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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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誰かの策略

「やあ、マシディリ君」


 重厚なトガに見合わぬ軽い声に、マシディリは人受けの好い笑みを返した。

 今日の議場に集まった人々の多くは、さりげなくこちらを見てきている。いや、堂々と見ている人もいるか。


「おはようございます。トリンクイタ様は、今日もお元気そうですね」

「元気と言って良いものか、考えものだけどねえ」


 口を波打たせ、それからトリンクイタが近づいてくる。

 顔をマシディリの耳に少しばかり寄せる姿勢だ。ただし、声は十分に周囲に漏れるだろう。


「セルクラウスの当主が窮地にあるかもしれないと聞いては、後見人の一人として心配せざるを得ないだろう? 酒宴はおろか、晩餐会も開けないよ」


「やはり、聞いておりましたか」


 サルトゥーラ・カッサリアの敗報。

 それは、サジェッツァへの直談判前にマシディリが手にしていた情報だ。


 実は、サルトゥーラはマルテレスのプラントゥム制圧前にプラントゥムに入ることができていたのである。もちろん、刻限間際の状況ではあった。故にサルトゥーラらは山地に陣取り、防御の構えを整えていたのである。


 無論、放置するマルテレスでも無い。両軍はすぐににらみ合いに発展したが、兵力は互角。ややアレッシア優勢。有利な地に布陣しているのはアレッシア。


 マルテレスから攻撃を仕掛けてくることは無かった。


 マルテレス側から見れば、嫌な位置に陣取られ続けていただろう。このまま硬直が最も嫌っていたことかもしれない。


 ただし、これはマルテレス側の事情のみを考慮した場合。

 アレッシアも行軍速度を上げるために物資は少量しか持ち運べていなかったのである。現地調達で間に合わせてはいるが、当然、長期戦となれば圧倒的な不利。


 故に、サルトゥーラらはマルテレスの南東にある食糧集積地を狙った。

 少数の兵でちょっかいを出し、マルテレスを釣り出した後で本隊は迂回しながら下山。一気に食糧集積地を突く作戦だ。


「作戦自体は悪くは無かったのだが、流石はマルテレス君と言うべきか」

 トリンクイタがそう振り返る。


 その通りだ。

 事実、釣り出しまでは成功していた。その場で気づかれたとしても、既に本隊の方が食糧集積地に近い状態。マルテレス隊が下山するにしても、全軍が反転する形となる上に距離の利もサルトゥーラが取っていたのだ。仮に後を追われたとしても、サルトゥーラは周りの物資を悉く徴発して移動しているため、マルテレス軍は飢えることになる。


 だと言うのに、マルテレスは山間の道を追ってきた。

 騎兵を中心とした突貫的な機動で、食糧事情を無視して追撃してきたのである。


 それでも、アレッシア軍は山中は抜けた。抜けた先で軍を展開して迎え撃とうとした。

 しかし、陣形を整えるより先に、マルテレスが突撃してきたのである。


 敵も陣形不十分だったのかもしれない。だが、勢いはある。フラシ平定からプラントゥム上陸までの連勝。釣り出されたとはいえ、マルテレス側からすれば勝利を収めた登山戦。


 結果、アレッシア軍は大敗を喫した。


「サルトゥーラ君は、本当に処刑されたと思うかい?」


 トリンクイタの声の方向が周囲へと変わる。

 嫌な質問だ。マシディリの所為で死んだと言われる分にはまだ良い。アグニッシモがオピーマ兄弟を討ち取ったから、なんて言われるのは、許せないのである。


「処刑していれば、マルテレス様は本物ですよ」

「おや。と言うことは、反逆したマルテレス君は偽物だと?」


「本当にアレッシアを改革し、新たな時代を築くつもりだと言う意味です。処刑できないようであれば、所詮は暴れているだけ。多くの犠牲を出しますが、アレッシアのためにはならないでしょう」


「手厳しいねえ」


「私もスペランツァを救いたいと思っていますが、送り出した時点で覚悟は決めています。仮に降伏してマルテレス様の方に着いた場合に処罰することも、当然ながら」


 トリンクイタが口笛を吹く。

 怖い怖い、と両腕をさすりながら震え上がる振りもしてきた。



「まあ、現状はスペランツァ君が代理でまとめ上げているらしいが、どうなったものかな。プラントゥムの情報が届くまでには大分時間があるからねえ。今は海上もオピーマのモノだし。うんうん。ウェラテヌス海軍がいれば別なのだろうが、まあ、言うまい。

 ところで、これは軍事命令権を希望しているマシディリ君だからこそ聞くのだがね。フィルノルド君の軍団までやられてしまったと思うかい?」


 時間的な差を考えれば、十分にフィルノルド軍団一万も合流して一戦を交えた可能性はある。スペランツァの手元にいるのは傷だらけの一万程度らしいのだ。無論、集まりもするだろうが、中にはマルテレス側に組み込まれる兵もいるかもしれないのである。


 兵の交流を図られれば、もしかしたらどんどん兵が減るかもしれない。

 それならば、フィルノルドと合流したところで即戦に移らねばならなかっただろう。


「どう負けるか、で動いた可能性は高いのでは無いでしょうか」

「一方でウェラテヌスは勝利を飾っている、と」


 アグニッシモのことを、その後のジャンパオロによる討滅戦の戦果を交えて言ってきているようだ。


「何が言いたいのでしょうか」


 マシディリは、笑みを引っ込めて目を細めた。口は一文字に閉じる。

 一方のトリンクイタはうっすらとした笑いを貼り付けたまま、肩を竦めて来た。


「似ているね、と。第二次ハフモニ戦争に」


 敗報続きの北方戦線に対し、エスピラはカルド島での勝利の報告を持ってきた。

 続きは、半島での戦争。そして、多くのアレッシア人を失い、半島も荒廃した戦い。


 マシディリが基本戦略に半島での戦いを組み込んでいることは多くの者が既に知っているだろう。


 なるほど。

 トリンクイタは、マシディリの軍事命令権保有に反対なのだ。


 事実、半島内での戦いに積極賛成なのはマシディリやエスピラに近しい者だけ。ウェラテヌス派を名乗っている者も、多くは半島内部での戦いには消極的である。半島外で、と言う条件ならマシディリを推薦すると言う者ばかりと言い換えられるほどだ。


 逆に言えば、そこまでの支持は取りつけることができたと言うことでもある。


(ですが、半島外での決戦ならば父上が納得しませんね)


 そして、父が反対すればマシディリの主張が通ることはあり得ない。

 ディファ・マルティーマで半隠居生活を送っているとは言え、エスピラの影響力は今なお絶大なのだ。アレッシアを簡単に動かせるのである。



「揃ったか」



 議場の低い位置、中央の椅子に座っていたサジェッツァが低い声を出した。


 入り口から入ってきていたのはシニストラ。珍しく父と離れているアルグレヒトの当主である。元は感情をあまり出さない人であるが、今日は不機嫌だと明らかにわかる歩き方をしていた。


 ただし、マシディリも多くは語らず近場の席、ファリチェの隣に座る。


「開会の宣言をいたします」


 そうして、今日の議会が始まった。

 アルモニアの進行の下、真っ先に中央に出て来たのはサジェッツァ。


「今、アレッシアは危機にある」


 声は非常に良く張られ、六十過ぎだとは思えないほどの活力に満ち満ちていて。



「マルテレス・オピーマの反乱は将来の展望なき癇癪だ。しかし、恐るべき癇癪である。本人は土地を荒らさぬ者だが、ついて回る者は違うだろう。現に、北方諸部族では反乱の向きがあるとの報告がタルキウスから上がってきている。


 彼らがマルテレスに付き、半島を下ってきたとして、空中分解するだろうと言う見立ては私も良く耳にした。だが、空中分解した者達がその後どうなる? 


 山賊となる。オノフリオの軍団でさえ山賊となり、サンヌスの反乱に結び付いた。日の浅く、アレッシアに反逆する者達に加わった北方諸部族の者が半島を荒らしまわり、平穏を脅かすのは想像に容易いはずだ。


 なればこそ、半島外で迎撃する必要がある。


 悲しいことに、その最前線にあったオピーマ派の有力株、オプティマは失敗した。

 送り込んだアスピデアウスの二人の軍事命令権保有者、サルトゥーラとフィルノルドも蹴散らされた」


 ざわ、と空気が揺らぐ。

 初出の情報だ。そして、ウェラテヌスも把握していないことをアスピデアウスが把握していることには違和感がある。


 つまり、出まかせ。

 しかし、ある意味での信頼。


「この状況を覆せる者は、私は一人しか思い浮かばない」


 サジェッツァが言葉を区切った。

 恐らく、多くの者の脳内に浮かんだ人物は一致している。思惑は異なれど、同じ人物だ。当然、マシディリの脳内に浮かぶのも、一人。



「エスピラに戻ってきてもらう」



 そして、堂々とサジェッツァが言い放つ。


 元老院の議場の意思が一致した瞬間だ。感情は、どうあれ。繰り返すが、想いは違えども。


「彼の者の功績は今更語るに及ばず。敵のことを最も知る者がエスピラであることも語る必要は無い。軍事的な成功に留まらない遠征の腕前も、そこにいるエスピラの愛息を除いて他の誰も及ばないだろう。


 我々に必要なのは勝利の鐘だ。


 その音をもたらすのはただ一人。


 アレッシアのために。半島外にてマルテレスを迎撃してもらう。そのために全ての協力を行おう。今日はその決議に参った」



 サジェッツァが両手を広げる。

 トリンクイタが、真っ先に拍手を送った。

 立ち上がったルカッチャーノが、露払いとして先んじて北方諸部族を叩くと宣言している。


「っ」

「マシディリ様」


 息を吸ったマシディリに対し、横に座っていたファリチェがトガを引っ張ってきた。


「半島内での戦いか、半島外での戦いか。そのように持っていかれております」

 圧倒的、不利。


 トリンクイタは、ウェラテヌス派でも有力者に数えられている人物だ。タルキウスも独自とは言え、ルカッチャーノはエスピラの弟子の一人として数えられることも多い。本人も蒼いペリースを着用している。


「既に足を引っ張ってんだよ!」


 エスピラを想い、マシディリに同調してくれているヴィエレの叫びは、拍手と賛同の歓声にかき消されていった。

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