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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1311/1590

これまでの

「指揮官はってやつ?」

 アグニッシモが唇を尖らせる。マシディリは、一度だけ目を愛弟から切った。


(忘れていた訳ではありませんが)

 多くの人が前にいてくれたと言うのに、取りこぼしていたことが多すぎる。


「どちらかと言うと、ディーリー様の言葉かな」

 マシディリは静かに言った。


「ディーリー?」

「そう」


「何だっけ。気は長く、雌伏は吉。慎重は美徳。短気は勇敢では無い。だっけ」

 マシディリは、頷いた。


「ついつい、ね。随分と視野が狭まってしまったから」

 でも、とやわらかい雰囲気を一転させる。


「今は狭くて良いよ、アグニッシモ。敵は十数名。それの繰り返し。速攻で打ち破り、インテケルン様の部隊に食らいつこうか」


「……兄上は、それで良いの?」


 意味を図りかねてアグニッシモを見る。


 いや、詭弁だ。図りかねてなどはいない。本質を知らずとも、本質を悟る能力をアグニッシモは持っているのだ。


「兄上が、一番マルテレスを殺したがっていたと思うけど、良いの?」

 アグニッシモが、繰り返す。


(指揮官とは、誰よりも情が深く冷淡であり、誰よりも自分に酔いながら自身の決断を疑い、誰よりも利を分配し己の利益に強欲でなくてはならない)


 ぐ、と拳を硬く握りしめる。


 そうだ。この軍団で、マルテレスを一番殺したがっていたのはマシディリ自身だ。同時に、マルテレスを殺したくないと思っている度合いも上位に入る。


「一つずつ。確実に。それが、最短だよ」


 本当か。

 そんなことは、分からないが。


 少なくとも、それが正解なのだと兵が信じ切れるように振舞うしか無い。


「分かった」

 アグニッシモの視線が離れていった。


「どうせなら、最後の一滴まで絞りつくして戦いたいのが漢の性、ってね」

 愛弟の両手が広がる。


「野郎ども!」


 轟、と龍が鳴いた。


「敵の刃で死ぬか、俺に殺されるか。二つに一つだ!」


 大きな舌打ちと、「おお!」と言う強引な歓声。

 アレッシア軍団の中でもまた違う毛色を持つアグニッシモ小隊の面々が気勢を上げた。


 その声を受けながら、アグニッシモが顔を天に向け、胸を開く。


「神よ。神々よ! 悪逆と暴力とあらん限りの幸運を我に授けたまえ!」


 ぐるんと大剣を一回し。

 アグニッシモが再度加速し始めた。


 踏ん張りの利かない不安定な馬上で軽々と大剣を操り、敵の得物の上をすべるようにして敵に叩きつける。武器も防具も、赤のオーラで破壊して。


 馬上では敵無しだ。


 遊牧騎馬民族であるイパリオンと戦っていた時もそうだった。同時に、アグニッシモも特定の何かしか使えない訳では無い。馬のたてがみに括りつけていた投擲武器(プルムバータ)を取り、投げつけ、あるいは敵から盾を奪って投げつけ、槍を奪って突いてもいる。


 大剣は、都度都度地面に刺すなり近くにいた者に渡すなりしていた。


「騎兵だけを先行させるな!」

 マシディリも、声を通す。


「敵は少数。残っている投擲武器でも何でも使い相手の意識を分散させ、複数人で囲んで確実に討ち取ってください。隙が無いなら足元を。足元を意識させたのなら頭を。前を意識させたのなら横を。横を意識させたのなら後ろを。


 数の利点を活かし、一気に決めに行かず、相手に穴を作り、穴を突いてください」


 復帰したアグニッシモの力は頼もしい。

 同時に、同じようなことを、と味方を焦らせてしまう危険性もある。


 それを防ぐための言葉だ。


 ピラストロを始めとする数名にも死体から回収した盾を持たせ、両手に盾を持つと言ういでたちで敵の分断に努めてもらう。


 敵兵も、完全に時間稼ぎが目的のようだ。

 分断を受け入れ、一人当たりで受け持てる兵数が最大になるように暴れている。


 相手はアレッシアの歴戦兵。こちらも経験豊富な最精鋭。

 染みついた殺人技術は相手が上。年齢からくる体力はこちらが上。疲労度合いはどちらも多く、逃げるは相手で追うはこちら。単純な数もこちらが上。


(完全に足が止まることは無い)


 あとは、追いつけるかどうか。

 この調子なら、日が暮れる心配をする前にクルトーネにはたどり着く。ただし、騎兵ならばもっと速い。


「マシディリ様!」

 目の良い兵が叫んだ。

 やや先に出かけていたアグニッシモ達が止まる。マシディリの鋭敏な耳が、スコルピオの射出音をかすかに捉えた。


「横列ですか」

 目の前に広がっているのは、インテケルン隊と思わしき重装歩兵の隊列。両翼を僅かな騎兵が守っている。


「縦深は厚くありませんが、多分、列と列の間を広く開けて、突破だけは防ぐようにしてあります」

 馬に乗った兵にさらに肩車をしてもらうと言う曲芸状態の兵が声を張った。


「兵数は?」

「千七百から二千三百ほどと思われます!」


 こちらは三千五百。

 ただし、クルトーネ攻略戦が始まっている以上、時間は相手の味方。


(側背を突かれると、一気に不利ですね)


 クルトーネ攻略に少数。それでクルトーネの守備兵を疲労させつつ、マルテレスの率いる部隊が何個もの小隊に別れ、襲ってくるのが一番嫌な展開だ。


 ただし、その場合は相手もマシディリ達とまともにやり合わないといけなくなる。

 逃げるだけなら、インテケルン隊に時間稼ぎをさせて、マルテレスは全力でクルトーネの突破を目指すのが最善だ。


(どっちだ)

 迷いは、一瞬。

 逃げる判断をしたのだ。中途半端はするまい。


「百人隊長は自身の監督部隊から元気で足の速い者を二名ずつ選出してください。アグニッシモは中央へ。中央を強引に突き破ります。敵陣に入ってしまえば、敵から急襲されることは無いでしょう?」


「冗談が分かりにくい」

 レグラーレがマシディリから顔を逸らしながら大きな声で言った。

 アルビタが不器用に笑う。周りにいた兵も、その後に困ったような笑みを浮かべた。


 ただし、仕事は早い。

 五十六名の最速重装歩兵部隊は、インテケルン隊との戦いに向けて列を整え終える前にマシディリの前に集合したのだ。

 そこに、ピラストロと伝令担当から十人、周囲から三人出して七十名の部隊とする。


 駆け通しだ。

 敵も、味方も。十五キロ近くを行軍している。死の危険を味わいながら、動き続けている。

 精も根も尽き果てていてもおかしくは無い。


 積極的に投擲攻撃を行わせることで少しでも荷物を軽くしてきたが、勢いを止められた方が負けるような戦いだ。

 必要なのは、細かい戦術では無い。



「君達は選ばれし者だ。

 足の速さは天性のモノ。この日のために神が選んだ証。疲労も激しいでしょうが、それでも走れる力が残っているのは神々の加護。何より、皆さんの不断の努力が結実した証拠です。


 そんな皆さんにお願いがあります。


 勢いを。

 我らに、勝利を。


 君達の力で以て敵陣をこじ開け、勝利と言う宝物を隠している扉を開きましょう」


 右手を、上げる。

 一度の戦いで二度言うなど、異常なことだ。それでも、最も士気が上がる行為と言えば、アレッシアでは決まっている。


「アレッシアに、栄光を」

「祖国に、永遠の繁栄を」


 七十名の重装歩兵から威勢の良い返事がやってくる。

 彼らの熱量は、疲労を隠せていない全軍にも波及した。


「アグニッシモ」

「ふぁい!」


 少し油断していたアグニッシモに対して微笑みつつ、マシディリは首からかけ、鎧の下に隠していた小さな布の包みを表に出した。


「母上の加護を」


 入っているのは、母、メルア・セルクラウス・ウェテリの指輪。

 馬から降りたアグニッシモが包みを両手で手に取り、小さく口づけを落とす。


「母上に勝利を」


 目のうるんだ弟と拳を合わせ、離れる。


 アグニッシモは先陣の士気に。

 マシディリは全軍の統括に。


 作戦は単純だ。

 中央突破によって一気にインテケルンに迫る。他の部隊は、後ろからついて行く形だ。いわば中央を尖らせた斜線陣。中央の部隊を囲い過ぎれば、数で勝る味方が一気に側面を突く。


 そして、特に疲労の濃い六百名は後方に残る。

 もしも側背から敵が来た時の備えだ。同時に、前進した部隊は彼らを助けはしない。死んでも突破の時間を稼いでもらう。


 敵もやったこと。そう、説いて。

 同時に、別れを告げる時間も作った。


 背後に川は無い。でも、不退転の決意が漲る。


「さあ、クルトーネにいる味方に、我らの到来を伝えましょう!」


 突撃を告げる特大のオーラが、空に打ち上がった。

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