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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1281/1590

運命の女神と、月の女神の

「相手が悪かったな」


 ルカッチャーノ敗北。

 その報を聞きながら、エスピラはそうこぼした。


 マルテレスはクルムクシュ包囲に一部を残し、本隊を伴って北方諸部族へと急行したのだ。北方諸部族攻略中だったルカッチャーノはこれに対応しきれず、敗走。しかし、他の軍団と違い多くの兵数を保ったまま撤退したらしい。


 と言っても、あまり距離を取る訳にもいかない。


 北方諸部族の中にもアレッシア側に踏みとどまってくれている部族もいるのだ。彼らに対して救援の姿勢を見せるためにも、タルキウス八千は四万と聞くマルテレス軍に対して姿を見せ続けなければならないのである。


「ま、全滅はしないだろうが」

「助けないのも、タルキウスがどう動くか、ですね」


 アルモニアが残りを言う。

 一応、ナレティクスにも連絡はしているが、ジャンパオロが動かせる兵力は二千だ。素直にぶつけるわけにはいかない。


「マシディリがこれから北上することで手を打って欲しいね」


 そもそも、タルキウスの作戦認可はサジェッツァがやったこと。軍事命令権はインツィーアの監督権から派生したモノ。


 理詰めで行けば、積極的に助ける必要は無いのだ。

 無論、人間同士である以上、感情が大事であり、助けないと言う選択も取れないのだが。


「真新しい武具を人数分送ろうか。財源の一部はディアクロスやクエヌレスをつついて送らせるよ」


 ディアクロスはトリンクイタの家門。即ち、クロッチェ・セルクラウスの嫁ぎ先。

 クエヌレスもまたタイリーの長女プレシーモの嫁ぎ先の家門だ。


「武具を?」

「ああ。見栄であっても、まだまだ余力は十分にあるのだと視覚で訴えるためにね」


 マールバラとの戦いでも本隊と連絡が取れない状態に陥り、そこからしばらく優秀な活動ができていたルカッチャーノだ。意図を理解し、動いてくれるだろう。


「細かい交渉を頼むよ」

「お任せください」


 アルモニアが頭を下げる。

 エスピラは、目じりを下げた。


「悪いね」


 一拍の、間。


「何をおっしゃいますか」

 それは、エスピラの奥を覗こうとするような間であった。


「名目上の副官はマシディリだし、事実、今回の軍団で私の次に権力を持っているのはマシディリだ。でも、君には変わらず後ろを頼みたいと思っているよ。

 私にとっての副官はね、アルモニア。やはり、君しかいない」


「エスピラ様?」


「アレッシアから、軍団を支えてくれ。君の力が頼りだ。これまで通り、これからも。クイリッタも副官業務は得意だとは思うけど、何せちょっと棘が強くなってきちゃったからね。君の調整能力はこれからも必要なんだ。頼むよ、アルモニア」


 目を切りながら手を軽く上げ、返事は聞かず。


 エスピラは、少し前から待機の姿勢に入ったグライオの方へとつま先を向けた。


 グライオが率いる海軍の高官の質は高いとは言い難いが、海賊退治に参加した者達を中心に編成している。アレッシア兵は基本的に陸に上げた方が強いが、アレッシア全体を思えば彼らは海に置いた方が強くなるのだ。それは、陸にいる者達を海に上げるより強いから、と言う側面もあってのことである。


 無論、グライオ以外は、の話だが。


「悪いね、海軍を任せてしまって」


 最初の声は、小さく。

 謝罪の意思が籠っているからだとグライオ以外には誤認されるようにもしている。もちろん、謝罪の意思も本当に宿っているのだが。


「ただ、オピーマの船団を打ち破るのはこの戦いの肝だと思っているよ。逃げられることなく、完全に海底に沈める。そうしてこそ戦いに終わりが見えてくるからね。

 万が一の海上戦闘を想定させない。想定させたとして、船団の再建が出来るだけの基盤を反乱軍は持ち合わせていない以上は離反を招く。何より、あれだけの大軍だ。水運を使えない補給線では立ち行かないよ。略奪をしない限りはね」


 そして、マルテレスは略奪を大きく制限する人物だ。

 それによって慕われている部分もあるし、そこだけはと思う者もいる。プラントゥムの者や北方諸部族などの追加人員は、後者の色合いが濃くなるのだ。


 マルテレスは、マルテレスにとって難しい決断を迫られることになる。


「海も我らのモノだ。必ず取り返せ。この難事を任せられるのは、此処に揃えた水軍と、グライオ、君しかいない。私はそう確信している」


 朗々と通す声は、当然控えている海軍の面子にも聞かせるために。


「オピーマの船団はアレッシア第二位だ。規模も世界で二番目にでかいと言える。それだけの財力を抱えている家門だ。


 だが、一位は君達だ。ウェラテヌスが維持するこの海軍を、私にとって最高の別動隊指揮官が指揮する。負けるはずが無い。この難事業を果たした暁には、君達がアレッシアに於いて水軍の地位を飛躍的に向上させた英雄として歴史に記されることになる。


 期待しているよ」



 言葉としては統一されていない返事が、熱気となって紫のペリースを揺らす。


 少しだけ熱気が落ち着けば、グライオが「お任せください」と芯の通った声を出した。


 エスピラは右手を顔の高さまで持ってきて、全体が静かになるのを待つ。

 注目が自身に集まり切れば、エスピラは堂々とした表情にさらに自信を漲らせた。


「アレッシアに、栄光を!」

「祖国に、永遠の繁栄を!」


 グライオから、強い視線がやってくる。

 その意図に気づかぬエスピラでは無い。


「君達に、月の女神と運命の女神の加護を!」

「ウェラテヌスに、沈むことの無い太陽を!」


 付け加えた言葉にも、誰も戸惑うことなく臓腑を揺らしてくる。

 これから海にでる荒くれ者達は、大きな声を続けながら互いに腕や肩をぶつけ、さらに気合を入れていた。


 その熱気に隠れるようにグライオが立ち上がり、エスピラに近づいてくる。


「必ずや、ウェラテヌスに栄光をもたらすと、月の女神とウェラテヌスの父祖に誓います」


 エスピラは左目だけを少しばかり大きくした。

 グライオの顔は至極真面目。平静の衣服の下に、充実した気力と退くことを知らない覚悟が満ちている。


「そう、しようか」


 エスピラの目がグライオでは無く、北上を始めているマシディリがいる方向へ。

 それも一瞬で、すぐにグライオに力強い目を向ける。


「東方に呼応する気配がある。そのことを餌に軍事命令権の範囲を拡大させるよ。

 これで、私の手の中には宗教と軍の最高権力が握られることになるね。元老院の掌握だけは終わらなかったけど、永世元老院議員にして最大派閥の長だ。

 あと少しで、全てが手に入る」


「タイリー様ですら手に入れられなかった権威です」

「王にはならない。だから、そうだね。この役職をなんと名付けようか」


 くすり、と笑い、口角を上げる。


「帰ってきてから決めようか。グライオも考えておいてくれ」

「かしこまりました」


「此処まで来たか」

 それは、独り言。

 歯型のつくことが無くなった自身の手を見つめ、こぼした言葉。

 アレッシアの作り上げた体系に縛られてはいるが、アレッシアの体系に従い続ければ誰も追いつけない権威。


(サジェッツァの排除すら可能、か)


 ふと過った考えを、自嘲で切り捨てる。

 やろうと思えばいつでもやれた。やらなかったのは、やりたくなかったから。


 べルティーナの名やマシディリの感情を上げるのは、正論ではあるが逃げ。サジェッツァを排除するくらいなら。


「エスピラ様」


 顎を少し上げる。


「私は、どこまでもエスピラ様と共に」


 口が横に。目じりは下がらないし頬も緩むわけでは無いが、確かにエスピラの内から出て来た笑みだ。


「そうだな。お前は着いてこい」

「ありがとうございます」


「ま、先立ってはマシディリと合わせてクルムクシュの解放を頼むよ。包囲の主力は船団だからね。マシディリも作戦を立てるだろうが、主力はグライオだ。きっと、海上を撃滅させた後で陸上の戦力を生かしておいてマルテレスを釣る気だろうね。

 その決戦までは関わらなくて良いよ。マシディリとマルテレスが戦っている間に、オピーマの船団を壊滅させてくれ」


「必ずや、結果で示しましょう」


 ひらり、と手を振り、グライオの傍を離れる。


 アルモニアの近くには、何時の間にやらフィチリタが来ていた。手を挙げ、父上、と呼んでいる。愛娘の両隣にはセアデラとラエテルがいた。ラエテルは分かりやすく目を輝かせ、セアデラも無表情を取り繕いつつも高揚が隠せていない。


「すごいね、父上!」


 フィチリタが感動を口だけではなく踵の上下運動で表してくれる。


「来ていたのか」

 エスピラは、笑みをやわらかいモノに変えた。

 フィチリタの頭を撫で、ちょっとばかり抵抗を受けるがセアデラの頭も撫でる。ラエテルは喜んで撫でられに来た。


「レピナが嫁いじゃって、家が少し寂しくなったから連れてきちゃった」

 フィチリタが言う。


「せいせいした」

 セアデラは、そう言って顔を逸らしている。セアデラとレピナは良く喧嘩をしていたが、その分一緒に過ごした時間も長いのだ。額面通りでは無いのは、家族の誰もが分かっている。


「盛大だったね」

「だろ?」

「私の時も盛大に祝ってくれる?」


 にっこりと笑って、フィチリタが首を傾げた。

 可愛い。が、どこか硬い。


 その違和感に気づきながらも、エスピラは全てに蓋をした。重石も乗せ、沈めていく。表に出すのは、父親としての顔だけ。


「ああ。任せてくれ」


 胸が痛い。

 だが、約束は守る。


「愛しているよ、フィチリタ」

「私も」


 フィチリタが、少しばかり声を詰まらせた。

 私は? とセアデラがフィチリタの様子に気づかせないようにすぐに距離を詰めてくる。


「もちろん愛しているとも」

「僕は?」


 ラエテルが抱き着いてくれば、セアデラが「私の父上!」とどかそうとじゃれ付く。

 フィチリタが、人前だよ、と注意する中、エスピラはそんな三人の様子を特等席で微笑みながら眺め続けたのだった。

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