのなら帰りますよ?」

 だから、マシディリも二人に乗った。

 くねてん、とイーシグニスの右腰が折れる。


「用件があるに決まっているじゃないですか」


 困ったなあ、とイーシグニスが手を伸ばし、顔を弱らせる。マシディリも口角を緩めた。後ろではピラストロとパライナが「これがいつもの?」「いつもの」とささやき合っている。


「んおっほん!」

 わざとらしいのは、イーシグニスの咳払い。


「不敬」

 即座にレグラーレが言い、アルビタが動いた。


「切り替えじゃないかっ!」

 ぴょん、と跳びはねたイーシグニスの手にアルビタの蹴りが当たり、イーシグニスの着地位置が少しずれる。


「エスピラ様は何と仰っておりましたか?」

 おふざけ四人衆を他所に、ティツィアーノが淡々と尋ねた。


 ファリチェやフィルノルドでは無かったのは、二人の力関係を慮ってのこと。


 家格は二人の上。軍団長としてはファリチェと同格。派閥内ではフィルノルドと同格だが上にもなりうる立場。なおかつ、エスピラの弟子と言う姿勢をとっているのだ。


 イーシグニスが表情を引き締める。


「あと二か月ほどでこちらに軍団を展開できる見込みだと仰っておりました」

 イーシグニスが背筋も伸ばし、堂々と声を張る。


「半島各地の宿場町及びオピーマ派と愛人関係にあった者達の粛清は完了間近です。二か月の遅延は、東方、エリポス諸国家をエスピラ様が気にされているからになります」


 エリポス諸都市と顔を合わせたことが多いのはエスピラだ。

 しかし、エリポス文化に傾倒しているのはマルテレス。一方でエリポスの権威を落とし、半島に対する影響力を著しく下げ、都市を壊滅に追いやったのはエスピラ。


 警戒も、当たり前だ。


「エスピラ様は、ケラサーノの戦いで得たマシディリ様の勝利を最大の果実に実らせようとしております。故に、これ以上のマシディリ様の積極戦闘参加には難色を示しておりました」


 スペランツァからの視線を感じる。

 マシディリは、見ようとはしなかった。

 見ようともせず、声帯を震わせる。


「テルマディニの奪還および整備までが本隊受け入れ準備だと思います。

 カウルレウル・ウルブスとウィリィディリマリス・ウルブスだけでは賊徒が多い現状では補給線が不安定になるでしょう。マルテレス様の軍団も略奪を始めたことで、飢えている民は増えています。賊に転じる奴輩もますます増えるのは、防げません」


 イーシグニスに言っても、とは思う。

 父には、そこを何とかするのが副官の仕事だとか言われそうだ。


「テルマディニ奪還戦を行うことをエスピラ様は否定しておりません」


 意外な言葉。

 でも、無い。


「アレッシアからこちらまでは遠くにありますから、他ならぬマシディリ様の判断であれば尊重するとエスピラ様は考えております。だからこそ、アルモニア様では無くマシディリ様を副官に選ばれたのだと言って憚りません。


 加えまして、プラントゥムからはオプティマ様の軍団が迫ってきております。挟撃となれば、勝率は大きく上がるでしょう。後方支援計画が返ってきていない以上、テルマディニの港が必要にもなってきますし、細かすぎる作戦は敵の尖兵に計画書を奪われる可能性が高いとみるべきだとも納得しております。


 ただし、テルマディニにマルテレス様がいるからこそ、エスピラ様の策も円滑に進むこともあるのだと言い切らせてもらいましょう」



 返ってきていない、と、ティツィアーノが小さく呟いた。

 マシディリの鋭敏な耳だからこそ聞き取れた言葉なのか、あえてなのか。イーシグニスがティツィアーノに目を向けることは無かった。


「エスピラ様の計画って?」

 イーシグニスが欲していたであろう合いの手をピラストロが入れる。


 イーシグニスが口角を上げると、懐からパピルス紙を取り出した。見せつけるように堂々と大げさに広げている。



「ヘステイラおよびメルカトル両名を元老院に召喚する!

 罪状は多岐にわたり、此処に列挙することは出来ない。ただし、蟄居したはずの土地から舞い戻り、今はプラントゥムから出てきてマルテレスに同行している。このことは罪を犯した自覚があるからこその行動である。

 また、この勧告を意図的に無視したと判断した場合、両名を国家の敵と認定し、両名に対して相応の措置をとるものと心得よ」



 まだ正式な命令では無い。

 が、今頃可決されているのだろう、とマシディリは推察した。


「いまさら?」

 と、アグニッシモが口にする。


「交渉者次第、ですね」

 マシディリは、弟への返事を全員への呟きとして口にした。


「マルテレス様の父親であるメルカトルはもちろん、愛人としてそれ以上の根の張り方をしたヘステイラも国家の敵となり相応の措置が取られれば、アレッシアにあるオピーマの財は『無かったこと』になります。

 それに、インテケルン様を失い、子供達の多くも失った後に残った子供達も失いかねない勧告が飛んできた。となると、弁明のためにマルテレス様が動く可能性も非常に高い、と」


 覚悟が決まっていない、と多くの者は言うかも知れない。


 ただ、マシディリは知っているのだ。


 マルテレスが、オピーマの後継者としてはクーシフォスを指名していることを。


 つまるところ、今のマルテレスの手持ちのモノはオピーマとは関係ないモノが多い。マルテレスが置いてきたモノこそ、クーシフォスが正式に継ぐべきモノ。


 それらが無いことにされてしまうのなら、どうするのか。


「テルマディニを奪い取った後でも良くない?」

 アグニッシモが指をさす。

 ぺし、と隣にいるスペランツァに手を叩かれていた。


「テルマディニを奪い取った後でこっちから届ければ良いじゃん。

 おじさんのことは良く知っているけど、テルマディニで負けたからって何か思うような人じゃないよ。父上の策に乗る時は乗る。乗らない時は乗らない。


 兄上の勝利を、っていうのなら、今を見てよ。


 ウィリィディリマリス・ウルブスとスマシャニャルと二連勝だよ? ウィリィディリマリス・ウルブスで逃がしたのは、俺とクーシフォスの不手際。スマシャニャルが決定的な一撃にならなかったのは俺がスィーパス程度に手こずったから。


 準備を重ねた兄上の完璧な指揮も、突如の場面に対する兄上の咄嗟の指揮も、兄上の名声を高める要素でしかないと思うけど」


「エスピラ様の伝言だからなあ」

 イーシグニスが肩を竦める。


 とぼけた様子だが、今のアグニッシモに対して反対意見を言っても効果が薄いと言うことが分かっているような動きだ。


 同時に、アグニッシモがイパリオン戦役では否定的だったクーシフォスのことを今では認めているようなのも分かった。


「伝言と言えば、もう一つっ。っと、あったあった」

 とぼけた様子で、イーシグニスが自身の剣を抜く。

 鞘から取り出されたのは刀身でも、一緒に出てきたのは羊皮紙だ。


「『目的を違えないで欲しい』」


 今度は、しっかりと紙を見ながらイーシグニスが読み上げる。

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