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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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師弟決戦 Ⅱ

 応答の光は求めていない。機密作戦のためだ。


 だからこそ、マシディリは次にヴィルフェットの隊とファリチェの隊の交代を命じた。二人にはあらかじめ伝えてあり、部隊にも交代があることは伝わっている。だが、まったく混乱の無い状態でなど不可能だ。


 眼前には敵。

 乱れは背面の危機。


 心理的な圧迫は、動作にも影響を与える。訓練で繰り返しているからこその自信はあるが、それでも実戦は別。


 ただし、無茶ではあるが無理だとはマシディリは思っていない。


 ファリチェは経験豊富な高官だ。


 父のエリポス遠征に始めから従軍しており、その中で高官まで上り詰めた実績がある。一兵卒としても十分な経験を積み、第二次フラシ戦争終結後からは民会の掌握に回ることが多かったが、要所では戦いに参加していた。


 声掛けも適切であり、前に出る勇敢さと同時に自身の実力を見て決して軽々には討ち取られない位置で立ち回る容量の良さも持ち合わせている。


 同時に、マルテレスの突撃も無い。

 殺到する諸部族兵が、マルテレスら最精鋭への壁となっているのだ。


 だが、この機を逃せないので突撃部隊の内、幾つかは中央に投じざるを得ないだろう。


 マルテレスにとって勝機であることに違いはない。

 道と言うには細すぎる、実現するには運とかなりの実力が必要なことをマシディリは行っているのだから。


「こちらは任せます」

 言って、マシディリは再び馬の向きを変える。


 中央は、先よりも押され始めた。

 それをしり目に、味方左翼へ。


 敵の圧力はどんどん強まる。

 ルカンダニエとクーシフォスにも下がるように指示を出し、左翼も下げた。インテケルン隊も前に出てくる。少しずつの撤退と、距離が開いた場合の騎兵突撃によって見事に引きつけられたようだ。


 戦局としては、ティツィアーノが指示している味方右翼が広く伸びている状態。ファリチェ指揮の中央は後退。左翼も中央に釣られるようにやや後退気味。


 敵の拳が右胸に命中し、そこを起点に体勢を崩されているように見える状態だ。


 だから、左手が伸びる。


 敵右翼後方から土煙が立った。

 アピスだ。

 クルムクシュ包囲軍に武具だけ着せた状態で敵軍に合流させている。本人たちは、その後ろから。やや左、インテケルン隊を狙うかのように。


 包囲軍の捕虜としては戦闘中の味方に合流する形である。陣に行かせなかったのは、アピスの巧みな誘導によって。捕虜の中にも恐怖と同時に味方に合流して戦えると言う意思を植え付けてあればこその行動。


 もちろん、敵軍にどう伝わるかは別の話だ。

 敗軍は合流したと思えるかもしれない。クルムクシュ包囲軍は負けないと言っていたのだから、嘘を吐かれたのだと言う言葉が先行する可能性もある。


 何より、敵軍には言葉の壁があるのだ。

 そして、ヴィルフェットやファリチェは北方諸部族の言葉にも精通している。


「右翼、展開!」


 マシディリの叫びが白いオーラとなった。

 右翼ではパライナ隊が迷彩を捨てて現れることになっている。同時に、叫び続けた兵の後ろからさして隠れてもいない部隊も飛び出す手はずだ。


 どちらも、不意の奇襲。

 一撃目の投石は躱せない。そして、敵に混乱が訪れる。


 迷彩は言わずもがな。さして隠れていない兵も効果は大きい。


 気勢を上げて戦い続けている者に意識が向くのは当然の話だ。命が懸かっているのならなおさら。その状態であれば、人の視界は狭まるモノなのである。


 同時に、中央、下がったヴィルフェット隊がすぐに逆茂木を前に出した。

 敵にとっては逆茂木が前に出たのか陣にたどり着いたのかは分かりづらい。冷静になれば分かるが、そこから対人兵器を放てば話は別だ。


 音による恐怖と、記憶による恐怖。

 射出間隔が長く、野戦に不向きであると本人が理解しているか、インテケルンらから聞いたかは分からないが、知識があればこそ使いだしたのは準備が整っているからだと思えてしまう。


 即ち、敵の壁に激突したのだと。


 父の印象から、防御陣地群への恐怖も十分にあるのは知っているのだ。


 勢いの良かった敵中央前衛は止まる。

 でも、中団は勢いを維持して前へと行こうとしたまま。

 後方は崩れた疑惑があり前へ行こうとしているし、前衛の突破に活路を見出している。


 この瞬間、敵は縮まったのだ。


「囲え!」

 右翼に配置した騎兵が一気に機動する。


 左翼のウルティムスも一気に動き出す。インテケルンの拘束へとアビィティロが前に出て、クーシフォス隊が浮き、クーシフォスも敵を囲うように動き出した。

 グロブス隊も大きく回り、騎兵が押しとどめた場所に壁を作り出す。マンティンディは機動を始めた各部隊の補填に小隊ごとに送り出しているのだ。


 包囲殲滅。

 その何よりも恐ろしいのは、囲ってしまえば戦う人数は包囲する側が優勢を保てること。包囲されている軍団の内部は、息をしないことになる。無駄な兵力だ。


 突撃のための距離も与えない。


(と、なるのなら)

 マシディリは、馬上で緋色のペリースをなびかせた。


 手にするのは弓。用意したのは多量の矢。

 兜を脱ぎ、母譲りの髪を風になびかせて父と同質の声で味方を鼓舞する。


 前面には、第三軍団第三列千六百とプラントゥム以来の精兵一千。背面には味方の陣地とクルムクシュへと至る道。


 即ち、本陣。


 アビィティロの部隊も機動すれば、インテケルン隊の一部が目の前の敵となる。

 敵の最精鋭。アレッシア人で構成された部隊。訓練された軍団。


 マシディリに、戦場での色は分からない。

 でも、はっきりとわかることがある。


 突撃できるのは、此処しかない、と。


「来い」

 牙を研ぐような声で。


「マルテレス・オピーマ!」


 大口を開けて吼えるとともに、矢を引き抜いた。

 馬の腹を蹴り、弓を引き絞りながら前へ。自身が扱える限界に調整した剛弓で矢を放つ。吸い込まれるようにインテケルン隊の一人に当たった。頭部の兜を飛ばし、のけぞらせる。


 それを合図とするように、敵後方から赤い光が立ち上った。


 マルテレスだ。

 最精鋭騎兵だ。

 知っている。

 助走距離が足りないのも、計算している。拳を伸ばしきれない一撃にすることが目的だったのだから。


「全て、私の掌中です! あとは、皆さんが私の想像通りかそれ以上の働きをするのみ!」


 マルテレスは必ず包囲殲滅を嫌う。

 その際、することは何か。


 突撃だ。


 数度数カ所による突撃で突破を図る。ならば、まずは拳を減らし、壁をしっかりと形成してやれば良い。

 そうなれば、ややの弱点では無く敵本陣を打ち破っての撤退と言う英雄的行為を選択しやすくなる。


 マシディリの作戦。

 それは、最初から包囲殲滅では無い。

 徹頭徹尾、マルテレス・オピーマを討ち取ること。

 最大の一撃を最高の威力が出ない状態で打たせ、力を奪うことだ。


「続け!」

 足だけで馬を駆り、前に出る。

 敵最前列の者が槍を投じた。届かない。代わりにマシディリの引き絞った矢が頬を貫通する。


 投石が横を過ぎた。

 三つや四つ。どれも当たらない。

 一射ずつの矢は、絶命とまではいかずとも敵兵を射抜き続ける。


(愛しい炎の前で)

 ならば。


「私に攻撃が当たることはありません! 神が、そう仰せなのです!」


 自分が死ぬことでも、運命は覆る。

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