ケラサーノの戦い Ⅱ
地鳴りが増える。
敵からすれば、迫ってくる人数が増えたのは分かってもこれがかく乱の延長線上なのか本格的な戦闘なのかは分からないだろう。いや、かく乱の延長線上だと思った者が多いかもしれない。それだけ素早過ぎるマシディリ軍の整列であり、そうあって欲しいと言う心の底にある願いが敵兵の思考を制御してしまっているのだ。
それらを打ち砕いて現れるのが、クーシフォスの槍。
顔なじみも多いからこそ、感情を押し殺した顔が憤怒になる。
無論、マシディリからは表情は確認できないが、背中から想像は出来た。
かく乱兵が右翼へずれていくにつれ、左翼が見えてくる。そこではルカンダニエの重装歩兵も戦闘を開始するところであった。
クーシフォス率いる騎兵による突撃と、下馬した者が軽装歩兵に転向してのかく乱戦闘。そこに加わるルカンダニエの攻撃的な重装歩兵の圧。重装歩兵の足が止まりかければ、再びクーシフォスが突撃を敢行し、突撃のための距離が無くなればルカンダニエが前に出る。
槍も豊富に用意した。
使い捨ててもらって構わないと、次々にマシディリも前線に物資を送り込む。クーシフォスらが取りに戻っている間は、ルカンダニエが押した。
初撃としては十分以上。遠くにあっても把握できた味方が思わず歓声を上げてしまうほどだ。完璧すぎる一撃に、追随する第二列も前進を開始し、マシディリと第三列も想定よりも前に出るほどに。
ある意味では、マシディリへの側面が空いた形だ。
それでも、敵に動きは無い。
(むしろ)
敵中央から敵左翼にかけての整列を優先しているようにすら見える。
(なんでしょうか)
背筋に、得体のしれない何かが蠢く。やわやわとした細長い物体をたくさん生やし、背骨の中を移動するような。そんな嫌な感触だ。
マシディリは、正面に目をやった。
見慣れた顔だ。もちろん、一人一人の顔までは把握できない。だが、立ち振る舞いが記憶にある。その背中を見て来た。初陣前に。
そう。きっと、正面にいるアレッシア人は第二次ハフモニ戦争からマルテレスに従っている古参兵。精鋭中の精鋭だ。
だと言うのに、圧倒的に押している。
クーシフォスやルカンダニエを疑っている訳では無い。実力でも上手く嵌ったのなら押し切れると信じている。
しかし、それにしては他の場所にいる敵が静かだ。
攻撃を受けている敵右翼を確認するでも無く、整列に勤しみ、隙を無くそうとしているように見える。
(なんだ)
なら、退かせるか?
否。それも罠かも知れない。罠でなくとも、先鋒を命じた二人に対し、能力に疑問を思っているとマシディリが言ってしまうようなモノである。マシディリにその意思が無くとも、そう捉える者が出てくるのは避けられないのだ。
現に、開戦から僅かな時間で敵右翼は少しばかり後退している。射線陣としては成功の形だ。こちらの薄い右翼は接敵しておらず、厚い左翼で圧迫を続け、敵の戦列を砕きつつあるのだから。
(どう、しましょうか)
迷いは敵。
戦場では瞬時の判断が明暗を分ける。
同時に、一つの判断の誤りが勝敗をひっくり返す。
判断は正確に素早く。両立出来た者のみが生き残れるのだ。
「アビィティロに、より前進するように指示を。ウルティムスは敵側面を突くように迂回を始めて下さい」
ただし、とマシディリは口の堅さに定評のある二人の兵を呼んだ。
「攻撃に傾倒しすぎることの無いように、と」
部隊単位の行動指示はオーラによる光で。
二人への注意は伝令を派遣して口頭で。
交代には少し早すぎる命令だ。後は、これがどう出るか。備えが早すぎるか。あるいは、何かを仕掛けていたとしてマルテレス側に行動を促すことになったのか。
答えは、すぐに。
敵陣からの赤のオーラが打ち上がった。動き出したのは敵左翼。マシディリ達の反対側。騎兵だ。先頭の者が赤のオーラをしっかりと武器に纏わせ、豪快に動いているのが遠くからでもわかる。
(スィーパスですね)
となると、やはり敵右翼、マシディリの正面にいるのはマルテレスだ。敵軍全体もやや前進を始める。一部の兵は、やはり突出したマシディリのいる左翼の側面を狙おうと斜行を始めた。
それが、自然となったのか狙い通りかはすぐには分からない。
こちらの反応も予定通りの前進。側面を狙う敵部隊のさらに横腹を突き崩す動き。
変わったのは、敵。
マシディリ達の左翼を狙う部隊と普通の前進を続ける部隊との間に生じた隙間に、騎兵の隊列が現れたのだ。
馬を寝かせていたのか、あるいは移動したのか。
(イエネーオス様)
ただ、マシディリは直感した。
前を見たのは反射。こちらの拳はしっかりと埋まっている。しかし、いわば敵の腹に抑え込まれたような形だ。
(誘い込まれた)
マシディリは、マルテレスの性格を良く知っている。これは、家族の交流として、あるいは師弟としての時間の長さと濃さ故にだ。
逆に言えば、マルテレスもマシディリの性格を良く知っている。
クーシフォスとルカンダニエが先鋒だと読み切り、誘い込んで来た。
味方を強引にどかすようにイエネーオスと思わしき騎兵隊が戦場の中央に姿を現す。鎧も不揃いで、隊列と呼べるようなモノでも無い。それでも、数はいる。背筋は伸び、馬に慣れた様子もある。何より、自信に満ちているのはマシディリからでもわかった。
足元には、重装歩兵。見慣れた顔もちらほら。
騎兵による突撃と、歩兵による圧迫による連携。
ルカンダニエとイエネーオスの評価は同格。クーシフォスはやや劣るのがマルテレスの評価でもある。
即ち、ルカンダニエとクーシフォスに出来た攻撃は、イエネーオスにだって出来るのだ。
中央にいるのは、第七軍団。
最も戦力差の少ない場所。数も少ない。何より、マルテレスが経験のある高官を一気に固めて来ていれば、突き破られる可能性だってある。
マシディリは再び正面を見た。
どちらの破壊が先か。無論、こちらはすぐには壊れない。でも、敵の手の中であればどうか。
何より、マルテレスの得意とする攻撃は突撃。それも波状的で破城的な連続攻撃。
(何発、凌げる?)
間違いなく右翼には最大の一撃が待っている。左翼から仕掛けてきたのは、スィーパスには悪いが見切られること前提の一撃だ。かと言ってイエネーオスも本命では無い。恐らくは戦機を見出し、同時に左翼の戦力を削るのが目的か。いやいや。敵の会戦の目的はマシディリあるいは第三軍団への勝利では無く戦力の半減かも知れない。
このままでは、マシディリが囮になるのは士気的に不味い。
かと言って、マルテレスの狙いもマシディリだとすれば、左翼を減らしたいのは削り切るだけの手が無いからか。
(分かりませんが)
当初の作戦は失敗だ。
ならば、此処は上手く負ける。
「アグニッシモ!」
中央に控えさせていた、最強の手札を此処で切る。イエネーオスにぶつけるのだ。敵の突撃前に。あるいは、突撃同士をぶつける激流のぶつかり合い。大岩すらも吹き飛ぶ急流対決だ。
それは、敵右翼を三方あるいは四方から囲むことを諦める手。片翼包囲では逃げられる。あるいは、破られる。
それでも、とどめのために用意していた一手を守備に打った。
決戦のための予備戦力を守備に回さざるを得なくなった結果、負けた戦例を多く知っていても、マシディリは早期に勝ちを放棄した。




