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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1312/1590

最後まで Ⅰ

 限界は既に迎えている。


 マシディリの第三列は、マルテレスの最精鋭部隊と戦い続け、包囲を破られないように死闘を繰り広げていたのだ。


 インテケルンの重装歩兵は、クーシフォスとルカンダニエの攻撃を受け止め、ウルティムスからの圧迫に耐え、マシディリの第三列との戦いにも従事していたのだ。


 その上での、長距離の移動。

 武器を振る腕ははち切れそうなほどに張り詰めており、足裏は立っているだけでも痛い。動けば皮が擦れ、息もすぐに上がる。心臓も飛び出そうだ。


 その中で比較的元気なのは、アグニッシモの騎兵隊。決着の瞬間に投入した騎兵部隊であり、この戦いに於ける先鋒部隊。


 初撃で敵の隊列を砕けば、軍団らしき行動はあっけなく瓦解した。


 アグニッシモらが隊列を砕き、内側に入る。両脇から詰めようとする敵はアグニッシモについて行った重装歩兵が防ぎ、その間に他の兵も近づいた。何より、マシディリ側の百人隊長はアグニッシモによる突破を過剰に持ち上げ、兵も過剰さに気づきながらも目を瞑り気勢を上げたのだ。


 腹からの声である。雄叫びだ。仮初の勇気を現実にするための遠吠えであり、その遠吠えは味方にも作用する。


「押しきれ!」


 マシディリには、もう矢が無い。

 腰に帯びていた剣を抜き、敵から盾を奪って戦っている。


 だが、此処でもインテケルンの作戦は変わらなかった。

 突破されそうなところに最低限の兵を送り込み、全滅してから新手を送り出す。かじった程度では愚策と評される策。それでも、インテケルンにとっては最善手。マシディリにとっては、厄介な手。


 突破ができないのだ。

 戦術的な勝ちは確定している。だが、マルテレスを討ちとると言う戦略目標は遠ざかるばかり。


(間に合えっ)

 心の中で叫び、剣を振る。


(母上。頼みます)

 加護を願い、目の前の敵を蹴り飛ばす。


「マシディリ・ウェラテヌスは此処だ!」


 マシディリの言葉に、敵兵は見向きもしない。功名心など無いのだろう。

 彼らにあるのは、ただ此処で死ぬこと。死んでもマルテレス・オピーマを逃がすこと。


「私を殺せば全てが終わるぞ!」


 それでも、来ない。

 ぽたり、と汗が落ちる。別種の汗が背中を伝った。クルトーネの戦闘音は、目の前の戦場音でかき消されてしまっている。


(アスバクは、あとどれほど踏ん張れるでしょうか)


 どちらかと言うと後方支援のために連れて来た人材だ。

 マルテレス相手では荷が重い。

 武官も固めているが、陣としての機能の確立とクルムクシュとの連絡のためにアスバクをクルトーネの頭にしていたのだ。


(間違ってはいない)


 間違ってなどは。最善の人選だった。

 敵が来るとしても、これは、間違いでは無いのだ。


「突き進め!」


 吼えて、目の前の敵に盾から体当たりをかます。互いによろめき、離れたところでアルビタが間に滑り込み、敵の足を突いた。レグラーレがすぐに回り込み、敵の頭に盾をぶつける。最後によろめいたところで、再度アルビタ。


「マシディリ様」

「あれは、敵陣、ですか?」


 レグラーレの声に反応するが、視界は既に捉えていた。

 敵中央に、兵が殺到している様子を。剣戟も交えられている光景を。


 殺到しているのは北方諸部族兵だ。しかし、彼らが戦っているのはアレッシア兵だけでは無い。北方諸部族兵とも戦っている。


「どうしますか?」

 百人隊長の一人であるトーリウスが聞いてくる。


「盾裏の反逆は許されざる行為です。構いません。全員敵として処理してください」

「全員敵だ!」

 トーリウスが声を張った。


「マシディリ様は、盾裏の反逆を許すつもりは無い!」

 トーリウスの言葉を聞いた兵が繰り返し、叫び続ける。

 今戦っている敵兵に対する一種の揺さぶりでもあったが、行動に変化は無い。


(分かっていた?)

 北方諸部族の中に裏切り者が出ると。

 一部の北方諸部族は味方のままでいると。

 予想していたのか。


 ふ、とマシディリは息を吐く。


「少しお休みください。我らが下がった時も、マシディリ様は前線で弓を引き続けておりました」


 トーリウスが戻ってくる。

 まだいける。

 そう言おうと思ったが、マシディリは頷き、頼みますと口にした。


 乱戦だ。

 マシディリ達と、インテケルン隊。そこに加わる北方諸部族。


 到着は遅れに遅れる。

 そのことに焦りはあるが、大事なのはその次も。


「インテケルン・グライエトを討ち取った!」


 目を見開く声は、直後。


 呼吸が一瞬止まった。さてはて。どれほど吸って、どれくらいで出せば良かったのか。

 胸の下で繰り返すような浅い呼吸を三度した後、マシディリはゆっくりと腹への呼吸に移していった。


「つきましては、ご確認いただきたく!」


 同じ男の声が続く。


 近づいてきているのが見えた。


 左手で鞘付きの剣と共に何かを大事そうに握っているようにも見える。普通に考えれば、インテケルンの指輪だ。あの剣も、見覚えがある。他ならぬ、インテケルンの腰元で。


「返り忠にやられるとは」


 トーリウスが声を落とす。


 しかし、目は真剣そのもの。密かに臨戦態勢に入っていた。

 レグラーレは気配を消し、アルビタはマシディリの左斜め前に。


「マシディリ様」


 男は、そのまま近づいてきた。

 見覚えのある剣。ただの指輪に見えるが、恐らくは見覚えがある指輪。


 そして、見覚えの無い顔。


「こちらになります」


 男が足を緩め、膝を曲げる。左手を前に。指輪を上に。

 マシディリは、ゆっくりと足を前に出した。



「ご苦労様です」


 一歩。二歩。


 腕の長さと、剣の長さを確認し。



「どうか。ご確認ください」


 男が、頭を下げた。

 マシディリは、左足を前に出す。


 踵から、つま先へ。重心が移り、次に右足が浮く。前に行けば、自ずと重心も前にずれ、また、踵が接地した。


(ここっ)

 瞬間。男の顔が上がる。マシディリの右足が下がる。左で短剣を抜いた。男の右手も素早く左手に持つ剣を抜いている。槍が刺さった。男の腹に。アルビタの剣が男の右腕を叩いた。衝撃。


 致命的とも言える攻撃を受けてもなお、男の剣はマシディリの短剣を強く押し込むだけの力を有していた。


「くそ」

 鼻筋を引くつかせ、額を赤く、唇は逆に青白くさせながら男が吐き捨てる。


「申し訳ありません」

 さらり、と。春の小川の如き冷たさでマシディリは謝罪の言葉を口にした。


「第三軍団の顔と名前は、全員一致していますので」

 何のことは無い、と言わんばかりに。


「エスピラ様も、そうでした」

 男が吐き捨てる。


 ぐ、と再度右腕を押し込んでくるが、アルビタが剣を叩き落した。

 だらりる、と男の腕が落ちる。


「失敗に終わるっていうのは、分かっていたことでしたが。どうせ死ぬのならやらねば後悔するのでね」


 男の口角が上がる。

 こめかみを流れる汗は多い。顔全体もさらに汗ばんでいる。


「インテケルン様は、仰せになった。私の首を持っていけばマシディリ様に許されると。だから他部族の奴らが群がってきた。でも、俺らの味方も居る。一緒に、インテケルン様を守ろうとする者も居る。目論見は知らないが、俺らの味方だ。


 敵と味方の区別がつかない中でも、治めるべき異国の者を殺せると仰せですか?」


 それでも、男が高らかに吼えた。

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