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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1286/1589

全幅の信頼を Ⅰ

「マルテレス様がほぼ全軍を率いてこちらに向かってきております」


 報告を受け、マシディリはまず表情を変えないように努めた。


 全軍。

 それは、思い切った行動だ。


「詳しくお願いします」


 ルカッチャーノの軍団がマシディリ達の想定以上に手酷くやられていたのか。

 あるいは、完全に無視してきただけか。


 普通なら後者の行動をとる勇気など無い。だが、マルテレスならあり得るのが恐ろしい。


「進軍の先鋒は恐らくイエネーオス様とスィーパス様。マルテレス様は中央に位置し、インテケルン様は中央か後方。軍団の各所にアレッシア兵を配備しつつ、各部族の兵を監視しているような形です。その数は、三万五千ほど」


「減りましたね」

「いえ。荷駄隊を後方に残し、進軍する兵の手元に幾日分かの食糧を持たせて走ってきております」


 なるほど。

 合点がいった。


 ルカッチャーノの部隊が荷駄隊を襲撃しようとも、荷駄隊に残っている兵も居る以上無傷では済まない。それに、打ち払ったところで兵は略奪をしたいだろう。行動は止まるはずだ。


 兵が手に持っている食糧は、メガロバシラスの大王に倣って三十日分か。

 耐久戦法を取ったところで、焦りはしない可能性が高い。


 後は略奪を許可したか、半島でも食糧が手に入る算段が立ったか、楽観視か。

 少なくとも、略奪を許可したかどうかだけでも確認しておきたい。


「グロブスに撤退指示を。陣は焼き払い、出来る限り敵に何も残さないようにと伝えてきてください」

 近くに控えさせていた兵に伝え、走らせる。


「全軍に通達。この近くで迎え撃ちます。右翼を海とクルムクシュで監視させ、右翼方面での回避ができないように陣を構えます。


 それから、占い結果を全て持ってきてください。最も適した占いを選び、全軍に通達しましょう。


 最後に、敵の機動は予想よりも早いと想定して動くように。そのことを厳として伝えつつ、まずは敵の眼前で訓練を行いましょうか」


 近くの兵が、目だけでまた近くの兵と互いを見やっていた。

 返事だけは威勢が良い。が、飲み込み切れていないと言ったところか。

 マシディリは、ゆるりと笑みを浮かべる。


「敵の威勢を削ぐために、訓練でこちらの練度を見せつけるのです。マルテレス様はいつもより斥候を多くしているようですからね。その目を利用しましょう」


 圧倒的に鍛え上げられた兵で、敵の意気をくじく。

 同時に、味方にいつも通りの行動をさせることで緊張をほぐすのだ。


 尤も、マシディリもどんどん観察の兵を送る。その結果、分かったのはマルテレスの予想以上の速度だ。グロブスとアグニッシモの撤退は間に合うが、戦場を選択することは不可能だ。この近くで迎え撃つ、と宣言はしたが、迎え撃たされているとも言える。

 

 元々、クルムクシュへと至る道のいずれかで戦うことになっていたと言えばそれまでだが、それでも最後の平野で戦わされてしまうようなモノに変わりは無い。



「アレッシア兵を混ぜ込み、支柱とした形ですか」

 山の上から、マシディリは行軍する敵を観察する。


 アレッシア軍の近くに来れば、マルテレスも兵の体力を極力温存する方向へと舵を切ったようだ。それでも、マシディリからすれば敵が到着した直後に攻め込むのが良いことに変わりは無い。


「薄めた酒か、支柱を入れて固めたアレッシアンコンクリートか」

 アピスがサンヌスの言葉で言う。


 マシディリはひとまず何も返さない。ただ敵軍を追うのみ。休憩の姿を目にするまで、無言を貫いた。


「大黒柱頼りの結束、ですね」

 そして、結論付ける。


 動き回るマルテレスを見ながら。アレッシア人らしき人達の近くよりも、北方諸部族やフラシ騎兵、プラントゥム兵の周りでは身振り手振りが大きくなる師匠を確認して。


 行動と、兵の注目、背筋、間隔、体の向け方。

 そこをしっかりと記憶して、急いで山を下りる。馬に乗った少数だ。流石に、三万五千の大移動よりも早く自陣に帰ることは出来る。



「大まかな作戦を幾つかお伝えいたします」


 マシディリは、陣に帰り着き、馬を降りるなりすぐにそう口にした。


 到着前に伝令を先行させ、高官を集めておいたのである。アビィティロを筆頭に待っていた者達がマシディリを囲うように集まり、マシディリに合わせて移動を開始した。


「まず、敵軍はマルテレス・オピーマと言う才能に依存しています。アレッシア人と北方諸部族を始めとする部族との混合部隊。明確な連結点はありませんが、柔軟な機動力は持ち合わせていません。複雑な作戦も不可能でしょう。その代わり、破壊力と耐久力は数の分だけあります」


 レグラーレが水筒を差し出してきた。

 マシディリはありがたく受け取り、ひとまず喉を潤す。あまりは一緒に観察に出ていたアピスに回した。


「言葉の壁は如何でしたか?」

 ティツィアーノが合間を埋めるように聞いてきた。

「解決できてはいないようでした」


 即座に高官の間に幾つかのことが共有できただろう。

 即ち、複雑な作戦は敵には無い、と。

 その代わり、マルテレスの意を一瞬で伝え、従うだけの準備を整えているはずだ。


 即ち、マシディリの作戦に対してマルテレスがその場で決断を下し打ち破ろうとする形になる可能性が高い、と。


「高官の質も兵の質もこちらが上ですが、兵力はあちらが上。マルテレス様なりの互角の条件、と言うことでしょうね」


 上がった口角は、上げたのではない。上がってしまった口角だ。


 好戦的な笑みだとはマシディリも自覚している。でも、胸の高鳴りを思えば隠すこともできなかった。父のためにもと思えば、隠したいとは思える。マルテレスとの思い出は、隠そうとしていた。だが、この場の最高指揮官としては兵の士気が上がるのは隠さない方だと言っている。



「ならば勝負を分けるのは根性です。最後まで戦い、勝ちに貪欲になった方が戦局を有利に進められます。


 各々、決して忘れることなく。


 私達はアレッシア人です。アレッシアを守るために剣を取るのです。剣が血に濡れる度に、大事な人が一人救われる。マルテレス・オピーマを殺せれば、父上が出るまでも無く戦いは終わります。


 標的はただ一人。マルテレス・オピーマ。最重要はマルテレスの心臓です」



「マルテレス・オピーマを旗印に敵は集まっている。ならば、マルテレスを排すれば敵に目標は無くなる!」


 アビィティロが補足するように吼えた。

 高官だけでなく、周りに集まっていた兵も「おう!」と声を挙げこぶしを突き上げる。


「マルテレスは私達の手で終わらせる。それが、弟子としてマシディリ様が師匠に返すべき恩であり、私達がエスピラ様から受けた多大な恩を返す手段だ。

 マシディリ様は師匠を超える。

 エスピラ様に友を殺させない。

 やるべきことは、此処で戦いを終わらせることだ!」


 地鳴りのような声が、二度、三度と起こった。

 何かわからずとも波及する。その声の中をマシディリは軽く手を挙げ、兵に応えながら進んだ。


「ありがとうございます」


 熱気に隠し、唇をほとんど動かさずに隣にいるアビィティロに感謝も告げ。

 アビィティロは目立った動きをしなかったが、いつもより少し長く目を閉じていた。


「クーシフォス様。ルカンダニエ。二人には、最重要な役割を任せます」


 足を止める。


 これまで『動』だった集団が一気に『静』に。

 注目も、それだけ集まった。


「初撃。相手の勢いを完全に止め、こちらに持ってくる役割を二人に任せます。


 クーシフォス様の覚悟と、ルカンダニエの突破力。この二つを組み合わせ、こちらに流れを持ってきてください。相手の戦意をくじく一撃を。英雄の神話を終わらせる攻撃を。勝利の凱歌を呼び込む咆哮を。


 お二人の破壊力で」


 誰かが唾を呑み込んだ音がした。

 否定的な反応は無い。周りからも、誰からも。多くの者が納得している。


 この信頼は、二人が勝ち得たモノだ。


「攻撃箇所は、どこでしょうか」


 ルカンダニエが言う。

 マシディリは、瞬きを排して二人を真っ直ぐに見つめた。


「敵右翼。即ち、敵の司令部。マルテレス様がいると思われる場所を、叩き潰してください」


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