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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1303/1590

良く知っている

 敵陣が盛り上がる。


 大歓声だ。一気に気温が上がったように思えるほどの熱量が吹き付けてくるようである。

 一方で、捕虜の中には身を強張らせた者も居た。


 当然だろう。後ろに死が迫っているのだから。


 先の宣言を、マシディリ側の兵が良く思うはずが無い。言った本人は死ぬ覚悟ができているとみるべきであり、死ぬ覚悟のある人は強いモノ。しかし、助かりそうな光が見えればぐらつくのもまた人間。そこに生じる落差は、時に希望の無い日々よりも残酷にもなり得る。


 だからだろう。

 マシディリの鷹揚な拍手に、最も敏感な反応を示したのは捕虜たちであった。


「素晴らしい勇気ですね」

 郎、と通る父譲りの声は、場に再びの静寂をもたらす。


「貴方の勇気を讃え、このまま帰ることを許可します」

 どうぞ、とマシディリは手のひらを向けた。


 捕虜の視線のほとんどが集まる。悲惨な光景を想像していたマルテレス側の者達の視線もやってきた。あるいは、マシディリがすると予想していた虐殺を士気の向上に役立てようとしていた者達の驚愕の表情か。


 笑みを深める。

 どうぞ、と重ねた。

 それでも捕虜は動かない。


 マシディリは右手を挙げると、ゆるゆると味方の軽装騎兵を下げ始めた。馬で来ているため、マシディリは下がらない。前を見たまま。守りを同じく馬に乗っているアルビタと、下で盾を持っているピラストロに任せて。


「行って構いませんよ」


 それでも動かないのは、誇り故に、か。


 一番に動き出せば、自身の名誉にも傷がつくかもしれないのだ。最善は啖呵を切った男が歩き出すことだが、彼も彼で動きにくい。あるいは、算段か。心が揺れている者達がいるからこそ啖呵を切ったのであり、自分達は殺された方が良いと考えていてもおかしくはない。


 それでも、上に立つなら動き出すべき。責任とはそう言うことだ。インテケルンらが迎え入れないのも、マシディリが言を翻して殺したと言う事実の方が都合が良いから。


 信用はできないのだ。捕虜が無事に解放されるなど。前回は棒で叩かれても居るのに。殺された者も多いのに。



「死に場所を求めてマルテレス様を引っ張り出したのですか?」


 郎、と張った声は敵陣に向けてのモノ。


 同じ言葉を、北方諸部族で広く使われている言語でも繰り返す。

 馬を動かしながら、両手を広げ、武器を持てない姿勢でマシディリは続けた。


「マルテレス様の近くに居る者達は、エリポスの文化を崇拝し、エリポスの文化を引き入れ、アレッシアを犯そうとした者達でもある。君達にもエリポス式を勧めないと言う保証がどこにありますか? 既に、宴会でも開かれているのではありませんか?


 自国にすら他国の文化を碌に検討もせずに招き入れようとした者達です。

 貴方がたにもエリポス文化を流入させないと言う保証はどこにもありません。自然な考えではありませんか?


 私はアレッシアを守り、アレッシアの文化を尊重するために敬愛する師匠と敵対する道を選びました。アレッシアを守るとは、人の命だけではありません。伝統を守ることも指します。


 では、貴方は何をした。


 そちらに着くことで自らの民族の宗教観を危機に晒し、アレッシアからの介入を受ける理由を作った。今やアレッシアは幾らでも理由を着けて貴方の家族に干渉できます。


 自分が格好良く死にたいがために、アレッシアを利用するな。


 お前たちは許さない。


 もしも、そのような考えであれば、ですが」



 マルテレス側の高官にも部分的には理解できただろう。

 インテケルンは、もしかしたら完全に聞き取れたかもしれない。言語が分からずとも、マルテレスは直感的に理解できていても驚くことは無い。


「戻って来い!」

 叫んだのは、マルテレス。


 そのまま大声で門を開けさせている。周りの者は、弾かれるように動き出していた。


 数名の精鋭騎兵がすぐに現れて、捕虜の手を引く。マルテレス自身も門の外に出てきた。


 インテケルンの視線は、鋭い。

 マルテレスを狙いに行けば、すぐに殺しに来るだろう。何人かがインテケルンの背後に現れては人ごみに消えているのも、精鋭歩兵を準備させているからか。


「ティツィアーノ様から伝言です」

 こちらも、レグラーレが音もなく後ろに現れた。


「お退きください、と。門を大きき開いた状態でのこの距離であれば、その気になればマシディリ様を討つことも不可能ではありません、と仰せでした」


「しませんよ。マルテレス様が生きている限りは、ですがね」


 マルテレス・オピーマがどのような男かなど、マシディリだって良く知っている。


 同様に、副官であるインテケルンがどのような男かも良く知っていた。あの男は、男として惚れ込んだ者に尽くす者だ。生きていれば悪評は避けられないモノであるが、無用なモノがマルテレスに着かないように動いている。


 カルド島で起きた宗教的要地に対する仕打ちと、そこから生じたアイネイエウスの反撃。これらの責任は、頭であったマルテレスでは無く、インテケルンのモノとされているのだ。


 あくまでも一例ではあり、他にも例はある。

 だが、マルテレスに悪評がつくことになるこの場面で、インテケルンからは兵を動かしはしない。マルテレスが傍にいて、主導的に動く限り、インテケルンも不義理な手は打たないはずだ。


 男として。

 評価基準も財と武具と女なら。

 根幹とすべきは義理と人情と勇気なのである。


 たとえ、悪徳な手段に手を染めていたとしても。これと見込んだ者に対しては格好をつけるのが男だ。マルテレスを守るために戦友であったディーリーを批判し、トルペティニエを討ち果たしたのだから。


 これらの責任も、派閥の長であり鎮圧軍の軍事命令権保有者であったマルテレスでは無く、インテケルンに重く置かれている。


「約束は果たしますよ」

 それは、近くにいる捕虜に聞こえるように発した言葉。


 呟きのようにも思えるそれは精鋭騎兵にも聞こえている。故に、降伏の態度を取れば降伏が認められることは事実として広まる可能性が高まったのだ。



「これで、マルテレス様は逃げられなくなりましたね」


 全員を見送ってから、マシディリも悠々と退く。


 クルムクシュは落ちていないとの宣言はあった。だが、助けなくて良いとは言わなかった。後ろの捕虜を考えれば、言えなかったとも言える。彼らの親しい者もマルテレス側にはおり、この場にはいない包囲軍従事者と親しい者も居るのだ。


 だから、言えなかったかもしれない。

 だから、助けにいかないといけない。


 マシディリ達を蹴散らして。



「態度はしばらく変えません。小競り合いだけに留めてください。増えてきたのなら、遠慮なく撤退を。こちらが勝っていても攻撃を苛烈にすることは禁じます。敵が整列を開始しても、門を閉じて陣を硬くするように」


 全軍に、再度伝えるために声に出しながら。


「次に応じる時は勝つ時。

 包囲殲滅の形で、お答えしましょう」


 大勢がざわついた宣言も、多くの前で発した。


 雷神マールバラですら終ぞ完全な形では成し遂げられなかった作戦を。数に劣るマシディリ側が実行する。

 有り得ないと切り捨てられそうな宣言にも関わらず、マシディリ側の兵は気炎を上げたのだった。

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