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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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届かぬ願い

「サジェッツァ様が提案されていたプラントゥムを主戦場にする計画は既に破綻しました」

 マシディリは言葉を強め、身をやや乗り出した。


 机の反対側に座っているサジェッツァはいつも通り能面のまま。アスピデアウスの書斎には他に人はいない。パラティゾの子供達の遊ぶ声は聞こえてこないが、部屋は静寂そのものだ。


「だから、私に軍事命令権を、か」

「はい」

 椅子に重心を戻しながら、マシディリはまっすぐにサジェッツァを見る。


「お言葉ですが、サジェッツァ様はあと何万のアレッシア人の命を無為に散らすつもりなのですか?」


「無駄では無い」

「私に軍事命令権を下さるのなら、今半島外に出ている三万の将兵を下げることができるのです。だと言うのに、出し続けるのは無駄では無いでしょうか」


「第三軍団の招集は認めよう。新たに五万規模の軍団の調練も始める手はずも整った」

「半島にマルテレス様を呼び込めば、総勢八万もの兵数は必要ありません」


 再び声に熱を込める。

 書物居並ぶ書斎は、マシディリの声を上手く吸収するのか。小さい部屋にも関わらず声の反響は無い。外にも言うほど漏れてはいないだろう。



「最早この半島にウェラテヌスの手が入っていない道はありません。半島に入った敵がどこにいるのか、何時頃どこに出てくるのかの予想など簡単にできます。経路を外れた奇襲も、推測が容易になり効果を最大限発揮できなくなるでしょう。


 確かに二十年前、半島はマールバラに荒らされました。

 ですが、十年かけてウェラテヌスはマールバラであれ簡単に迎撃できる体制を整えたのです。


 これまでの遠征から半島が戦場になれば、思うようにいかないことも多いでしょう。兵も減るでしょうし、味方も減ります。そのことすら想定した作戦を立てているのです。


 八万の兵など必要ありません。

 訓練された二万で十分です。

 そして、半島の全てを知り尽くしているのは父上と私を除いて他にはおりません。


 兵の命も、物資も財も。全てを守るために。私に軍事命令権を願います」



「そうか」

 冬の川のような声だ。

 もちろん、ひるむようなマシディリでも無い。

 のんたり、とサジェッツァの視線が持ち上がる。


「そこまで言うのなら、エスピラに頼むべきだ。エスピラが本気で動けば、私ではどうしようも無い。マシディリの実父はそれだけの実力者だ」


「だからこそ、私を後押ししたと言うサジェッツァ様の功績になるのではありませんか?」


 エスピラと喧嘩する気は無い。

 しかし、義父との関係もまたマシディリにとって重要になってくる。師匠筋の門下生たちを吸収しようとしている今なら、余計に。


「残念だが、私の意思は変わらない。マルテレスは半島外で迎撃する。イフェメラと同じように」


「サジェッツァ様」


「マシディリ。お前は師匠に余計な汚名を負わせたいのか?


 半島に攻め込んでしまえば、マルテレスは反逆者として未来永劫恐怖の象徴として語られる。しかし、半島外で終われば恐怖の象徴では無い。悲劇の名将だ。


 長らく元老院の第一人者であった身としても、半島を恐怖に陥れるわけにはいかない。マシディリ自身が言っていたな。半島が戦場になれば味方が減ると。そうなってからでは遅すぎると何故思わない。


 だから、必ず半島外で迎撃する。

 三万の兵力は説得のための時間稼ぎだ。最早エスピラ以外に適任者はいない」



 ぐ、と拳を握る。

 愛妻に毎朝確認されているため、爪が刺さる感触はあまりなかった。


「ラエテルを、説得に利用していることがべルティーナに露見しましたよ」

「それがどうかしたのか?」


(『どうかしたのか?』)

 一気に膨らませた肺を、落ち着かせるように徐々に収めていく。


 知らないのだ。サジェッツァは。予言のことを。


 だから、祖父を死なせる手伝いを孫にさせているなんて言う自覚は無い。だとしても、孫を利用していると言う負い目ぐらいは無いものなのか。


「ラエテルはべルティーナに知られると不味いと思ったのか、私にだけ伝えてくれていました。ラエテルですらそう思うことを、何故サジェッツァ様が分からないのでしょうか」


「ラエテルはウェラテヌスとアスピデアウスの血を引く者だ。何も問題は無い」


 奥歯を噛みしめ、顎を引く。

 サジェッツァの視線がマシディリから外れた。


「ウェラテヌスならばと言う意識は民の間に醸成されつつある。アグニッシモの功績だ。ようやくウェラテヌスとオピーマが手を組む危険性を無視できるようになったとも言えるな。

 最早障害は無い。

 私はエスピラを呼ぶ。これは決定事項だ」


 淡々と紙を用意するサジェッツァを前に、マシディリは再びゆっくりと腹からの呼吸を繰り返す。


 決定事項。

 確かにそうかもしれないが、それはあくまでもサジェッツァの中では。元老院の決定では無い。


「半島外での戦略も、あります」


 サジェッツァの目が戻ってくる。しかし、熱量は無い。一応聞いておくかと言った具合だ。



「私が財務官時代に作った植民都市群とクルムクシュで蓋をし、マルテレス様を封じ込めます。それから、ウェラテヌスの船団を用いてプラントゥムの各所を襲撃、補給線を寸断し、オピーマの船団を使用不能に追い込みます。


 その状態で、マルテレス様には越冬していただきます。

 冬を越せば、こちらからプラントゥム各地に攻撃を仕掛け、内部からオプティマ様やサジリッオ様に呼応していただき、一気にプラントゥムを制圧する。


 無論、その間もマルテレス様は閉じ込めておきます。

 植民都市群とクルムクシュ周辺に作った防御陣地群で。


 突破のためにはどちらかを攻めるしかありません。ですので、待ちの戦法で十分です。戦う必要があるのは、封じ込める地に押し込めるための一度。その一戦に全力を傾けた後、国力差ですり潰します」



「防御陣地群をつくるだけの時間をマルテレスが待つとは思えないな」


「小競り合いは増えるでしょうが、こちらは将の質で勝っています。誰かがマルテレス様とやり合って時間を稼ぎつつ、他の誰かの戦線で勝利を収めてマルテレス様の軍団を下げていく。

 八万の兵力を動員することにはなりますが、兵数でも勝る状態であれば十分に時間は稼げます。

 資材は、非常に食いますが」


「その作戦こそマシディリである必要が無いな」


 自分よりも父の方が適任だとは、マシディリが一番良く分かっている。


 父ならば使える将の数が多いのだ。

 グライオ、ルカッチャーノ、もしかするとスーペル。マルテレスとの戦いでも時間稼ぎ異常が出来そうな人材が三人も増えるのは、大きな違いである。


「マシディリ。私はマルテレスと君が戦うのは反対だ」


「何故でしょうか」

 思ったより平時に近い声が出たな、とマシディリは他人事のように思う。


「まだ若いからだ」


 寄った眉間を、意味が違う、とほぐし。

「言葉が足りないかと」

 先よりもやわらかい声で、確かめる。


「その年齢でこれだけの名声と地盤を持つ者はそうは現れない。私が三十五で独裁官になった時も、結局は色々と縛られた状態だったが、マシディリが四年後に独裁官になるようなことがあれば、それは名実ともに独裁官らしい独裁官になるだろう。

 それほどの人材を、失う可能性が高い戦場には送り込めない。

 これは私とエスピラで片を付けるべき問題だ」


 拳を硬くし、解き、また硬くなりつつある拳に対して脱力を試みる。


「父上に対して、死ね、と言っているようにも聞こえますが」


 声は意識してゆっくりと。荒げず。抑揚をつけない方向に落ち着かせて。


「エスピラなら何とかする。私は、幼い時からエスピラの可能性を信じて来た。信頼は今も変わらない。エスピラなら、マルテレスにも勝てる。誰かが尻を叩かねばならないのが、少々面倒くさいところだがな」


 そんなマシディリに対し、サジェッツァはあくまでも淡々とし続けていた。

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