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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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決意

「却下だ。クイリッタは自分の命を軽く捉えている節があるね」


 前半は強く。

 後半は、父としてやわらかく哀しみと呆れを混ぜた声で伝えた。


「それは父上の話では?」


 クイリッタの返答には、遠慮がない。

 ずけずけとした言い方だ。

 ただし、エスピラから見れば一種の甘えであり、悪い気は全くしない言い方である。


「メルアが、死んでも傍にいると言ったんだ。子供達を守って、と。

 私が命を粗末にできると思うかい?」


 かすかに衣擦れの音がする。

 視界の端で愛息を捉えれば、クイリッタは顎を僅かに引いていた。


「私が行くのはね、クイリッタ。約束を守るためだ」


 メルアとの約束も当然ある。最も愛しい人だ。何があっても、エスピラはメルアを優先するだろう。


 同時に、もう一つ。


「私はマルテレスを支えると約束したんだ。アレッシアで、と言うのは叶わなくなったが、今の、多くの者に担ぎ上げられ、利用されている状態から救うのもマルテレスと言う男のためだよ。マルテレスの名誉を永劫守る。それもまた、支えると言えるとは思わないかい?」


「そのために」


「ああ。そのために、マルテレスの周囲にいる血縁者以外は苛烈に処罰を下す。便乗した者達も、だ。だが、マルテレスの血縁者自体はアレッシアに残っていれば助けるよ。


 それに、マシディリに負けて、インテケルンを始めとする多くの戦友を失ったことで消沈しているだろうからね。余計にマルテレスがいいように操られかねないよ。


 それは、見ていられない。

 だから行く。


 私が行くことで子供達を守ることができて、同時に次の世代にマルテレスと言う男の戦いや私のやり方を伝えることもできる訳だ。


 私は、愛妻と親友との約束を守るために行くつもりだよ。命を粗末にする訳じゃない。そして、私の生き方を伝えるためにも行く訳だ。


 フラシに対して、信が無かったのはまあ、その通りだ。フラシの反逆は私の責任でもある。でも、私も誰に対しても信が無い訳じゃない。貫くモノは貫くつもりだ。


 だから、許してくれるかい?」



 クイリッタが、音を立てて息を吐いた。


「お許しになるかを決めるのは母上です」

「そうか」

「ええ」

「そうだね」

「ひとまずは、今後の方針を」


 クイリッタが左足を引き、エスピラに正面を向けた。

 すぐに腰を折り、頭を下げ、膝を曲げる。


 静かな霊廟は、クイリッタの一連の動きの間は衣擦れの音をエスピラの耳に届け続けたが、すぐに無音に戻った。揺らぎの一切無い湖中のようである。


「私とメクウリオは陸路で向かう。クイリッタは海路で移動して、先にマシディリと合流していてくれ。ジャンパオロも海路で向かってもらう。

 それから、ルカッチャーノには下がるようにアスピデアウスから命令を出してみるよ。聞くかは知らないけどね。私だって少しばかり強引に出ても問題は無いだろう?」


「むしろ、排除するべきでは?」

「パラティゾやべルティーナが奮闘しているのにかい?」

「トトリアーノは裏切りました。そこを突けば、元老院の掌握だって可能です」


 今度はエスピラがゆったりと息を吐き切った。

 言いたいことは分かる。


(その場合、サジェッツァがどう出るか)


 エスピラからしてみれば、サジェッツァはアレッシアに影響力を持つエスピラと言う人物を排除したがっているのだ。反撃が来れば、どう動くか。エスピラ達は戦場にいるのだから、国内ではどうしてもサジェッツァが優位に立ててしまう。物資を握っているのは、サジェッツァであり、元老院。


 現に、第二次ハフモニ戦争では元老院からの支援がほとんど得られないまま、エスピラは戦わざるを得なかったのだ。


 ならば、むしろ。

「表面的には寛容な態度をとっておこう。その方が、あとあと都合が良いはずだよ。多くを味方につける意味でもね」


「表面的には」

「クイリッタ」


 含みを持たせた愛息を、声音で叱責する。

 全く響いていないかのように、クイリッタが目を細めた。


「サジェッツァはトトリアーノの娘を養女にしようとしているとか。明らかにおかしな行動です。父上をマルテレスと戦わせようとし、その裏で自分はマルテレスに味方した身内の家族の面倒を見ようとする。

 元々、トトリアーノには裏切るように伝えて置き、父上の前の部隊もマルテレスに物資を運ぶための軍団だったのか。あるいは、アスピデアウスで一番と言う美貌に惹かれ、自身の齢を考えずに汚い老人と成り果てたのか」


「クイリッタ」

 声を低く、昏くする。

「私は、サジェッツァの名誉を傷つけることを好まないよ」


 尤も、そのような噂が発生するのを防ぐことは出来ないだろう。

 それでも、積極的には行いたくないのだ。


「父上がそういうのであれば」

 クイリッタが目を閉じる。

 どこか、肩の力も抜いたようだ。


「それに、万に一つもべルティーナを敵に回したくは無いしね」

「回らないと思います。兄上がべルティーナに惚れすぎているように、べルティーナも兄上から離れられないように見えますから」


 どこかの誰かのように、とクイリッタが肩を落とし、やる気なく頭を傾ける。口は半開きだ。


「理想的な夫婦関係だね。素晴らしいよ」

 私とメルアには及ばないけどね、と、エスピラは快活に笑い飛ばした。

 クイリッタの体が余計にしぼむ。


「クイリッタは上手く行っているかい?」

「ほどほどに。正妻としての地位と振る舞いさえ与えておけば、文句は言いませんよ」

「そっちじゃないよ。ディミテラと、さ」


 またしてもクイリッタの眉間に皺が寄る。

 過剰に閉じられた口は、しかし気恥ずかしさからくるモノだろう。


「色々。言い合っていますよ。サテレスの弟妹をどうするかとか、財の分与とか、教育方針とか。まあ、でも、悪くありません。誰かとゆっくり過ごす未来があるのなら、私は間違いなくディミテラを選ぶと、母上にも宣言いたします」


「二人できちんと考えられるのは良いことだよ」


 思えば、随分とメルアに任せていた部分も多かった。

 そう悔恨を込めながら、エスピラはメルアの墓に触れた。


「エスピラ様」

 数秒と立たない内に、部屋の外から声がかかる。


 ソルプレーサだ。と言うことは、時間だと言うことだろう。

 やることは多い。軍団のことに、軍団に関連してアレッシアの差配も行っているのだ。


「分かった」

 エスピラが言えば、頭を下げたような衣擦れの音がわざとらしく響いた。


「東方に対する軍事命令権も得た。カルド島とディファ・マルティーマの監督権も盤石。

 他に、マシディリが気にしそうなことは何かあるかな」


「たくさんあると思います。ありすぎて困るくらいに」

「はは。それは、私が困ったな」


「まずは、折角アレッシアに立ち寄れたのですから、フィチリタとセアデラにも顔を見せるべきでしょう。フィロラードも家に帰しつつ、レピナとの様子を伺いに行っては?

 作戦はほぼ完遂できたとは言え、後処理もありますから。半島に散らばった全軍が集まるにはもう少し時間がかかると思われます」


「そうするよ」

 今生の別れのようなことをしておいて、会いに行くのは少しばかり気恥ずかしいが。

 会わずにいくほうが、よっぽど悔いが残る。


「クイリッタも、ディミテラとサテレスに手紙を書くと良い」

「母上に、余計なおせっかいを、と言われますよ」

「メルアは言わないさ」


 ただ、冷たく睨むことはあるかもしれない。

 愛妻の、そんな元気な様子を思い出し。同時に、もっと言葉で伝えれば良かったと思った。

 酷い夫であり、待たせてばかりの人生である。それでも、メルアは幸せだったと言ってくれたのだ。


「メルアに恥じる生き方はしないよ」

 小さな声は、静かな霊廟の中に溶けて消え。


 エスピラは、ペリースを翻して霊廟をあとにした。

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