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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1313/1593

最後まで

 誇る、と言うよりも、全員に聞かせるために、だろう。

 士気を削ぐのが目的だ。この男は、自棄になっているのでは無い。最後まで任を全うする覚悟で生きている。


 男の重心が、後ろに行く。

 踵だ。すぐには動けないほどに、地面に刺さるようによろめいている。糸が切れたようにも見えた。


「インテケルン様から、伝言がございます」


 先ほどまでの力強さとは逆の、穏やかさがにじむ声。

 マシディリも手のひらを左右の者に見せ、無言で待機を告げた。



「クーシフォス様とルカンダニエを信用し、信頼していることを明確にしてくれたことに感謝いたします、と。


 もしもお二方が戦功を欲し、信頼を得ようと必死になっていれば、初戦で俺達が勝っていた。お二方が先陣なのは読み切っておられましたから。そのまま勝ちにつなげる作戦を立てていたのですが、まさか、完全に信頼していることを伝えきれていたとは読み切れませなんだ。


 マルテレス様も、クーシフォス様とルカンダニエ様が良き人に恵まれたと笑っておいででした」



 マシディリは、ぐ、と奥歯を噛みしめた。

 目の奥にも力を籠める。


 言葉を、何か。


 言おうと思ったが、唇が開かない。


 男がまた口角を吊り上げた。目だけが、先ほどと全く違う。優しい目だ。



「この戦は負け戦だ。マルテレス様にあるのは、緩やかな敗北だろうなあ。


 スィーパス様に信用されていた方々も、マルテレス様に味方してくださったトトリアーノ様も、そしてインテケルン様も亡くなった。高官を徐々に削られていると言うのに、マシディリ様の下で死んだ高官はいない。百人隊長も皆無事ではありませんか?


 それだけの優勢なのに、何故、まだ仲間を危険に晒そうとされるのです?」


「アレッシアを守るために」

 最早反射のように口が動く。


「アレッシアとは何ですか?」

 男が質問を重ねた。


 声は、大分小さくなってきた。唇も震えてきている。

 でも、芯の強さは未だに残っていた。


「アレッシアとは、アレッシア人を第一に考える集団です」

「俺達もアレッシア人ですよ」

「より多くのアレッシア人を、ですね」


 男の腹が動いた。

 かす、かす、と歪な、笑い声に昇華しきれていない音が漏れるように聞こえてくる。


「その基準は、ぶれませんか」

「ぶれますね」


 男が重心を前に持って来ようとする。


「正確には、私が守りたいアレッシア人が多く居る方を守るために、戦おうと思っています」

「素直な方だ」


 男の目が細くなった。

 目じりの皺がはっきりと見える。歳は、父と同じくらいか少し上か。


 だが、と、おだやかに色落ちて行っていた男の顔に、血色が戻る。眉も吊り上がった。


「それはこちらも同じ。負けると分かっていても夢を見る。マルテレス・オピーマに。

 だから俺達は降伏しない。死ぬまで戦い続ける。何があっても。

 それでも、マシディリ様にとって守りたい者達を率いて死地に突っ込む気ですか?」


「アレッシアを守るためならば」


 あるいは、父上を守るために、か。


 そして父を守りたい気持ちをアレッシアの利益につなげることが、マシディリがやるべきだったことであり、アビィティロが昇華してくれていたことである。


「守りたい者に死ねと命じるのが、上に立つ者のやることですか?」

「マルテレス様が、プノパリア様やアスフォス様を守りたくなかったと仰せになりたいのですか?」


 男の目が丸くなり、垂れる。


「それもそうか」

 独り言のように、男が呟いた。


 やがて、男の目が閉じられた。頭が垂れ、だらり、と骨が溶けたように崩れる。

 その状態でも両足で立ち続けるのは、意地か。


「私は」

 マシディリは一歩、男に近づいた。


 レグラーレもアルビタもトーリウスも止めるように反応する。それらを、マシディリは男にもわかるように押しとどめた。


「貴方のような人材を失うのを非常に惜しいと思っております。大きな損失です。


 私と共に来てはくださいませんか?


 この戦いの後で構いません。インテケルン様の菩提を弔っていても構いません。貴方の力が必要なのです。


 これからも、アレッシアのために。

 貴方と言う勇者の力が欲しいのです」



 ゆっくりと、言いながら。

 マシディリは、完全に男の間合いに入った。


 如何に足に力が入っていなかろうと、マシディリの首を狙える距離である。荒い息遣いもはっきりと聞こえてくる。強力な白のオーラ使いと適切な治療があれば、まだ、助かるはずだともわかる距離だ。


 男の顔が上がった。

 笑みは、また、種類が違う。


「それは、恥です。耐えがたき恥辱に他なりません」

「そうですか」


 惜しい。

 その気持ちは、変わらない。

 重くなる体と痛くなる胸とは裏腹に、マシディリの手は剣へと伸びた。


「では、戦死と言うことにいたしましょう」


 そして、剣を男に返す。

 男は眉間に皺を寄せた。


「情けのつもりか?」

「いえ。戦死ですから。かかってきてください」

「殺すぞ?」

「アルビタ、レグラーレ、トーリウス。彼らがいて、私の元に刃が届くはずがありません」

「信頼ですか」

 男の肩が、一度上下した。


「あと二、三十年若けりゃあ、貴方の下で戦ってみるのも良かったかもなあ」


 柳のように垂れた声の後で、男の体が一気に伸びた。

 剣を構え、マシディリの頭をかち割らんと全身を動かす。


 だが、その刃は届かない。


 マシディリの剣が男の胸を貫き、レグラーレの剣が男の剣を留める。アルビタが足を切りつけ、トーリウスがマシディリと男の間に割り込んだ。その拍子に、マシディリの剣が抜ける。


 ごふ、と男の口から血が垂れた。

 地面に落ちた血の後を追うように、男の体も倒れる。


「貴方も、背負ってはいけないことをお許しください」

 呟き、マシディリは男の死体を跨いだ。


「攻撃の手を緩めるな! インテケルン・グライエトが死んだ以上、敵は頭の無い蛇も同然。一気に、蹴散らせ!」


 吼えて、進む。

 しかし、既にクルトーネの陣は突破された後。


 壊れた柵と、踏み荒らされて出来た道。多くの兵が生き残っているのは、マルテレスが突破することだけを重視したから。


「申し訳ありません」

 アスバクが地面に頭をこすりつける。


「いえ。私も、遅れてすみませんでした」

 謝罪を止めさせ、立ち上がらせる。


「追撃を続けます。アスバクは引き続き此処を」

 ただし、この命令はすぐに待ったがかかってしまった。


「マシディリ様!」

 駆けこんで来たのは、マンティンディだ。

 意外な人選、と言うよりも、一大事だと分かる人選である。


「イエネーオス、スィーパス両名によって包囲が破られました! 敵が、クルムクシュ方面を目指しております!」


 眉間に、皺が寄る。

 破られるのは仕方が無い。数が違うのだ。


 マルハイマナ戦争の時はすぐに戦意を失った者達だったが、今回は違う。アレッシア人がいるのだ。その中でも完遂させたマールバラが化け物なだけであり、そのマールバラも取り逃がしたアレッシア人はいる。


 だから、咎めるつもりは無い。


「マンティンディの部隊も、こっちに来ている、と言う認識で良いですか?」

「はい。ですが、追いかけっこの状態ですので、間に合うかは」


 マシディリは後方、山を見た。

 追いかければ追いつけるだろうか。追いつけるだろう。山道なのだから、追いつけるはずだ。


 だが、それは挟み撃ちにあいに行くようなモノ。

 今の疲れた軍団では、敵が少数であっても挟み撃ちになった段階で心が折れてしまいかねない。


(父上)

 がり、と奥歯が音を立てる。


 神託を残しただけであるが、シジェロに対しても理不尽な怒りが湧いてきた。拳は震え、爪が掌底に突き刺さる。


 追いかけなければ、父上は。

 追いかければ、兵は。


 誰かが死ぬ。

 自分の、決断で。



「っくっそがっ!」


 らしくない汚い言葉と共に、マシディリは近くに小屋の壁に頭を打ち付けた。

 がつん、と脳が揺れる。

 つつ、と熱いものが眉間を伝って来た。


 慌てる音は、誰のモノか。ひゅ、と息を吸ったのはアグニッシモだ。珍しいこともあるものである。


(誰かが死ぬなど、いつものことではありませんか)


 ごり、と額を押し付ける。鈍い痛みが駆け抜けた。ずず、と額を引きずり、右手に歯を突き立てる。


 それでも。それでも、違うのだ。


 母が死んだ時、どうだったか。あの喪失感をなんと形容すれば良いのか。寿命を全うすれば親の方が先に亡くなるのが自然とは言え、割り切れるものでは無い。


 ぐ、とつま先が地面に埋まる。

 歯も肉を割いた。鉄の味が口いっぱいに広がる。


 誰を、殺す。


(いえ)

 ゆるり、と口から手を離した。唇が真っ赤に染まり、手からはぽたぽたと血が落ちる。


 ややもすると、マシディリは、ふう、と熱い息を吐きだしながら背筋をしっかりと伸ばした。


「クルトーネの陣の修復を急いでください。逃げる敵兵を、此処で迎え撃ちます」


「かしこまりました」

 トーリウスを始めとする近くにいた百人隊長が頭を下げ、伝令がすぐに他の百人隊長に向けて走りながら大声で命令を伝達していく。


 疲労困憊な中で、伝令が走り回った。百人隊長が大きな背を仲間に見せている。

 ならば、この軍団の頭であるマシディリが弱る訳にはいかない。


「もう少しだけ、私に力を貸してください。隣にいる仲間を守るために、皆の力を」


 胸を張り、歩きながら特に疲労困憊な者に手を貸して。


 マシディリはクルムクシュへと繋がる山に背を向けた。

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