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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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再降兵

「アグニッシモ様は、深くまで追撃に行っております」


 サンリエリにあるマシディリの陣。

 兵の収容を始めてしばらくすると、右翼を任せていたティツィアーノが報告にやってきた。


「撤退命令は出しましたから。その内帰ってきますよ」


 尤も、ティツィアーノは別にアグニッシモに関しての言葉を求めている訳では無いだろう。

 マシディリも分かっているからこそ、次は別のことを口にする。


「中央が下がった状態で左翼と第三列が前に出た時、向こうは過剰に退いたように見えました」


 ティツィアーノを見ては言わない。

 戦場を見つめながら、より遠くを見るようにして。ティツィアーノの視線を感じながらも、ティツィアーノに意識を傾け過ぎることはしないようにする。


「クーシフォス様とウルティムスを前に出した時、撤退の意思がさらに顕著になった気がします」


 此処で、ティツィアーノに目を向ける。

 真顔だ。奥底を覗き込むような、大好きな父の一番苦手な目を意識して。


「右翼は、どうでしたか?」


 ティツィアーノの唇にほとんど動きは無い。

 それでも、かすかに開いたような気がした。隻眼が、一瞬だけ別の色を浮かべ、常の色に戻る。


「てっきりアグニッシモ様の武威に慄いたのかと」

「決まりですね」


 視線を切る。

 ティツィアーノの冗談に応えるように、口角だけは少し上げた。


「トリアンカリエリの封鎖は失敗するでしょうが、計画通り南の道へも兵を頻繁に出そうと思います」


 見逃すか、どうするか。

 ただし、マルテレス側にとっても戦う利点の少ない場所だ。大きな戦いには発展しにくいだろう。


「第四軍団が行きましょうか」

「いえ。初めはマンティンディで行こうと思います」


 陣の守りの主軸はグロブス。

 今日の戦いで後方に回っていた部隊を動かす予定だ。

 第三軍団以外にできれば功績を、との工夫もしていきたいが、疲労を考えれば仕方が無い。


「かしこまりました」

 ティツィアーノから話題を変えるような気配がした。


 しかし、声は来ない。先に変わったのは周囲だ。ざわめきが起こり、少し鎮まる。このあたりは流石若いながらも経験者の多い軍団だ。


 顔を横へ。

「兄上」

 アグニッシモが、馬の後ろに誰かの死体を乗せてやってきていた。


 睨むような視線でティツィアーノを見下ろし、それから馬を降りる。

「ちょっと、どこかに」


 マシディリは、表情を少し抜けたモノに変えた。戦場ではあまり出さない顔である。やけにぴりついているアグニッシモとで空気の緩和を狙った表情だ。


「そこで良いかい?」


 唇を引き締めたまま、アグニッシモが頷く。

 布を上に張っただけの場所だ。

 近くにいた兵に命じて大盾を適当に並べ、周囲からの視界を遮れば気持ちだけでも変わってくる。


 その処理が終わると、アグニッシモが馬から乱暴に死体を引きずり落とした。中央に蹴り捨てるようにして投げ捨てている。アスフォスとは大きな違いだ。


「こいつが、殿でした」

 アグニッシモが足を出しかけたが、やめて剣で死体を整える。


「トトリアーノ様ですか」

 トトリアーノ・アスピデアウス。

 宗家であるサジェッツァとは少し遠いが、アスピデアウス姓を保っている家門の一つの主力だ。


 そして。

「スペランツァと一緒にプラントゥムに行った奴だよな」

 アグニッシモが獰猛に唸った。

 真っ直ぐに貫いているのはティツィアーノ。


「そうだな」

 本人は何も悪くないのに睨まれているティツィアーノは、大人な対応をしてくれた。


「なんでこいつが遮る。俺らの邪魔をする!」


 結論から言うと、スペランツァは無事だ。

 今は敵の包囲を崩したとの報告も上がっている。だが、状況が大きく好転した訳では無い。一万人のための水源確保と防御の確立をしなければならず、苦境は続いているのだ。


 思うところは、大いにあるだろう。

 もちろん、マルテレスとの会戦に消極的にも映りかねないマシディリに対しての不満も奥底にはあったかもしれない。


 それが、爆発しているのだ。


「立場だ」

 ティツィアーノの言葉は足りない。


「何の」

 アグニッシモが地面を踏みしめる。


「投降兵の。プラントゥム以降、アレッシアの軍団の内多くがマルテレスに吸収されている。思うに、彼らの待遇は良く無いのだろうな。あるいは、師匠による分断策も効いているのか。

 だからこそ、トトリアーノは忠誠を示す必要があった。他ならぬ、戦友のために」


 処刑されたと噂されているサルトゥーラが率いていた兵が二万。

 スペランツァと行動を共にしているフィルノルドが率いた援軍が一万。合計三万の兵がマルテレスに向かっていったのだ。


 しかし、スペランツァの報告ではスペランツァの傍に残っていたのは一万。二万全員が殺されたわけでは無い。


「アンタがスィーパスと互角な訳が無い。まさか」

「謀略だよ」


 アグニッシモに続きを言わせるわけにはいかないため、マシディリは割って入った。声音は軽く。誰かを責めるような声では無く、近くにいた者に適当な容器を求め手を挙げながら。


「右翼の再編第四軍団は騎兵を含めても五千と少し。スィーパスは一万を動員したこともあった。今日は違うけど、数は圧倒的に多いよ。それでも、実力差は歴然だけどね」


 小さな容器を受け取り、被害をまとめた書類をどけて机の上に置き場を確保する。

 腰につけた山羊の膀胱を取り、中身を容器に注いだ。非常に薄めたりんご酒だ。それを、三つ。


「第三軍団に対してマルテレス様とインテケルン様をぶつけるのなら、突破口は自ずと右翼のティツィアーノ様になる。皆がティツィアーノ様の実力とスィーパスの実力を知っているからね。でも、突破できなければ何故、となる訳だ。


 そこに現れる、アスピデアウスの者。


 物語を想起させるには十分だよ。父上流の初歩の初歩は、インテケルン様も物にしているからね」


 二人に容器を差し出し、マシディリは自身の分の容器を持ち上げた。


 乾杯するように持ち上げてから口を付ける。ほのかにりんごの香りがした。戦場では水分補給の手段でしか無かったが、香りを楽しみ、味に物足りなさを覚えるあたり、大分余裕があるようだ、と自身のことながら他人事のように分析した。


 容器を離すとともに、目を細める。


「まあ、そのインテケルン様が第三軍団に破壊されれば作戦は意味をなさなくなるさ。大した自信と信頼だよ。だから、きっと、この作戦はインテケルン様の立案。

 尤も、ティツィアーノ様が一番的に損害を与えているから、成功とは言い難いはずだけど、ね」


 アグニッシモが首を縮めた。怒気は消え去り、一気にしぼんでいく。


 素直なところもアグニッシモの美点だ。疑われたティツィアーノも、軽く手を振って許してくれている。ぞんざいな態度は、むしろアグニッシモを慮ってだろう。


「降兵の中には、先に出陣していた者達も居ます。彼らの処遇は、どうしましょうか」


 単純な処罰では無く、何に照らし合わせるか、と言うことでもある。

 アレッシアの軍法か。あるいは、敵兵として扱うのか。


「最終的な決定権は父上にあります。父上の判断を仰ぎましょう」


 マシディリは、あくまでも副官。

 今この場で処遇を決めてしまいそうになったが、即座に先の言葉が口から出て来た。


「ですが、信頼はできませんね。クルムクシュに送り、獄に繋いでおきましょうか。共に戦うことは許しません。武装を解除した上で、クルムクシュに。いえ。その噂も流しましょうか。降兵同士の手足を鎖でつなぎ、山を歩かせる。マルテレス様に救いに来させるために」


 降兵を失っても痛くは無い。

 むしろ、味方を守るマルテレスと言う名を散々に利用するために使えるのなら、最高の利用方法だと胸を張って言える。


「でしたら、一部の者をマルテレス様の陣に逃がしましょう。他の者がクルムクシュに送られることだけを教えて放てば、勝手に疑うはずです」


「良い策ですね。半裸に剥いて放ちましょうか」


 それで、劣悪な環境だとは伝わるはずだ。

 ならば、マルテレスは動かざるを得ない。


「それでは足りません」

 ティツィアーノが、真っ直ぐに言い切る。


「肌が裂けるまで棒で叩き、背中を腫れあがらせ、苦痛を覚えた状態で行ってもらった方が良いかと」


 その提案に、マシディリは渋面を作った。

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