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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1310/1589

副官の誇り。副官の務め。

 突如の乱入に、愛馬が大きく嘶く。

 視界が大きくずれた。太ももでしっかりと愛馬を挟み込み、手で押さえながら堪える。


「アビィティロ!」

 問答はしない。

 馬の向きを変える。追撃へと戻ろうとした刹那、手綱を掴まれ、止められた。


「そこをどけろ」

 低い声が出る。


「どきません」

 ぐい、と手綱を引かれ、愛馬が頭を垂れた。


「アビィティロ!」

「ルーネイトの全てをかけてでも、止めさせていただきます」


 感情のままに唾を飛ばしたマシディリに対し、アビィティロは静かだ。戦場とは思えないほど、静かである。


「今、追撃に移らないと! マルテレス様を逃がしてしまう!」


「今、大勢を率いて追撃に移られれば、包囲している敵軍も自由になります。そうなれば、どれだけの味方が犠牲になるとお考えですか? それが分かっている命令に、どれだけの者が従いますか? 死ねと言われて、兵が喜んで死ねる命令だと本気で思っているのですか?」


「父上がっ」

「その言葉がエスピラ様への侮辱だと分からないのですか!」


 言葉の途中で怒鳴られる。


 初めての経験だ。

 周囲の兵も、動きが止まっている。


「此処で此処で此処で此処で。まるで、エスピラ様では運命を変えられないとでも言いたげな様子ではありませんか」


「そのようなつもりは」

 マシディリの勢いが、落ちる。



「マシディリ様がエスピラ様を信じているのは知っております。同じように、私もマシディリ様ならば運命を変えられると信じているからこそ、力を尽くしてきたのです。


 マシディリ様がエスピラ様を愛しているのも良く知っております。同じように、我々もマシディリ様を慕っているのです。


 今、マシディリ様が単騎で追うことは、マシディリ様を死なせることと同じ。包囲を解くことはマシディリ様が包囲されることと同じ。


 マシディリ様が生きてこそ、運命を変える意味があるのです。


 マシディリ様が生きることこそ、エスピラ様の望みではありませんか?」



 喉で、言葉が止まる。

 言われていたことだ。他ならぬ、父に。


 マシディリは、唇をかみしめた。


「マシディリ様は、ラエテル様を死なせてまで生きたいですか? マシディリ様を守るためにラエテル様が亡くなられた時、マシディリ様の心は守られておりますか?

 マシディリ様は、何を殺そうとされたのか。ご理解ください。エスピラ様の心を、他ならぬマシディリ様が殺してはなりません。そのようなことはおやめください」


 手綱が放される。

 アビィティロが、一歩引いた。

 いつでも馬を走らせられる状況だ。無論、もう、マシディリは馬を動かしはしない。


「軍令違反は、死罪が妥当です」

 アビィティロが膝を着いた。


「ですが、マシディリ様の危機にあっては、例え十分の一刑に処されてでも、全員を殺してでも止めなければならないと信じ、お止め致しました。

 この意思は、第三軍団の者ならば誰もが分かってくれると思います。

 私が死ねども、他の者が、もしマシディリ様が再度視野を狭くされても止めてくれると信じております。第三軍団とは、他の誰でも無くマシディリ様の命令に従う忠実な軍団ではありますが、盲目的な集団ではございません」


 アビィティロが、目を閉じた。

 大きく息を吐く。


(私は)


 何を、やっていたのか。


 空を見上げ、思う。


 自分が死ねば運命が変わる? それは、本当に父を思ってのことだったのか。


 師匠を殺してでも父を助ける。それを、父は望むのだろうか。むしろ自分で決着をつけたいのでは無いだろうか。


 第七軍団などを作り、第三軍団の代わりを用意する? 本当に第三軍団としっかりと向き合っていたのだろうか。一般論に当てはめ、彼らを一切見ていなかったのでは無いか。


「アビィティロ」

「は」


「この場は任せます。包囲した者達を、確実に捕虜あるいは肉塊に変えて行ってください。

 第三列と、アグニッシモで追撃を行います」

「かしこまりました」


「これからも頼りにしております。長く、長く。アレッシアのために」

「御心のままに」


 息を吐き、少し離れる。


 アビィティロも立ち上がり、背筋をまっすぐに伸ばして指示を飛ばしていった。同時にアルビタが静かにオーラを打ち上げ、第三列とアグニッシモに集合をかける。


 敵は、随分と抜けていった。残っている数の方が圧倒的に多いとはいえ、マルテレスが一戦するには十分だろう。


 そう。マルテレスが馬を返し、後ろから突撃してくる可能性もあるのだ。

 故に、警戒箇所を一気に増やさざるを得なくなる。そうなれば、元より数が少ないマシディリ側による包囲網もより薄くなるのは避けられない。


 集団戦闘に未熟で我先にと殺到する者達なら別だが、相手も歴戦のアレッシア兵。穴に対して詰め過ぎずに的確に人が入り、脇を数名が守りながら残りが抜けていく。


 だからこそ、抜けたのが最精鋭騎兵と最精鋭重装歩兵だと断定できた。

 だからこそ、次々と切り離される十数名に対しても、足を止め、数を使って確実に対処せざるを得ない。


 だから、どうしても距離が取られていく。


 歩兵だけでは無い。アグニッシモが追いついてくれば、敵騎兵も数名ごとに残り、時間稼ぎに徹してきた。


 槍が刺さっても関係ない。剣を刺されれば掴み、掠った状態でも自分の体に押し付けて動きを封じる。どうせならと、こちらの武器を奪い、壊し、赤のオーラで無くとも自身の剣を思いっきり叩きつけてこちらの剣を欠けさせて。


「んだぁあっ! もうっ!」


 アグニッシモが苛立ちの声を上げる。

 叩きつけた大剣は、絶命させるには十分な威力を誇るが、当たらない。


「クルトーネで止まるよ」

 表情筋一つ動かさず、なだめるための一言を。


「集団が半島から逃げるには、クルトーネを通る道しか無いからね」

 マルテレスの性格だ。そこに、情に似た面子も入ってくる。


 ただ逃げるのでは無く、後続も助かるために。多くの者が逃げられるように。分散するよりも集団で逃げられる状況を作った方が多くのアレッシア人が助かることも知っていて。


 つまり、マルテレスは街道を解放するためにクルトーネを通る必要があるのだ。


「じゃあ先行する!」

 アグニッシモが吼えた。

 大剣を片腕で持ち上げ、南西、クルトーネの方面をさしている。


「こいつら蹴散らして、さっさとマルテレスに追いついて、クルトーネの守備兵と挟み撃ちにしてやるよ。クルトーネにはちょっとしか兵いないじゃん。保たないよ。こんな少数に足止めされてるなんておかしいって!」


 気持ちは、分かる。

 クルトーネで止まると言っても、マルテレス相手にアスバクが長く持ちこたえられるとはマシディリも考えていないのだ。


 だから、速くたどり着きたい。

 なのに、十数名ずつの小部隊を相手取るのに足を止められている。


 アビィティロに会う前だったら、マシディリも敵中突破を図り、マルテレスに挑んでいただろう。あるいは、アグニッシモと合流していなかったら、か。


「全滅してから、同じ数が来ているのには気づいているかい?」

「もちろんっ」

 アグニッシモが多量の唾と共に言葉を吐いた。


 良く、分かる。

 これはマシディリの心だ。マシディリの焦りを、アグニッシモが体で表現しているのである。


「マルテレスは討たなきゃならないんだろ? 兄上を見ていればわかるって」

「分かっちゃうか」

「兄上!」


 少しゆったりとした声に噛みつかれる。

 そうだ。マシディリだって、噛みつくだろう。


 ただし、アグニッシモが焦っていなければ、の話。


 アグニッシモが焦っていて、熱くなっていて、視野が狭くなってくれているからこそ、マシディリは落ち着いているように演じられる。

 自分を客観視できるのだ。


「的確に小人数を残して置けるのは、異常だと思わないかい?」

「別に」

「こちらは相手の伝令すら出させずに殺しているのに?」

「……」


 アグニッシモの動きが止まる。

 眉間の深い皺は、地面に向けられて。


「インテケルン様はさほど離れていない。つまり、マルテレス様も逃げられていない。だから、防ぐための手を打っている。


 もしもアグニッシモが先行して、こちらの数が少ないと知れば全軍で迎え撃つかもしれないよ。マルテレス様も取って返して、こちらを側背を三度四度と攻撃してくるだろうね。今は、マルテレス様狙いだと見抜かれているからこそ、こちらが大軍の可能性を考慮した策を採っている。


 ともすれば、私が包囲を疎かにした結果、味方が駆け付けるとも算段して、ね」


 本当にそう考えていたのなら、インテケルンはアビィティロを低く見積もり過ぎている。

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