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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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マシディリ・ウェラテヌス Ⅲ

 指先が冷たい。

 気温はそれほどの寒さでは無いが、かじかんでしまいそうだ。


 指を丸め、零距離で息を吹きかける。唇で触れて行けば、手の甲は指先ほどの冷たさは無かった。だが、手首を越えてもいつもより低い体温は続いている。


 ゆるり、とマシディリは手を回し、口元に指を戻していった。

 口を開き、親指の両側面に歯を立てる。


 痛い。

 温かい。

 冷たい。


 血が通い出す。


「本日吉日! お味方の勝利、間違いなし!」


 占いをさせていた神官の咆哮が聞こえた。

 マシディリの傍でマシディリの分まで朝食をかきこんでいたアグニッシモが顔を輝かせる。


「兄上!」

「そうだね」


 真顔で口を開き。

「今日で決めようか」

 微笑みで締める。


 思えば、足の指先も冷たくなっていた。代わりに、右手親指はすっかりと温かさを取り戻している。どういう訳か、小指や薬指は右手よりも左手の方が温かい。


「兄上」

「ん?」

 弟の神妙な声に、マシディリは首を傾けた。


「俺は、何があっても兄上を裏切らないよ」

 裏切り、と言うには、マルテレスは違うだろう。

 そのことはアグニッシモも分かっているのか、言葉の後に首を横に振っていた。


「兄上とは敵対しないよ、ってのが正確なとこかな。俺の子がそーとー優秀だったら少し違うかも知れないけど、親が俺だからなあ。兄上に養育をお願いするし、結局あまり変わらないか」


「アグニッシモも優秀だよ」

「でも、戦場ですら兄上に勝てる気がしないよ」

「私もアグニッシモに勝てる気はしないさ」


 負ける気も無いが。

 そんなことを思ってしまったマシディリに対し、アグニッシモがにっかりと笑った。


「なら、最強だね。俺の認める最強と、最強が認めた最強が組むんだから」


 虚を、突かれた。

 自身の心の狭さが嫌になる。

 だが、すぐに悪戯心がむくむくと湧き出した。にやり、とマシディリも笑う。


「最強とは言ってないけどね」

「ちょっ。兄上!」

「冗談さ」


 ひらり、と手を振り、離れる。

 アルビタとレグラーレが音も無く着いてきた。アグニッシモも着いて来ようとしているのか、先ほどまでよりも大きな食事音が聞こえてくる。


「調子はどうだい?」


 一人一人に、とはいかないが、マシディリは見知った者達に声をかけた。

 百人隊長とは肩を叩いたり、握手をしたり。役職の無い者とも言葉を交わす。


「私は、君達がアレッシアで最も勇気がある者であることを知っているよ。それを、神々と父祖に知らしめてくれ」


「撤退の二文字は要らない。そうでしょう?」


「もう、英雄の領域に手は届いていることは此処までの戦いで実感できたと思います」


 そう伝えながら、演説へと歩を進める。


 敵の誘いも十分だ。

 昨日、使者を送っている。


 堂々と。大勢の前で。明日、つまり今日戦おうと。改めて宣戦布告を行ったのだ。

 他のマルテレス派の者なら出てこない。でも、マルテレスならば出てくる。


 戦わざるを得ない。

 そういう漢なのだ。



「さて、諸君」


 郎、と声を張る。

 思い描くのは、堂々たる父の姿。


「私は今日までの非常に過酷な戦いに君たちが付いてきてくれたことを、心の底から感謝しています」


 頭に浮かべた文章は、ディラドグマ殲滅戦後の父の演説。



「私は父上から副官を賜り、マルテレス・オピーマと戦うとなった時不安なことがありました。


 それは何か。

 軍団の結束、相手も同じアレッシア人であると言うことです。


 確かに軍団は若いながらも、経験は非常に豊富だと言えましょう。ですが、マルテレス様と行軍を共にした者も多く居ます。憧れていたのは否定できません。今でも尊敬しているでしょう。


 軍団だけではありません。


 アレッシア人の中で、どれだけの者がマルテレス様に心を寄せるか。それだけでは無く、私達を、祖国のために戦う君達を裏切り者だと言う者も出てきましょう。守るべき者とは何なのか、何のために戦っているのか、得るモノとは何か。精神的な負荷は図り知れません。


 本当に、皆さんは良く耐え、戦ってくださいました」



 区切り、全員を見回す。



「背筋を伸ばし、胸を張ってください。誇ってください。この功績を、この我慢を。


 アレッシアで最強の指揮官は誰か。

 それは、マルテレス・オピーマではありません。その弟子のマシディリ・ウェラテヌスです。


 最も国を整え、国力を戦闘能力に変えられるのは誰か。

 それはサジェッツァ・アスピデアウスでもありません。エスピラ・ウェラテヌスです。


 では、優秀な軍団はどこでしょうか。

 作戦行動の柔軟性と未知の土地でも戦い続けられることと定義すれば、第一軍団であったかもしれません。ですが、第三軍団も第四軍団も最早並び、肉体的な全盛期と考えれば上回っていると確信しています。


 最強の軍団はどこか。

 それは、マルテレス様の突撃を何度も受け止めた君達です。


 最も我慢強い軍団であり、守りに長けた軍団は第三軍団。

 経験が豊富で、名誉挽回の機会を窺っており相当な覚悟の元動いているのはティツィアーノ様と第四軍団。


 第七軍団も、二つに比べて劣っていると思う必要はありません。

 君達は、ついてきた。二つの軍団の間を、しっかりと守り続けた。

 軍団の弱点は連結点です。相手も分かっているでしょう。攻撃も苛烈だったはず。そこを守り切り、立派に軍靴を揃えて戦い続けたのです。



 誇れ!

 私は、君達を最高で最強の軍団だと紹介しましょう。


 アレッシアのために非情に成れ、汚名を被ることも厭わず、自身の功績よりも祖国のため、父祖の紡ぎし歴史のために戦える軍団だ。誰よりも自己ではなく祖国のために戦える集団だ! その上、地力も高い!


 相手は祖国に刃を向けた者達です。覚悟は据わっているでしょう。自己の利益が大いに含まれていますが、敵の中にも憂国の士がいます。


 でも、互角以上に戦った。あの多くの兵を率いる英雄マルテレス・オピーマと互角以上にやり合いました。私と、君達だからこそ成し遂げられたのです。


 最高の軍団に囲まれ、何を不安に思うことがありましょうか。


 命は勿論懸けている。生きて、祖国を助けるために懸けている。

 何を被っても構わない。泥水をすすっても、死肉を貪っても、幾万の恨みがこの身を包んでも。


 君達も、アレッシアのために戦える勇者です。


 この軍団は最高だと言いました。最強だと証明しました。では、この軍団の最も優れている所は何でしょうか? 武力でしょうか。実績でしょうか。体力でしょうか。


 いいえ。

 それは、祖国を、アレッシアを想う意思。その心です。


 誇れ! この心は、誰にも負けない。私達が一番だ。誰よりも強い意思だ!


 この手で、この身で、この意思で。我らの全てでアレッシアを守らんとする意思。この誇りは誰にも負けない。誰よりも持っている。誰にも侵せない最高の切り札だ!


 最初は不安だったと言いました。

 今は、不安など何もありません。


 最高の友である君達が居て、何を不安に思えと言うのでしょうか。何か不可能なことがありましょうか。


 この軍団で出来ないことなど、どこの誰をもってしても不可能です。それぐらい、私はこの軍団に全てを託しています。


 これからも私についてこい。そして、必ずや勝とう。


 共に、アレッシアに栄光をもたらしましょう!」



 最後に最大の力を籠めて。

 朗々と世界に轟く声をマシディリは響かせた。



「必ずや! 我が身は、アレッシアと貴方と共に」

 アビィティロが大きく吼える。


「祖国に永遠の繁栄を!」

 アビィティロに続き、マンティンディ、グロブス、ウルティムスが声を張り上げる。


 遅れて、幾人かがアビィティロの言葉を、数名がマンティンディらの言葉を叫び、軍団に伝播する。誰もが声を上げる。吼える。空気を揺らし、大地をも揺らす合唱となる。


 鼓膜を揺らし、熱気が気温を上げ、脳をも揺れる声がする。


(ああ、これが)


 恐ろしい光景だ。

 恐ろしく、心地が良い。

 興奮で何度も地面を踏む音も、石突が何度も地面を突く振動も。


 この瞬間にはマシディリに万能感を覚えさせてしまいかねない恐怖の音色と化している。


 熱が熱を呼ぶ。その中心点で、マシディリは右手をゆるりと挙げた。


 熱気そのままに、言葉だけが無くなっていく。


「我らに勝利を!」

 静かになったところで、マシディリは吼えた。


「我らに勝利を!」

 軍団が続く。


「神の御加護を!」

「神の御加護を!」

「父祖の誇りと民の意思を剣に!」

「父祖の誇りと民の意思を剣に!」

「我らはその誇りのみを尊び、祖国の滅亡こそを憂う勇士なり!」

「我らはその誇りのみを尊び、祖国の滅亡こそを憂う勇士なり!」


 マシディリは、酸欠になりかけるほどにくらりとする頭に喝を入れ、大きく息を吸い込んだ。


 熱気が肺を満たす。

 体を虚実ない交ぜな誇りが駆け巡った。


「アレッシアに! 栄光を!」

「祖国に! 永遠の! 繁栄を!」


「君達に! 処女神と運命の女神の加護を!」

「ウェラテヌスに、沈むことの無い太陽を!」


 最早言葉かどうかも分からない雄叫びの後、軍団が、最高潮の熱気に包まれた。


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