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嫉妬

 処女神の巫女は毎日アレッシアを占っている。一人一人が占い、未来を見ているのだ。


 もちろん、先々の占い結果を見ることができるのは元老院のお歴々だけだが、当日の運勢は誰でも見ることができる。過去の記録も一介の神官に過ぎないエスピラにも漁れるのだ。


 加えて、

「将来、軍団を率いることになった際に、どこの巫女を頼るかを決めようと思いまして」

 と言っておけば、エスピラが調べることを誰も疑問には思わない。


 自信が信奉する神か、戦の神か、国の守り神である処女神か。


 誰かしらの占いを受け、兵の士気を上げてから出陣するのが常であり、占い師の誰かしらを連れていくのが常である。戦場に連れていくのは、基本的には守る必要の無い男であるのだが、戦勝祈願は誰でも良いのだ。


 故に手もみすりもみ、とは言わないまでも戦勝祈願を頼まれたと言う名声とそれに付随するお気持ちを欲しいがための協力を受けるのは簡単であった。


「で、誰が良さそうなんだ?」

 と、マルテレスが朝一に言ってきたのは、シジェロの過去の占いの結果がエスピラの記憶とほぼ一致していたのを確認した次の日のことである。


「今日は非番か?」


 マルテレスが訪ねてくる、もとい、誰か知り合いが一日纏わりついてきて動きに支障が出るだろうと言うのは、昨日のシジェロの占いで分かってはいた。


「そうそう。久々の完全な休みだからさ。エスピラは何をしているのかなと思って」


 聞きながら、エスピラは天日干ししていた粘土板を拾い上げた。丁寧に重ねて、手の上で積み上げる。その間もマルテレスの話が止まる気配は無い。


「エスピラが腕の良い占い師を探しているって噂は耳にしたからさ。何だっけ。神官様が売り込んでいる子がいるらしいじゃん。トリアヌスの、えーっと」

「シジェロ様か」


 止まったマルテレスに粘土板を幾つか置いて。

 エスピラは残りの粘土板の回収に向かう。


「そうそう。シジェロさん、シジェロさん。しかも美人らしいじゃん」


 美人か、とエスピラはシジェロの顔を思い浮かべてしまった。


 美人と言う言葉を否定するつもりは無い。ただ、メルアとは系統が違う。メルアはそこに存在するだけで美しいとほめそやされるその場の美人なら、シジェロは他者を受け入れるタイプの美人と言うべきだろうか。光のように引き寄せるモノと、懐に収めるモノ、と言うべきか。


「シジェロ様の本質は外見では無い。お前も、話せば分かる」


 答えるまでに少し間が空いてしまったなと思いながら、エスピラは最後の粘土板を拾い上げた。


「間違っても手は出すなよー」


 含み笑いも聞こえる。


「出すと思うのか」

「思わないけどさ。あー」


 尻尾下がりの声が聞こえた。エスピラが目を向ければ、マルテレスの頭が倒れ、目が地面に逃げていく。


「ほら。ディティキに行ってた時から他の男を家に呼ばれてたんだろ。となるとそこから十か月近くは出来ないわけでさ。でもエスピラが娼館に行ったなんて話は聞かないし」

「娼館なんて幾らでもあるだろ」


 戦争に勝てば奴隷が増える。奴隷が増えれば職にあぶれる者も増える。高級娼館なら教育が必要だが、そうでないならもっと楽になれるのだ。

 何より、言葉を知らずともできるのが大きい。アレッシア語は半島内くらいでしか通じないのだから。その上、気に入られれば貢がれることも買われていくこともある。


 娼館、と聞けば聞こえは悪いかも知れないが、元からそう言うのが好きな者以外にも鉱山に行くよりも良いと言う理由で行きたがる者も多いのだ。


「一応ほら。俺は、な。平民には顔が広い方だからさ。アレッシアの中なら知り合いを辿れば全ての娼館の様子が分かるというかさ。友としてはやっぱり不安な訳よ。処女神の神殿に行くならその前に娼館に行っておくべきってのは良く言われているし、不能だと一門が駄目になるだろ」

「そう言えばそんな噂もあったな」


 メルア・セルクラウス・ウェテリが男を誘うのは夫のが役立たずだから、と。

 エスピラも小耳にはさんだことがある。


「そんな噂もあったなで流して良いことじゃないだろ。死活問題だぞ」

「噂は噂だ」


 エスピラは周囲に目を巡らせ、耳をそばだたせた。

 気配はただ一つ。警戒する対象ではない。


「噂を口にした者の中にはトリアンフ様もいる。下手につついて、タイリー様の後ろ盾を失うことだけは避けねばならないからな」


 エスピラはマルテレスに近づいて小声で言うと、すぐに離れた。

 そのままの足取りで、廊下に向かう。


「トリアンフ様は大望だけなんだろ? タイリー様がどっちを取るかって言ったらエスピラなんじゃねえの?」

「血の繋がりは思っているよりもずっと濃い」


 期待値だけでは越えられないほどに。


 エスピラは、顎を少しばかり引いてしまったことを自覚した。

 とんとん、と近づいてきていた足音が止まる。

 同時に見えたのは不言色いわぬいろの瞳。少しだけ緊張を孕んでいる顔に、エスピラは笑いかけた。


 シジェロの肩が大きく上がり、ゆっくりと下りる。


「今日は東の方向にお気を付けください。行かないといけない時は、北を経由して行くと良いと出ておりました。後は」


 シジェロの目がマルテレスの方に向いた。数瞬の間があって、続きが紡がれる。


「昨日と変わりありません」


 昨日の障害とやらがマルテレスのことだと思ったらしいというのは、シジェロの反応で分かった。

 言い辛そうにしているのも、その顔が少しばかり拒絶に見えるのも。


(マルテレスなら問題ないだろうが)


 占いの結果によるものであれど、この表情は少しばかり悪い噂を出しかねない。


「マルテレス。噂で既に聞いているかも知れないが、こちらが占いの腕が良い巫女のシジェロ・トリアヌス様だ」


 シジェロに対しての牽制も込めて、まずはマルテレスにシジェロを紹介した。

 次に動かす手を変えて、マルテレスの方を示す。


「シジェロ様。こちらが私の友人のマルテレス・オピーマです。非常に良い男ですので、是非とも仲良くしてください」

「よろしく!」


 マルテレスが調子よく手を挙げた。


「よろしくお願いいたします」


 シジェロがゆったりと恭しく頭を下げる。

 同じような速度でシジェロの頭が上がり、胸元に手を持っていった。目は閉じられている。


「マルテレス様に、神の御加護があらんことを」

「どうも、ありがとうございます」


 マルテレスが小さく頭を下げた。


「それではエスピラ様。また夕方に占いの結果をお伝えしますね」


 そう言うと、シジェロが静かな足音と共に去っていった。

 見送ってから、マルテレスが肩に手を回してくる。


「なあ」

「精度を知っておく必要があったとだけ言っておこう」


 言葉を封殺してエスピラも出ようとするが、マルテレスにがっちりとホールドされてそうもいかない。


「なんで?」


 何故か。


 そんなの、九番目の月の十七日に凶事が起こる可能性があると言う結果を出したからである。そして、その凶事に対処するのがエスピラに課せられた使命だからでもある。


 だが、エスピラの口からそれらの事柄が出ることは出来なかった。


「噂を耳にしているなら分かるだろう」


 何で出なかった? 

 確定事項ではないから巻き込めない。それだけだ。


 それに、タイリーを始めセルクラウス一門はどこか平民に対して差別的な意識も見えてしまう。手伝いまでに駆り出すのは、下手するとマルテレスの枷になりかねない。


 自分よりもマルテレスは優秀なのだ。変なところで躓かせるわけにはいかない。アレッシアのためにならない。


(ただ、それだけだ)


 そうに、決まっている。


 一度強く瞼を閉じると、エスピラはマルテレスの手を解いて粘土板を持ち直した。


「悪いが、私は非番じゃないんでね」

「手伝うよ。ってか、手伝わせて。神官の仕事にも興味があるんだ」


 マルテレスがわざとらしく足音を立てて後を追ってくる。


「入れられない場所の前で待てるならな」

「もちろん。俺が待てないと思っているのかよ」


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