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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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報告

「母上は、何と仰いましたか?」

 肌寒い霊廟に、愛息(クイリッタ)の足音が加わる。

 シニストラですら外だ。中にいる生者は、エスピラとクイリッタだけである。


「メルアは、『そう』、としか口にはしないよ」

「母上らしいですね」


 声は近づいてこない。

 エスピラは、愛妻の墓から目を離すとクイリッタに目をやった。鎧は最低限しか着けていないのが目に入る。どちらかと言えば、文事か。


「メルアに報告かい?」

「はい。ケラサーノの戦いの詳報が入りましてので、父上と母上が揃っている今が都合が良いかと思いまして」


 ケラサーノの戦い。

 マシディリは、戦いの初日にのみその名称を用いて報告してきたが、元老院では一連の戦い全てを『ケラサーノの戦い』として記録している。


「快勝か」

 尤も、当のマシディリはまるで敗戦の将の如く気落ちしている。


 直接会ってはいないが、文字から気持ちが伝わってくるのだ。

 マシディリは、北方諸部族への改めての仕置きを差配しており、エスピラには味方になった者達への約束を伝え、履行するようにとの手紙を頻繁に送ってきてくれているが、その文字の悉くが気落ちしているのである。


「死者・捕虜含め、二万二千もの損害を敵に与えました。死者は歴戦のアレッシア兵が多く、捕虜は他部族の者が多くなっております。他にも散り散りになり、賊と化した者もおりますので、半島から逃げられた者は一万を切っているとの推測が、ファリチェから届きました。

 反乱軍が一時四万まで膨れ上がったと考えれば、損耗率は七割五分。マールバラ戦争のような戦いです」


「何よりも凄いのは、こちらの軍団は全て稼働可能なこと、か」

「それもですが、アレッシアで盛り上がっているのは討ち取った高官です」


 クイリッタがパピルス紙に目を落とす。

 無論、覚えてはいるだろう。あくまでも雰囲気作りだ。あるいは、メルアにこの様子を見せたいから、か。


「インテケルン・グライエトを筆頭に、裏切り者のトトリアーノ・アスピデアウス、フラシ騎兵を率いていたナシリアンヤ・ビハンヤを討ち取り、他にも敵に降っていたエステンテ、トリルハンを捕虜にしたそうです。


 特にインテケルンを筆頭にした敵精鋭重装歩兵は三千人が討ち死に。マルテレス配下の精鋭騎兵も千名近くが死亡したそうで。


 壊滅的な結果と言えるでしょう」


 エスピラは、小さく口角を上げた。

 クイリッタが眉間を険しくする。でも、原因はクイリッタだ。どこか、マルテレスを身内側にするような言い方だったのだから。


「降伏を促す使者でも送ってみようか」

「私が行きましょう」

 エスピラは、左の口角だけを、上げる。


「冗談さ」

 そして、目を切った。


「勝利を祝わせよう。それから、神殿に死者の弔いをするようにと触れを出しておくよ」

「かしこまりました」

 クイリッタの声はやけに事務的だ。


「裏切り者達はどういたしましょうか」

 この質問も、かなり事務的。


 らしいと言えばらしいが、メルアも厳しい目を向けそうだとエスピラは思った。もちろん、クイリッタも表情を変えずに受け流している様子も、想像に易い。


「最初からマルテレスについて行った者は半島に呼び戻そう。と言っても、しばらくは監視下で生活してもらうけどね。


 裏切り者は、戦いに連れて行くよ。今はクルムクシュとテュッレニアに分散して獄に繋いでおいてくれ。顔が変わらない程度の扱いで頼むよ。


 他部族の者は、奴隷として売り捌こうか。マフソレイオは相変わらず食糧援助を大量にしてくれているからね。人手は必要だろうし、要求があれば農機具の類や鉄、木材も一緒に格安で譲ろうか」


「そこまでするのですか?」

「お前なら後方支援の大事さが良く分かっているだろう?」

「私が言いたいのは、マフソレイオへの厚遇についてです」


 口を閉じ、鼻から息を吐く。


「マフソレイオは、きっと、アレッシアにとって最後の朋友になってしまうからね」


 アレッシアは、強大になった。

 ただの一都市から始まり、半島を統一し、そして此処二十年で一気に飛躍したのだ。


 多くの者が無条件に崇めていたエリポスを影響下に置いて、その上で飛び越した。西も良く分かっていなかったプラントゥムを今や主戦場にするほどに近くに感じている。海に近づけないような不平等条約を結ばされていたハフモニも、今や管理下。フラシですら内政干渉を行える。


 並んで歩ける国など無い。

 圧倒的な国力を誇る、最強の領域国家だ。


「外に敵はいないよ。アレッシアが闘争を続けている限りはね」


 自らの手で戦わなくて良くなった瞬間に、一気に弱体化する。

 幸か不幸か。エスピラが、その様子を見ることは無いだろう。


「厚遇で言えば、兄上も北方諸部族に対して随分温和な政策を行おうとしているようですが」

「温和かなあ」

 肩を揺らして笑う。


 北方諸部族同士での殺し合い。アレッシアから見ればそれで片が付くが、諸部族の名の通り、様々な部族を強引にひとまとめにしているのである。故に、行われていることは半島北部での覇権争いだ。


 ただし、誰が勝とうとアレッシアが首輪を握れるようにマシディリは手を回している。


「独断はしないようにね、クイリッタ」

「心得ております」


「だろうね。クイリッタには今更言う必要は無いだろうけど、マシディリにはマシディリの方針がある。こちらの方が良いと思った結果、マシディリが配慮していた者の面子を潰す可能性もあるからね。そうした結果、地盤を失えば意味が無いよ。


 仮に、クイリッタの方針が地道な活動を続けていたグロブスやマンティンディの功績を奪うことになれば、マシディリがクイリッタを討つことを視野に入れて動かざるを得なくなる。そんなことはさせないでくれ。


 と、他の子供達にも頼むよ」



 そんな身勝手な者が結果的に悲劇の英雄で語られることも、よくある話だ。

 周りを見た真面目な者が悪者にされることも良くある。諫めるために動いた者が悪の親玉に仕立て上げられることも、通説とされる歴史では珍しくもない。


「気を付けます。が、仮に兄上は? と私が聞いたらどう答えるつもりでしたか?」

 それは聞いているようなモノだ。

 もちろん、冗談の類で、ではあるのだが。


「第三軍団は半島に残って発生した賊の討滅とマシディリの方針を受け継いでの統治を行うからね。命令には反していないよ。

 むしろ、マシディリが半島の外に出て、私がマルテレスと戦わないのはクイリッタも望むところでは無いのかい?」


「どうでしょうか」

 愛息の表情に変化は無い。

 生真面目な顔で、口だけと言う必要最低限の動きしかしていないのである。


「私が死ぬとでも神託が下ったかい?」

「人はいつか死にますよ」

「違いない」


 マシディリのこれまでの行動からそう思っただけさ、とメルアの墓に目を戻しながら、口にする。


「私としては、スペランツァで決着するのが最善だったのですが。できれば、兄上もマルテレスとは戦わせたくありませんでした」


「マシディリほど功績を立てる機会を与えはしなかったからね。スペランツァでは軍事命令権を得ることも軍団の実権を完全に握ることも出来無いよ」


「オプティマ様が三万の軍団を組織したそうです。どの道、父上が行く必要も兄上が急いでマルテレスを追いかける必要もありません」


 エスピラの眉が高くなった。


「三万?」

「はい」


 クイリッタに顔は向けていない。だから、エスピラが知れるクイリッタの様子は、声だけだ。それでも、表情に変化があったと分かる。


「多いな」

「プラントゥムを封じるだけにしましょうか?」


 エスピラは、人差し指の側面を唇につけた。

 視線もやや下に固定し、数秒。

 唇から手を外し、軽く振る。



「いや、後方支援計画だけ聞こう。それから、マシディリには再度港の保持の徹底と副官としての職務の徹底を伝えておくよ。


 そうだね。イーシグニスを使おうか。

 あくまでも本隊を養えるだけの準備を整えることが第一だ、とね。


 それに、多分、半島外で越冬になるから。冬営地の確保とそれぞれを繋ぐ防衛網の構築、現地住民との協力関係の構築もぬかりなく頼むよ。あと、私が軍事命令権を得る前に半島外に出ていた者の中で今すぐに戦えない者も半島に引き上げさせよう」



 言い方は悪いが、無駄飯を食わせる余裕は無いのだ。


 確かに、両軍合わせてインツィーアの戦いを超えるほどの人数は集まらない。それでも、プラントゥムへと至る道にビュザノンテン規模の港が無い以上、いくつもの港を確保及び整備して、それぞれを繋いで物資を得る必要がある。現地調達も、両軍を支え切れるほどの物資があるはずが無い。


「マルテレスの脱出によって反抗する気力を失った者も多くいます。私が兄上の代わりに先行しましょうか?」


 クイリッタが、エスピラの横に来た。

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