師弟決戦 Ⅲ
「マシディリ様を前に出して恥ずかしいとは思わないのか!」
味方百人隊長が吼えた。
大の男たちが重低音を鳴り響かせて盾を手に前に出る。
マシディリは馬を止め、弓を下ろし、大きく口を開けた。
「馬には槍の穂先を! 人には盾を!」
馬は先の尖った物を嫌う。
当然と言えば当然だ。最精鋭騎兵であっても、馬の眼前に勢い良く槍が突き出されてしまえば、馬は鈍ってしまうもの。
そこを、投石や槍の穂先で狙い撃つ。
下に落ちた者や重装歩兵には全体重をかけた盾での突進。すぐに味方を援助するために兵が駆け付ける。東方で見かけた、盾の裏を攻撃する武器も、此処では味方の後ろから敵を攻撃する武器になりうるのだ。
前進が止まれば、葦の玉を投げ込む。
毒を発する植物の配合割合は低め。こちらの足が止まらないように。
でも、知識がある相手にとっては脅威だ。
乱れたところで、マシディリも矢を放って攻撃を続ける。
されど、敵もさるもの。怪物相手に何度も勝利を掴んで来たアレッシアの最精鋭騎兵。
マシディリの持ちうる、いや、エスピラ以外のアレッシア人が扱える中でも最硬の重装歩兵部隊を以てしても、徐々に押され始めた。
騎兵突撃による圧だけでは無い実力が、確かにある。
馬を降りても殺人に適した技術があり、乱れぬ連携があり、気勢に負けぬ胆力がある。歴戦故ににじみ出る自信は、得も言えぬ迫力となり、どこか第三軍団を呑み込もうとしてきていた。
「思い出せ!」
馬上で、マシディリは叫ぶ。
「イパリオン戦役での、人馬一体と化した敵の攻撃を。
東方諸部族と争った時のバーキリキ様のこちらを揺さぶる作戦の数々を。
ボホロス戦争でのマールバラの怪物ぶりを。
私達は、それらをすべて踏み越えて此処にいるのです。
さあ。今一度。新たな頁を加えようではありませんか。アレッシアの英雄に勝ったと言う一文を。最高の英雄譚を!」
言葉の終わりと共に弓を引き絞る。
(神よ。運命の女神フォチューナ神よ。武勇の父祖たるコウルス・ウェラテヌスよ。願わくは、絶命の一撃を)
指を放す。
一射は、老齢騎兵の胸を貫き、馬上を空にした。
味方が盛り上がり、盛り返すべく足を前に出す。
敵も雄たけびを上げ、蹴るように前に出て来た。
激戦だ。
喉は枯れ、指の皮はまためくれあがろうかと訴えてくる。愛馬の疲れも伝わってきた。
それでも、負けられない。
アレッシア最精鋭騎兵。だから、どうした。此処で退くことを、圧されることを仕方ないとしてしまえば、一気に崩壊するのだ。
頭では圧されていくことを良しとしても、計画の内としても心は叱咤しなければならない。
「私は此処にいる!」
朗々とした声を強引にぶつけるように叫びあげ、マシディリはまた前に出た。
鏑矢をつがえ、水平に射る。
殺傷力など無い。ただし、音が前へ、敵部隊へと向かっていく。
「さあ!」
言った直後に、愛馬が嘶いた。
下を見る。敵兵だ。重装歩兵。手には槍。狙いは馬。否、馬上のマシディリ。
体勢を整える前に、槍が突き出された。
穂先から手元が見事に一直線になっており、マシディリからは長さの判別ができない。どこまで近づいてきているかも正確なところは見えず、黒く塗った槍は黒い鎧によって隠れていた。
(見事ですね)
しかし、突きは外れる。
何故かは良く分からない。いや、馬が驚き、足を変えたことでマシディリの位置も変わったのだ。
お返しの、一射。
この距離ならば顔面を狙っても外れない。上からたたき込むように矢を放てば、敵が交わし切れずに頬が貫通する。直後に味方がやってきて、敵兵を叩き潰した。
「これが、神々と父祖の加護です! アレッシアの神々は我々の味方だ!」
同時に、確信も強くなる。
予言を、現実にしようとしている、と。
此処で、師匠を殺さなければならない、と。
父を守るために、此処で、絶対にマルテレス・オピーマを討たねばならないのだ。
「私は此処だ!」
雄叫びを上げ、矢をつがえた。
矢が馬上の敵兵を穿つ。されど、敵も馬上で堪えた。
痛みは相当なモノだろう。返しもついているのだ。だが、射貫かれた兵は矢を抜くのを諦めると、途中で折った。動くのに支障は無いと言わんばかりに剣を大きく振っている。
「マシディリ様!」
再度の矢を手にしたマシディリを呼んだのは、ゴドフレド・ケルハドス。伝令部隊出身者であり、アビィティロの下で四百人の監督をしている男だ。
「アビィティロが! 一時交代を! と!」
アルビタとレグラーレに前面を任せるようにして、マシディリは馬を数歩下がらせる。立ち上がるように背筋を伸ばし、周囲を今一度観察した。
押されている。
これは、演技では無い。
マシディリがいる傍では何とか盛り返しているが、全体は押され気味だ。その結果、マシディリの周囲が突出するようになり、より多くの敵からの攻撃を受けている。
マルテレスはどこか。
少し後ろにいた。
ある程度の隊列を整えており、道を作るようにインテケルンの重装歩兵が盾を構えて並んでいる。
交代するなら、今が好機か。
「兵は変えましょう」
「マシディリ様!」
「私が下がれば、崩壊する可能性もあります」
象徴であるのだから。
「マシディリ様!」
再度の叫びに、マシディリは右手を挙げて払った。
「そうではありません!」
食い下がる声に、顔を向ける。
ゴドフレドが矢束を差し出してきていた。
「マシディリ様ならば下がらないだろうと! アビィティロが!」
マシディリは自身の矢筒に目を落とした。
確かに、踏ん張り続けるには心許ない。
「ありがとうございます」
受け取り、矢筒に補充する。
その間にゴドフレドがオーラを打ち上げた。アビィティロがさらに打ち上げ、交代が始まる。
駆け足だ。
交代の隙にと敵の最精鋭が襲ってくるのを最後まで残る者達が力の限り踏ん張り、その間に後退を完了させるのである。否。完了せずとも、新しい者達がすぐに前に出て敵に攻撃を加える。
力と力のぶつかり合いだ。
そこで何とか怯ませることができれば、ようやく最後まで残っていた者達が交代できる。
マシディリも、精一杯弓を引き、崩壊しそうな味方の居る方へと矢を飛ばした。
殺せずとも構わない。遠すぎて、兜に当たれば弾かれても問題ない。
狙っていることを知らせられれば、そして味方に見ていることを伝えられれば良いのだ。
再び、敵から赤い光が立ち上る。
雷鳴の如き蹄跡の音が轟いた。
臓腑を下から掴まれ、強引に揺らされるような振動が伝わってくる。唾を呑み込む音は、誰の喉からか。自分か。あるいは大勢か。
「腰を落とせ! 遠距離武器が残っている者は、用意しろ!」
指示を出しつつ、マシディリも弓を引き絞った。
砂ぼこりが大きくなる。
じりじりと体を焼く太陽が邪魔だ。
急速に乾く口は砂漠であり、焦れる心は水を幻視するかの如く身勝手な行動への欲求を掻き立てる。誰かが指示の前に攻撃をしてしまえば、各々が各々の機で攻撃をしてしまっただろう。
だが、此処に居る者達は死地を乗り越えた者達。その部隊。
青のオーラを使わずとも、全員が堪えた。
味方の射程内であり、敵の射程外。その限界まで。勢いの良い敵の速度に翻弄されず、明確に迫りくる死に向き合いながら。
「放て!」
言葉と共に、マシディリは矢を放った。
石。槍の穂先。短剣。投げ槍。果ては砕けた武具までもが一斉に敵最精鋭騎兵を襲う。数名は倒れた。立ち上がった馬もいる。勢いが死んだ前列は勢いに乗る後列の邪魔となり、ぶつかり、あるいは避ければ前後左右も危うくなる。
そうであっても、多くが抜けて来た。
投げ込まれた岩石に大きな水しぶきを立てながらも、急流は止まらないように。
赤い光が、味方の盾を覆う光を食い散らかして肉塊を吹き飛ばす。




