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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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師弟決戦 Ⅳ

「っなんてっ!」


 奥歯を噛みしめ、血の味を口内に満たしながらもマシディリは近場の兵を叱咤した。


 今は、指示は届かない。

 必要なのは激励の言葉だ。


「笑え! これほどの強敵と戦えたことは、必ずや家門の誇りになります!」


 無理矢理口角を上げ、踏ん張りどころだと声を張り上げながら、矢を放つ。


 敵兵は、予想外のこともしてきた。

 馬から勢いのまま飛び降りたのだ。


 無論、飛び降りた兵は無事では済まない。死ぬだろう。それでも、人ほどの重量物が盾を飛び越えて降り注ぎ、暴れられれば隊列は乱れてしまう。そこにやってくるのは、最精鋭の圧力。


「一つ! 一つ!」


 マシディリは攻撃する手を止め、大きな声に集中した。

 そのマシディリの横を敵からの投石が過ぎていく。


「一人ずつ確実に、周りと連携して討ち取ってください。

 一人ずつ。しっかりと。周囲の者が欠けないように守ってください」


 ひゅ、と耳の横を石が掠めた。


「いつもと何も変わりません。我々は、戦友を守り、戦友と協力し、戦友と共に勝利を掴むだけです!」


 全く臆することなく朗々と言い切り、マシディリは次に向かってくる石を弓で叩き落した。


 勢いが良すぎたのか、弓が折れる。

 すぐにアルビタが予備を投げ渡してくれた。受け取るなり、可及的速やかに矢をつがえ、敵を撃つ。


 あくまでも士気高揚を目的とした演武に近い動きだ。

 それでも、戦場と言う異様な熱気のある場所では効果的である。


 だが、ぶつけられているのは敵の最大の拳。

 ずる、ずる、と後退して行ってしまう。隙が出来そうになるたびにアビィティロや百人隊長達、伝令部隊出身者が的確に穴を埋めてくれているが、その分隊列は細く長くなる。


 これは、消耗戦だ。


 マルテレスは最精鋭を用いてどんどんマシディリ達を押し、勢いを消耗して穴を開けようとしている。


 対するマシディリは兵をほぼ肉壁のようにして、体力をすり減らしながら勢いを受け止めているのだ。体力的な限界と、人員的な限界で薄くなる場所もどうしても出てきてしまう。そこを見逃すようなマルテレスでは無い。あり得ないことに、まったく見逃してくれない。


 最精鋭。

 それは、互いに。


 片や最精鋭になるべく集められ、エリポスでの比較的簡単な戦から東方での様々な試練を共に乗り越えて来た、得難い戦友たち。

 片や怪物マールバラと何度も相対し、生き残り、その度に神に感謝して仲間の肩を叩き、失った戦友を同じ涙を流して弔って来た者達。


 失いたいはずが無い。

 とっておきたい気持ちの方が大きい。

 こんな消耗戦はやりたくなかった。


 それでも、やらないといけない。やらざるを得ない。やりたくはない。心が張り裂けても、血の涙が流れても、言葉にならない慟哭が戦場に満ちても。


 此処で終わらせるために。

 多くを生き残らせるために。


 想いは違えども、大事な戦友の数多の命を懸けてまで、別のモノを互いに守ろうとして。


 此処は戦場。

 敵と味方。

 二つの意思がぶつかり、実を結ぶのはどちらかの行動。


 マシディリの手が宙を切る。矢が尽きた。どれだけ射っていたのか、体には軽いとは言えない疲労が溜まっている。


 敵軍には、随分と押されしまった。

 アビィティロの監督する部隊だけでは無く、一度下がったはずのマシディリの監督する部隊も戦っている。八十人ごとの集まりでは無く、八人、つまり十人隊長の単位で動いている場所もある。


 激戦だ。

 最早、突破は間近。


 だが、その状態になって。そう見えてから。マシディリはどれだけの矢を射ったか。


 マルテレス隊に混ざり、インテケルン隊が壁を作っている。突破するはずの敵が、盾をしっかりと構えて、押し合いを続けているのだ。攻撃では無く、こちらの攻撃を受け止めるために。赤い光からマルテレスが暴れているのは分かるが、前進はしていない。


 は、とマシディリは息を吐く。


 指示のために口を開こうとしたが、肩での呼吸が続いてしまった。


 汗が垂れる。目を強く瞑る。首を振り、腕で強引に汗を拭った。


 血の匂いが濃厚に漂っている。

 汗の匂いが血をかき消そうと上がり、獣臭さと土煙が肌に纏わりついているが、びっしりと背中に残る汗が不快感を覆い隠していた。より大きな、不快感で。


 誰も彼も、むき出しの歯肉に疲労の色を濃くしている。


 敵の勢いは死んだ。


 最精鋭による突破は、時間をかければ叶うだろうが、それはもう少し先の話。敵にとっても希望は見えているが、前進する速度は大きく落ちている。


「良く、耐えました」


 小さな声は、誰にも届かない。

 それでも、マシディリは残しておいた鏑矢を引き抜いた。


「決めろ」


 ぐ、と力を籠める。

 弦を力の限りに引き絞り、上空へと向けた。


「アグニッシモぉ!」


 最大最強の一撃。

 何時間にも及んだ戦闘で一度も出さなかった、最も好戦的な部隊。


 マシディリの渾身の雄叫びは本人には聞こえないだろうが、鏑矢の大きな音は合図となり愛弟に届く。


 後方から、赤い光が立ち上った。


 先頭は派手な紅。


 ごうごうと大木すら揺らし、千切り倒す暴風。整然としたとは口が裂けても言えない馬蹄の音色は、一粒一粒が人すら穿つ雨粒。家屋を根こそぎ奪う暴嵐。


 アレッシア最強の一撃を防ぐだけの余力は、既に奪い去った。

 新手の一撃は、あり得ないほどに敵の兜を吹き飛ばした。

 砕けた兜が高々と舞う。半分ほど壊れ、赤い液体がこびりつき、垂らしながらも遠くへ。


 その間にもアグニッシモ隊は止まらない。


 壊して。壊して壊して壊して。

 壊して進む。


 しっかりと溜め、体重をかけた渾身の一撃。

 疲れ切った体で受け止められるはずが無い。


「マルテレス・オピーマだけは逃がすな!」

 全力で吼えた。


 狼の牙は、しっかりと疲れ果てた敵の体に突き刺さっている。

 されど、敵もまた狼。疲れた体であっても、死に体であっても、手負いの獣は恐ろしい。


「気を引き締めてください。此処からです! 戦神は、手を抜いた者には微笑みません! 勝利の女神は、気を緩めた者には微笑みません! 父祖に、恥じぬ戦いを!」


 叫びながら、マシディリは死体から槍を取った。

 すぐに前へ。

 入れ違うように、赤い光が敵から立ち上った。


(師匠)

 いや、違う。

 マシディリにはすぐにわかった。真似事だ、と。でも、釣られてしまうのも仕方が無い。


 少し殺到すれば、また別のところで。それが、何度も。幾つも。赤のオーラ使い全員を殺す勢いで。


(影武者)

 そう、なると。


 雄叫びが上がる。

 注意は、どうしてもそちらへ。いや、この場合は良かったのか。狙いはもっと雄叫びの発生源の近くだ。


 僅かな隙を突いて、遂にマルテレス軍がマシディリ軍の包囲を突破した。


 すぐに穴を埋めようとする兵に対し、僅か十人足らずの兵が残る。確実に死ぬ数だ。それでも、彼らは簡単には倒れない。剣が刺されば抑え、一人でも多く足止めし、味方を逃がす。

 残った十人足らずが死ねば、また新たに同数程度の兵が残る。


(不味い)

 アグニッシモは、勢いがつき過ぎた。

 随分と中へ、深くへと侵入している。追撃へと移るにも時間が必要だ。


 すぐに動ける騎兵は。


(私だ)


 マシディリは、馬を蹴った。

 此処で殺さねばならない。

 何のために、大勢が死んだのだ。何のために殺したのだ。何のための覚悟だ。


 全ては、父を救うため。予言を覆すため。


「全軍、追撃せよ。マルテレス・オピーマを逃がすな!」


 そのためには、マルテレスを討たないといけない。

 逃がすわけにはいかない。何を犠牲にしても。殺さねば、父が。


「必ず、此処で討ちとれ」


 血のにじむ覚悟を声に。


「逃がすな! 第三列及びクーシフォス、ルカンダニエ、アグニッシモ、アビィティロ隊は追撃に移れ! 他の隊も即座に移行しろ!」


「お待ちを!」

 その声は、遠く後方へ置き去りにする。


 投げ槍では無い槍を持ち、馬上で投げ捨てる。敵後方の馬の尻にしか当たらない。ならばと槍の穂先(プルムバータ)を手にして。


「マシディリ様!」


 進路上に、アビィティロが飛び出て来た。


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