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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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ウィリィディリマリス・ウルブス

 臭いが鼻を突く。

 排泄物ごと人体を焼き、汚れた髪が燃え盛るような臭いだ。

 太い針が鼻奥へと無造作に突っ込まれる、そんな痛みを覚えるような臭い。


「酷いですね」

 マシディリの声に応えるように、ぱきり、と燃え尽きかけた柵が崩れ落ちる。


 河港都市ウィリィディリマリス・ウルブス。在地化したエリポス人が現地民と混ざり合い、新たな部族として出来上がったような都市だ。


 何よりの特徴は、内陸部に続くガル川の河口にあると言うこと。


 ガル川は山から栄養をもたらし、多くの魚と穀物の恵みをもたらすだけではなく、水運の発展をももたらしている。その結果が、ガル川流域に連なるエリポスの植民都市を元とした街の数々だ。


「補給を潰す良い手です」

 褒めているはずのグライオの顔は硬い。

 鉄面皮とも言えるかもしれないが、その奥にはしっかりとした感情が見えてくるようだ。


「兄上とグライオ様のおかげでアレッシア兵の犠牲無く手に入れられたことを喜ぶ方が建設的です」


 やたー、とスペランツァが小さく両手を挙げた。

 棒読みである。過酷な戦役故にか、前にあった時よりは頬もこけ、髪の切り方もばさばさになっていた。


「修復に入れますか?」

 スペランツァには曖昧な笑みを返し、真面目な顔でグライオに聞く。


「一割残っているオピーマ水軍による補給を是とするのであれば」

「兄上がやった方が良い」

 グライオの返答に被るようにスペランツァが言う。


「グライオ様は敵水軍の壊滅と制海権の確保が仕事。兄上は先遣隊として父上の本隊が無事に来れるようにするのが仕事。


 カウルレウル・ウルブスはクルムクシュに次ぐ良港だけど、テルマディニ奪還戦の補給基地とするには遠すぎます。あそこからなら、天候に恵まれて土が良ければ陸路で十三日か十四日。でも、ウィリィディリマリス・ウルブスを使えればガル川を遡上して積み荷を降ろせば残る陸路は四日で済む。


 テルマディニ確保まで先遣隊でやってしまうかは別としても、ウィリィディリマリス・ウルブスの整備は作戦上必要な事柄であり副官の仕事だと思います」


 至極尤もな発言だ。

 軍事命令権保有者が父で、副官がアルモニアであればそうなっていただろう。


「植民都市群との間で最大の機能を持つ港湾都市になれる潜在能力を持つのは、テルマディニだよ。私の仕事は、テルマディニの早期奪還と改良さ」


「幸いにして現在の敵軍は一万程度。こちらは、動ける者でも二万五千。兄上が出るまでもありません」


 油断は禁物だよ。

 そう言いかけて、止める。

 言ってしまえば、まるで信用していないようにも聞こえかねないのだ。


「アグニッシモから聞きました。また、随分と前に出たそうですね」


 神託、とマシディリは少しだけ声を落として返した。

 もちろん、グライオにも聞こえている。だが、グライオは何も反応を返さなかった。聞こえなかったことにしてくれたのである。


「兄上の命の価値は目の前にいるセルクラウスの当主であるスペランツァよりも高いことをしっかりとご理解ください」

 スペランツァが口を閉じた。鼻から強く息を吐きだしてもいる。


「マシディリ様が前に出ることをエスピラ様が快く思わないのは承知の上ですが、ウィリィディリマリス・ウルブスの応急手当は私が行いましょう」


 話題を止めたのは、グライオ。

 経験と父の戦略への理解度は悔しいがグライオが一番だ。そのことをマシディリもスペランツァも良く分かっているため、話し合いはグライオの案で決着する。


 そして、復興の責任者をグライオと定めれば、後は計画のすり合わせだ。


 焼け焦げ、奪われつくし、灰燼と化した街を歩きながら、マシディリはグライオと意見を交換していく。スペランツァも時々入り、川の傍のどこに建てるか、前はどのような感じであったか、どうせならどう改良するかもすり合わせた。


「しかし」

 と、少しだけ高い堤防でグライオが足を止める。

「見れば見るほど、本当にマルテレス様がいたのか疑問に思えてきてしまいます」


 マシディリも足を止め、街の方を振り返った。


 黒と灰色。燃え尽きた街。食糧の類の燃えかすや形を変えても残るはずの鉄などが無いのは、略奪の証拠である。室内に男や老人子供が多く、女の死体は少ないことも、また狼藉をうかがわせるモノだ。


「アグニッシモの追撃を何度もかわせるだけの実力者がそう簡単にいたら困る」

 スペランツァが眉間を険しくした。


「ええ。撤退の上手さは、やはりマルテレス様と思わざるを得ないのですが」

 珍しくグライオの歯切れが悪い。


 気持ちは、分かる。

 この作戦には、マシディリも気合を入れていたのだ。


 グライオとも連絡を取り、ティツィアーノ、ファリチェ、フィルノルドと言った在地陸軍にも念入りに計画を伝えていた。


 大まかに言うと、ウィリィディリマリス・ウルブスにいるマルテレス軍を包囲した状態で攻めかかる策である。


 ウィリィディリマリス・ウルブスの西側はガル川だ。水運に使う川であり、簡単に大軍が渡れる幅では無い。


 東側、カウルレウル・ウルブスとウィリィディリマリス・ウルブスの間には巨大な湖が広がっている。主要街道は湖の南を通る、海と挟まれた道。敵からしても最も進軍が予想しやすい道を手持ちの中で最も計算できる軍団であるティツィアーノと再編第四軍団に。湖を北回りする道を第七軍団に。


 そして、フィルノルドの隊は動ける者五千を率いて湖を横切らせたのだ。この時点で、奇襲である。ただし、これだけでは無い。


 アグニッシモとクーシフォスの精兵を、さらに北、湖の傍を通らせずに森を迂回させて、ウィリィディリマリス・ウルブスよりも川幅が狭く立派な橋がある場所を通過するようにして攻め込ませたのだ。


 マシディリも、プラントゥム以来の精兵一千とグライオの隊と共に海、つまり南から攻め寄せた。


 別々に進軍する軍団の移動速度を完璧に合わせた、これ以上ないほどの見事な作戦。海や湖、森で伝達の難易度も跳ね上がっている中で、どの隊も遅らせずに攻撃を合わせた神がかり的な指揮。全ての軍団が行程を守り抜いてくれたことによる奇跡。


 正直、マシディリも自賛しているし、グライオも最大級の賛辞をくれた。


 それでも、逃げられたのだ。


 マルテレスは素早く兵を纏めるとアグニッシモとクーシフォスのいる北方にさっさと抜け、逃げ遅れた質の悪い兵によってアレッシア軍の進軍も停滞する。その隙に橋を渡り、燃やし、遠くへ。


 今はアグニッシモとクーシフォスが追撃を行い、第七軍団も喰らい着いているはずだが、戦果は見込めないだろうとはスペランツァの推測である。


 だからこそ、この残酷な略奪の光景が符合しない。


 理屈は分かる。

 統率を失った軍団が賊徒と化したのだ。

 良くある話であり、珍しいことじゃない。

 マルテレスの軍団もカルド島でやってしまっていた。


 でも、此処までじゃない。

 それに、カルド島では略奪の結果、アイネイエウスによる反撃を許しているのに、同じ失敗を繰り返すのだろうか。


「戦略が変わった」

 スペランツァがこぼす。


「心神喪失、では、なさそうですね」

 マシディリも顎を引きながら答えた。


 インテケルンを失い、歴戦の仲間たちを失い、オピーマ水軍も見る影も無い。全てを失ったとすらいえる状況だ。ならば、マルテレスが強い心を失っていても、理解し、同情してしまうほどのことである。


 だが、事実としてマシディリの完璧に決まった作戦から逃げ出した。

 これは、マルテレスが健在で無いとできないはずだ。


「食糧で集め、食糧で戦う。山賊のやり方と見た方がよろしいような気がいたします」


 即ち、戦えそうな人間だけを集めた、乱雑な集団。

 だから正面切って戦えない。だから、マルテレスの目が離れるとすぐに俗物と化す。


 グライオの言葉が真実であるならば、テルマディニにマルテレスの父親であるメルカトルや愛人であるヘステイラを呼んでいると言うのは事実かも知れない。


 彼らにつけている護衛やフラシ騎兵を、次の戦いで投入せざるを得ないと言う、証左なのだから。

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