アルモニア・インフィアネ
天幕に入ってきたグエッラ・ルフスにはアルモニア・インフィアネも同道している。
グエッラの表情は変わらないまま、目だけがシニストラ、ソルプレーサと動いた。
「お話の邪魔だったかな?」
「お構いなく。最近は持てあます時間もある者達ですので」
軽くパンチを打ち合ってから、グエッラがエスピラの前に立った。
「私も肝っ玉が据わっている方では無いので本題から入りたいのですが」
嘘だ。
この場に居る誰もが嘘だと分かり切っている。
四万の軍団を率いている者が精神的に摩耗している、疲労しているのは事実だろうが、肝が据わっていないと上になど立てるわけが無い。
「こちらに判断を任せず、言葉でお伝えください」
エスピラの言葉に不快な表情を浮かべることなくグエッラが口を開く。
「会戦を行うための根回しに参りました」
出会ったばかりの頃のように、それでいて決定的に違う丁寧さでグエッラが言った。
「お断りします。ウェラテヌスは誇りとアレッシアのためだけに動く家門ですから」
「今、アレッシアのためになるのはどちらの行動ですか?」
シニストラの雰囲気がさらに剣呑なモノになった。
グエッラの目がシニストラに向かい、すぐに戻ってくる。
「マールバラに対する警戒は今も存在していますが、徐々に薄れてきてしまっている。警戒が薄れた状況下で会戦を避け続ければ醸成される非難は今の比では無い。その上油断もしている。対したことが無いと兵が決めつけるようになっている。
ならば、程よく警戒心の残っている今、全力でもってハフモニに当たるべきでは無いか! と、思うのですが。エスピラ様はどのようにお考えで?」
(その空気に持っていったくせに良く言うよ)
エスピラとて無抵抗だったわけでは無いが、エスピラが反対すればするほど兵の緊張を高め、グエッラの言うところの『程よい状態』を長く保つことになる。なってしまう。
それでも、程よい状態を保つことがアレッシアのためになるならエスピラはその手を止めることは出来なかった。
「おっしゃっていることはご尤もかと。残念ながら、厭戦気分が蔓延している部隊も耳にしておりますから」
エスピラの言葉に、グエッラが頷く。
「アグリコーラ近辺と違ってここいらは何も無いからな。その落差も兵にとっては不満になっているのだろう。この不満をハフモニへの戦意へ変換しようとしても限度があることは、言わなくても良いことでしたでしょうか」
(ねちねち責める男だ)
カラッとした、会戦を主張する熱血的な男のイメージを作りつつ、こういった面も持っている。隠している。
なるほど。グエッラ・ルフスは副官に上り詰めるだけの仮面を持ち合わせているらしい。
「これは、貴族としての注意ですので平民であるグエッラ様にとっては非常に不快な言葉かも知れませんが、すぐに本題に入ったのであればそのような言い回しはやめた方がよろしいかと。貴方のイメージに合わせた短期決着を狙う男を演じることと遠回しに私が兵のためにアグリコーラで打っていた策の所為で今苦しんでいることを責めることは両立できませんよ。相手に不快感を与えるだけです」
グエッラが目を丸くした。
エスピラにしてみれば、グエッラは『わざとらしく』目を丸くして、驚いたフリをしている。
「まさか。そのようなつもりでは」
「そのようなことも分からない男が栄光あるアレッシアの副官に成れるとは思えません。まあ、没落していたとはいえ名門で育った私だからこそ気になったことかもしれませんが」
「それはすまなかった。以後、気を付けるとしよう」
「四万以上の人間を動かしたいのなら、お気を付けを。今の言葉も、私は本来なら選ばれるはずが無かったのに副官にねじ込まれました、と言っているようにも聞こえますから」
グエッラが自身の後頭部をぽん、ぽん、と叩いた。
「これは手厳しい。存外、エスピラ様は性格が悪いようだ」
「協力を求めるつもりならば一言多い、と添削いたしましょうか?」
言葉で勝っても意味は無いがな、とエスピラは嘆息した。
結局はこの男の望んでいた方向に進んでいるのだ。この程度の皮肉、向こうが吐く必要も無ければエスピラからの皮肉も気にする必要が無い。
「一応、上司と部下、なのですがね」
シニストラから小さな衣擦れの音がした。
「ええ。存じております」
エスピラが穏やかに返す。
「軍事命令権保有者に託されて凱旋将軍になった者と失脚させて軍事命令権を奪い取った者、とも口さがない者は言っているようですが。いえ、お忘れください」
ソルプレーサが少しふざけた調子で言った。
シニストラの暴言を防ぐための動きとしては、満点だろう。
「私も、正式に託されております」
(護民官が口汚く邪魔をして、な)
流石に先ほど罵りすぎたので、今回は自重した。
エスピラは代わりの言葉を紡ぐ。
「重々承知しております。命令されれば、私も会戦に備えなければならないことも軍団を割ることが下策であることも。ですから、ええ。会戦をするのであれば私も勝つために全力を尽くしましょう」
一拍遅れて、言葉を聞いてから僅かに遅れて。
グエッラが笑みを見せた。
「それはありがたい。建国五門が一つ、そして凱旋行進を行った英雄であるエスピラ様が賛同してくださるなら百人力だ」
シニストラからは強い視線を感じている。
だが、口は挟まないだろう。シニストラ・アルグレヒトとはそう言う男だ。
「条件も、ありますがね」
そして、エスピラもシニストラへの配慮もあって神妙に切り出した。
「条件、とは?」
グエッラが聞き返してくる。
「こちらが主導権を握ること。なし崩し的な会戦には至らないこと。こちらが定めた地で戦うこと。決して、深追いをして戦わないこと。要するに、こちらが誘って出てきた相手を待ち構える形で会戦へと至ることです。相手から挑発されれば、その日は会戦に応じないでいただきたい」
当然のことと言えば当然のことであるが、意外とこれが難しい。
どちらが挑発しているのかも、末端の部分、目が届かない部分の制御も必要なのだ。
指揮官には相当な力量が求められる。
「もし、破ったら?」
グエッラが感情の無い声で聞いてきた。
「私は撤退いたします。ソルプレーサ・ラビヌリ、シニストラ・アルグレヒトにも撤退させましょう。他にも五千人程度は撤退するかと。釣られて他に撤退する者もあらわれますし、軍団の士気も大きく低下することになりますね」
戦いに、なるわけが、無い。
勝手に一翼が破壊された状態になるだけでなく、混乱と恐怖と及び腰の中で調子に乗る敵軍とぶつかるのだ。勝てる見込みはかなり低くなってしまう。
「それは軍規違反だ。臆病者を、アレッシアは許さない」
「『英雄』とやらの下知だ。渋々従わざるを得ない者は後を絶たないだろうな」
肘をついて指を組み、エスピラは見降ろしてくるグエッラに強い視線をぶつけた。
グエッラも一歩も引かない。睨みつけるようにしてエスピラを圧迫してきている。
シニストラが剣に手を掛けた音が聞こえ、グライオが目を細めた。ソルプレーサは耳を澄まして外の様子を確認しているようである。パラティゾは、ついてこれていない。
「グエッラ様」
そんな緊迫した空気の中で言葉を発したのはアルモニア。
「なんだ」
グエッラが乱雑に応える。
「ウェラテヌスは生粋の貴族です。建国五門です。私たち平民が目にできる権力闘争とはまた違った世界に生きている人です。その中でもウェラテヌスは最も多くの当主を無事ならざる形で失い、力も失いながらも何度も表舞台に立ってきました」
「知っている」
「いえ。理解しておりません。知っていても理解しておりません。
権力が欲しいだけなら最初から建国五門だけでアレッシアの政治を独占すれば良かったのです。それをしなかった。しない教えが生きている。アレッシアのために生きている一門なのです。歴史もそれを証明しております。ウェラテヌスは、アレッシアのために何度も家運を懸けてきました。
エスピラ様が違反したとして、次の代は? その次の代は?
またアレッシアのために戦ってくれると皆が期待してしまうのです。エスピラ様はそれを理解されているのです。
脅しなどでは無く、本気でそれがアレッシアのためになるとエスピラ様が判断されたのならやりかねません。タイリー様の後押しもありますから、正しい行いだと賛同する者も根強く現れましょう。
エスピラ様に味方するように神罰が降ったことも一度ではありません。神々もエスピラ様を愛しているのは、アレッシアの民ならば皆知っております。
強引な手を取れば、潰れるのはルフス一門。二度と表舞台に出られない可能性が高いのはグエッラ様の家門になります。例えそれが後世の評価であっても潰れるのです。
私はカルド島でエスピラ様の傍に居たから知っております。エスピラ様がどういう人か、アレッシアをどれだけ思っているのか。タイリー様の遺言も聞いております。その上で、破るかも知れないと分かっていながらアレッシアのために従軍しているのです。
裁判で協力したのに遺言を破らせたとなれば、サジェッツァ様を批判している者の剣先の多くがグエッラ様へと向かいましょう。その父祖を貶めるような言葉も出てきましょう。
ウェラテヌスは、記憶に鮮明な上に偉大過ぎますから」
アルモニアの言葉に、グエッラの目がぎょろりと動いた。
口が開き、閉じて、また開いて閉じる。
「グエッラ様。どうか、いつもの冷静さを取り戻してください。エスピラ様の提案されたことは至極当然のことで、マールバラと言う強大な敵に勝つには絶対に必要なことです。会戦に至るにはそうするしか方法はありませんと、グエッラ様ほどのお方なら良く理解しておられるはずです」
アルモニアが、もう一つ押してきた。




