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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1301/1591

寄り添う決断

「彼らもアレッシア人です。主義主張が違うだけで、アレッシアを守ってきた者に違いはありません」


「今は敵」

 ティツィアーノにも取り付く島もない。


 マシディリも、あまりにも主張を強めると士気に関わると分かっているため反論はできないのだ。アグニッシモは、首ごと目をきょろきょろとさせている。


「不信感を植え付けるのなら、これぐらいするべきかと。

 それから、軍議の場でこの作戦を提案いたします。マシディリ様は反対されても構いません。いえ、された方がよろしいでしょう。


 ですが、通させていただきます。

 不当にかけられかねない疑いを晴らすためにも。アスピデアウスは場当たり的な変心を許さない。その意思を、はっきりと示すために。アスピデアウスの誇りを守るためにも」



 マシディリは息を吐いた。


 アスピデアウスの誇り。

 そう言われては、呑むしかない。

 愛妻も良く口にするのだ。胸を張り続けるのも、アスピデアウスの誇り故に。


「分かりました」

「ありがとうございます」


 感謝の言葉と共に、ティツィアーノが一気に容器を傾け、薄めたりんご酒を飲み下した。


 軍議は二時間後。

 それまでの僅かな間で、高官には自分達が監督する部隊の被害状況の確認はもちろんのこと、休息と不十分ながらも補充物資の提供手配を済ませるようにと触れを発した。


 ただし、アビィティロは別。

 終わり次第、可及的速やかにとレグラーレを送れば、一時間ほどでマシディリのいる小屋に現れた。


「ルカッチャーノ様をトリアンカリエリから遠ざけようと考えています」


 マシディリも、即座に本題に入る。

 ルカッチャーノは、マルテレスが後方に置いてきた荷駄隊を野盗程度の小規模ながら襲撃を続けていたのだ。此処に来て軍団の立て直しが終わり、西進を始めていると言う報告が入ってきている。


「マルテレス様が場所を変えかねないから、ですか?」


 マシディリは、頷いてから口を開く。


「プラントゥムではオプティマ様が軍団の再編を始めたとの話が入ってきています。マルテレス様が把握しているかは分かりませんが、後背地として捉えているのなら、長居もしたく無いでしょう」


「知らなくても伝えることを考えていると言うことですか?」

「迷っています」


 素直な心情だ。

 アビィティロも、自身の立場から入るのでは無く、まずは受け止めてくれている。


「トリアンカリエリを攻撃目標にしたことを、ルカッチャーノ様にはどのように伝えておりますか?」


「作戦方針が漏洩する恐れもありましたので、交戦中であり任せて欲しいと言う旨しか伝えていません。父上からもルカッチャーノ様に情報の共有が為されているはずです。指揮下に組み込むことも、交渉中だと。

 それから、トリアンカリエリに対する攻撃も、トリアンカリエリの周囲で物を燃やし、煙を立てるだけになりました。陥落は厳しいと判断したアピスとパライナの機転です」


「でしたら、指針の大きな揺れにはなりませんね」

 アビィティロが自身の唇に指の側面を当てた。


 トリアンカリエリを襲撃したかったのは、あくまでも荷駄隊の通路を変更させるため。戦いをそちらに持っていき、クルムクシュに残る包囲軍への作戦完了を待つためだ。


 これが、仮にルカッチャーノ隊による荷駄隊の壊滅とトリアンカリエリの陥落となってしまえば、根幹が変わってしまう。『マルテレスを此処で討つ』と言う、マシディリにとっての最重要目標が壊れかねないのだ。


 尤も、それを多くの者が理解してくれるかどうかとは別の話である。


「マシディリ様」

 アビィティロの腕が下りる。

 体の横、背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ形だ。


「正直に申しますと、私はルカッチャーノ様を止めることには反対です。むしろ、ルカッチャーノ様にトリアンカリエリを攻略してもらった方がよろしいかと思います」


 眉間に皺が寄る。

 だが、これでは同意しか欲しくなかったようでは無いか、とマシディリは視線も下げた。


「仮に荷駄隊が壊滅した上でルカッチャーノ様が合流されれば兵数は同程度。失敗しても挟み撃ちの形です。こちらを撃破に動くならこのままで良い。ルカッチャーノ様に全力を注ぐのなら、半島に閉じ込める形になる。特に後者であれば、最も勝率の高い作戦になるかと考えておりました。

 半島で戦うのはエスピラ様の最初の方針であり、マシディリ様の方針」


 ルカッチャーノは止めるべきでは無いと言うのがアビィティロの考えなのだろう。


 カルド島攻防戦以来の付き合いだ。その後の合流までも長いが、知り合ってからは二十年近くある。硬く結んだ唇からも、伸びた背筋からも、強い視線からもマシディリの考えに反対していることはありありと伝わってきた。


 マシディリも背筋を伸ばす。しかし、張りはしない。

 おおよそ、誰かへの妄執的な偏愛を除けば、アビィティロの考えは父の公的な基本方針に近いと理解しているからだ。


 即ち、全てはアレッシアのために。


 そして。


「ただ、半島で戦うことになればマルテレス様とエスピラ様が直接対峙することになり、予言のことが起こりうるのでは無いか、とマシディリ様が考えてしまうことも想像できます。


 ルカッチャーノ様とマルテレス様の本隊がぶつかれば兵に余計な損害が出るのも事実であり、現在のタルキウスは少々扱いづらいのも否定できません。特に、負けたままのルカッチャーノ様と、マルテレス様に互角のマシディリ様では本来は無用の摩擦も多く発生するでしょう。


 ルカッチャーノ様を止め、我々だけでマルテレス様を討つ。


 それもまた、アレッシアのためになっているかと思います」



 アビィティロは、ウェラテヌスのために、マシディリのためにと考えを捻ってくれる人でもある。長兄であるマシディリにとって、兄に近い存在でもあるのだ。


 父と言う大きくて厚い傘とは違う、火鉢のような温もり。そう表現するべきかもしれない。


「アビィティロ」

「ルカッチャーノ様が輝くのは単独行動をしている時。何より、タルキウスには権威と力があります。北方諸部族の旗頭としても、日和見を続けようとしている者達に意志を固めさせるにも最適な人物でしょう」


「ありがとうございます」

「礼には及びません。あくまでも、戦略的な観点から同意しただけですから」


 アビィティロが鼻からため息を吐き、左に口を寄せるようにして右眉を上げた。

 次の瞬間には、真面目な顔に戻っている。


「マルテレス様を討ちます」

 自分に言い聞かせるように言う。

 アビィティロは、頷くように目を閉じた。


「此処で、終わらせましょう」

「全霊を尽くして」


 一息、吐く。

 このあとさらに話しても良かったが、今回は解散することにした。次に会うのは高官を集めた会議。その場で、今後の方針を軽く決める。


 本格的な会戦は、しばしの間控えること。

 その間の小競り合いは、マシディリとしては第七軍団を使いたいところだったが、疲労と損耗から第三軍団を中心に行うこと。

 敵後方トリアンカリエリは狙わず、親アレッシア派の北方諸部族に任せること。


 大まかに意思を共有し、明日の戦闘地点を定めた。


 南方の村だ。マンティンディの隊で、村の水源を狙うように動く。


 先の戦いで、攻め手はこちらに移った。あの戦いを勝ちとするためにも、そうせざるを得ない。その意識がどこかで主導権を握ったと言う考えにすり替わってしまったのだろう。


「敵襲です!」

 向かい合っているのだから、当然あり得る警告の声。

 その音に、少々油断した眠りについていたマシディリは飛び起きてしまったのだった。

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