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冷静な判断を

 グエッラの胸が大きく膨らんだ。肩も少し持ち上がり、それから大きくゆっくりと息が吐きだされる。


 目は閉じて。


 その状態で数秒。


「アルモニアの言う通りだ」


 その言葉を発してから、グエッラが目を開けた。


「圧をかけるような真似をして悪かった。勝つためには当然のことを言ったに過ぎないのに、つい冷静さを失ってしまったようだ。

 そして、これもただただ私が未熟なだけで申し訳ないのだが、建設的な話し合いを今すぐには出来そうにない。少し、歩いてくる。

 時間はあるか?」


 先程までとは打って変わって非常に穏やかな声である。


「どうぞ、ご自由に」


 エスピラは調子を変えずに右手のひらを見せた。


 凛、と踵を返し、グエッラが出ていく。アルモニアは横に避けただけ。ついてはいかない。

 出ていく様子の無いアルモニアに、視線が集まった。


「行かないのか?」


 シニストラがやや無遠慮に言葉を投げる。


「今は一人にしておいた方がよろしいでしょう」


 丁寧な言葉が返ってきた。

 シニストラは何も言わないが、眉間に皺が寄っていることは想像に難くない。


「それと、エスピラ様に一つ訂正が」


 シニストラから感じ取れる空気が困惑から警戒に変わった。

 ソルプレーサはいつも通り。


「コルドーニ様も大人しくグエッラ様に従うことはありません。エスピラ様が行動を起こされれば追随するでしょう。

 イルアッティモ様も今やエスピラ様と遠縁であり、ディティキでの使節やその後もエスピラ様が『手助け』したことでエスピラ様に恩を感じております。見捨てることは出来ないとおっしゃっておりました。

 ボストゥウミ様やアワァリオ様、義弟でありますジュラメント様を始め、騎兵にもエスピラ様を取る者が一定数居ります。

 エスピラ様、ソルプレーサ様、シニストラ様、そして私で十三個大隊五千二百が堅いとすればエスピラ様と行動を共にする可能性のある兵は一万を超えるかと」


「は?」

 と、漏らしたのはシニストラ。


 アルモニアは淡々としている。


「グエッラ様の味方じゃ、ないのか?」


 シニストラの困惑した声にパラティゾが同意をするかのように僅かに表情を変えた。


「私はアレッシアをより良くするために動いております。残念ながら、現状では会戦を避けられないでしょう。ですが、今やグエッラ様は会戦に囚われ有用な策を立てるのを後回しにしているようにも見えます。これでは四万の兵が無駄にすり潰されるだけ。何としてでも避けなくてはなりません」


「ならエスピラ様に同意すれば良かっただろ」


「敵対している者の言葉に本当に耳を傾けるのかどうか。どちらに賭けるべきか。そのことを考えた時に、エスピラ様の方が話を聞いてくださると思ったまでです」


 ティミドを庇った時のように。

 ベロルス一門は嫌っておきながらグライオは重用するように。


 そう言うことだろう。


「アルモニア様が繋ぎを得意とするのはカルド島でもこちらでも見せてくれていましたよ」


 ソルプレーサがやや砕けた声音でシニストラに言った。

 シニストラが、んん、と唸ってから、「そう言えば、そうだったかもな」と呟いている。


「本国での風当たりは強くなっておりますが、多くはすぐに意見を変える者達でしょう。サジェッツァ様にもエスピラ様にも変わらぬ味方は付いております。風向きが変わるのはそう遠くない未来ではないでしょうか」


 当然、その時にもグエッラ様にも変わらぬ味方はおりますでしょうが。とアルモニアが結んだ。


「だろうな。しかし、本国で、とは子供たちに迷惑をかけてしまうな」


 ジュラメントのきつい言葉が脳裏によみがえり、エスピラは目つきを鋭くした。

 嫌な記憶と嫌な想像を無理矢理片隅に追いやり、短く強く息を吐き捨てる。


「愛しの奥様には申し訳なく思わないのですか?」


 口角を緩めてソルプレーサが言った。

 シニストラがソルプレーサを睨む。パラティゾも表情を硬くした。グライオはずっと能面を貫いている。


「メルアは気にしないさ」


 むしろ男を誘えなくなる分、私の精神に優しいかもな、と言う言葉は飲み込んで。


 グライオの、ベロルス一門の者やメルアの母親の一門であるアルグレヒトの一門の前で言って良いことでは無い。


「そう言えば、奥様が身籠っておられるとお聞きしました。遅くなりましたが、おめでとうございます」


 アルモニアが慇懃に頭を下げる。


「ありがとう」

「いつ頃お生まれになるのですか?」

「年をまたぐだろうと言われているよ」


 神託では女の子とも出た。

 ユリアンナに妹ができるなら、成長にも良いことだろうとも思っている。


「ユリアンナ様も将来アレッシアを代表するような美しい女性に成長すると思われますが、ウェラテヌスはこれで二人もの美女を得るのですね」


 シニストラが言った。


 エスピラの機嫌を取っている、と言う意図も少しはあるだろうが、どちらかと言うと本気でそう思っている節があるとは、ウェラテヌスの屋敷に居る時のシニストラの行動からも良く分かる。


 マシディリやクイリッタもかなりかわいがってくれているが、三男であるリングアには良く泣かれて落ち込んでいるのだ。それも、放っておくと声を掛けられなくなるくらい。


「そう言ってくれて嬉しいよ、シニストラ。今はとにかく、無事に生まれてくれることを祈るのみだ。メルアも、また命を懸けるわけだしね」


 そこまで言って、エスピラの目が大きくなった。


「マシディリに私の代わりとして神殿巡りをしてもらうのはどうだろうか? それを頼む手紙を書けば、マシディリも返事をしてくれるとは思わないか?」

「紙の値段も無視できないモノであることをお忘れなきように」


 うきうきのエスピラの声に、ソルプレーサの声が水をかけた。


 良い案ですね、と言ったシニストラの声すら鎮火している。


「会戦に勝てばすぐにでも帰れますよ」

 と、慰めるかのようにアルモニアが言った。


 シニストラの機嫌が急下降する。ソルプレーサは変わらず。


「やるからには勝つために動くさ」


 否。被害を少なくするように、だ。


 ただでさえ敗戦続きでアレッシアの威信は落ち込んでいる。これ以上の負けは許されないのだ。だから、負けても局所戦で、ただの小規模戦闘の延長と言う認識に持っていく必要がある。


 一番良いのは、戦わないことだが。


 戦わなければ、統率を取り続けるのも難しくなるだろう。マールバラの軍で消費されるのは北方諸部族。次にプラントゥムで募集した兵。最後にグラム家についてきてる兵。


 成果が出なくなれば、その格差に対する不満も大きくなると考えられるのだから。


「ま、久々に忙しくなりそうで安心しているよ」


 後方支援よりも偵察任務が主流になりそうではあるが、エスピラにとってはそれも苦手では無いのだ。


「指揮官としての偵察任務も大事なことだしな」

 と、エスピラはパラティゾに向かって言い、簡易的な地図を取り出した。


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