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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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剣と呼ばれる者 Ⅱ

 アグニッシモは騎馬移動。物資等は考えていない。目的は、アスフォスらを個人として討つこと。


 マシディリがそれを把握したのは、クイリッタからの連絡が届いてからだ。海で来た、と言うことは、クイリッタは陸地では追いつかないと判断してのことだろう。


(そうであるならば)

 時間は無い。だが、出来ることはある。


 マシディリは、執務室を辞して足早にウェラテヌス邸への帰路に着いた。会議自体は纏まらずに終わるだろう。ティツィアーノとファリチェの主張が食い違っているのだ。無論、これで両者が歩み寄るかどちらかを説得し終えるのなら、それもそれで構わない。


「あら。どうかしたの?」

 家に入った瞬間、マシディリの顔が少しばかり緩む。余計にべルティーナの眉が怪訝そうに寄った。


「アグニッシモが喧嘩のために北上しているのですが、アスフォスに合流すると言う噂も流れているようでして」


「それは、良くないわね」

 べルティーナの表情が一瞬で切り替わる。

 マシディリは、そんなべルティーナの腰に手を回し、愛妻の体を反転させてから家の中へと上がった。


「ですから、アスフォスとの合流の噂を払しょくしようと思います」

「良いの? 軍事命令権の拒絶をされているからと言う疑念だけでは無く、オピーマと手を取り合うことを期待している方もいると思うのだけど」

「構いません。全ては、アレッシアのために。国を割るのは愚か者のやることですから」


 少なくとも、アスフォスと手を取り合う未来を描けるほどマシディリは大人では無い。

 マシディリ自身はそう思っており、他のウェラテヌスの者も建国五門の者も思っていることだ。


「時間がありませんが、アグニッシモ達にパンを配ろうと思います。それから、配らうことを伝えるために人を広く展開し、アグニッシモには此処に寄ってもらいます」


 べルティーナ、と愛妻の名を呼ぶ。

 はい、とべルティーナが立ち止まり、やや視線を上げてマシディリと目を合わせてくれた。


「先頭に立ち、パンを配ってもらえませんか?」

「ええ。任せて」


 頬に当てられた細指が力強さをマシディリにくれる。

 直後に愛妻がつま先立ちになったのか、距離が無くなった。


 僅かな時間でべルティーナが離れる。


「私も、パンをこねた方が良いかしら?」

「…………個性的になりそうですね」


 べし、と腕を叩かれる。べルティーナの頬は膨らんでいた。睨むように見てきている目は、でも愛嬌に溢れている。


「知っているわよ、それくらい。ウェラテヌスが深く関わっているってわかりやすいと思って提案しただけなんだから。もうっ!」


(ウェラテヌス)

 アスピデアウスの娘だと胸を張り続けている妻が、自分が関わることでウェラテヌスが深く関わっていると証明できると思ってくれていることが、マシディリには何より嬉しかった。


 ただし、実行は慎重に。

 アグニッシモの悪友達にべルティーナが不器用なことを知っているかをべルティーナや奴隷から聞き取り、その上で判断するのだ。べルティーナの名誉のためだけでは無く、べルティーナの可愛さをあまり多くの人に知られないために。独占欲である。


 その手配が終われば、紅色のペリースを取り出した。

 昔使っていた物だ。今はドーリスからなんだかんだで五着も送られてきた緋色のペリースを使っている。


 即ち、色が似ているが違うペリースだ。加えて、紅色のペリースをマシディリの前に着用していたのはヴィンド・ニベヌレス。グライオがトュレムレに拘束されていた時の父の右腕。


 これを送る意味が分からない者ばかりでは無い。

 アグニッシモは、きっと言語化まではいかずとも直感的に近いところは理解してくれる。


 それは、最早信頼と確信だ。


 各地に張ったウェラテヌスの情報網を以てしても、使者とアグニッシモが接触した以上の情報が無いのも、アグニッシモが急いでいるから。


 だから、アグニッシモは必ず来る。

 そして、来た。

 馬に乗ったまま。先頭で。


「兄上!」

 手を挙げたアグニッシモに対し、マシディリはそのまま行くようにと左手で示す。アグニッシモは小さく首を傾げた。そんな馬上の弟にもはっきりと見えるように、マシディリが紅色のペリースを取り出す。


「派手に行こう、アグニッシモ」


 丸めたペリースを、馬上に投げ渡した。

 アグニッシモが両手を放してペリースを受け取る。


「兄上」

「愛弟に、戦の神と運命の女神の加護を」

 アグニッシモの顔が一気に花開いた。

「ウェラテヌスに、沈むことの無い太陽を」


 本来ならば掛け声の後に続ける音頭。

 しかし、発したのはそこだけ。


 マシディリは、すぐに駆け去っていく弟の背中を見送った。遅れてアグニッシモの悪友達や見慣れた顔、見慣れない顔が続いていく。総数は五百を超えていくだろうか。


(随分と集まりましたね)

 元老院から届いた追及の手紙を折りたたみながら、マシディリは次の手を打つ。


「マンティンディ」

「はいさ」

 少し気安くなってきた信頼できる高官が、声とは裏腹に片膝を着いて頭を垂れる。


「ジャンパオロ様に伝令を頼みます。崩れた群体が賊に変わりますので、ナレティクスの権限で以て討伐を願います、と」


 ナレティクスの監督地、テュッレニアは北方にあるのだ。

 アスフォスらは現在、北方でテュッレニアとも少し離れた場所に集まっている。南にはほどほどの山。山の先にはマールバラも越えて来た湿地帯。


 普通の速度なら、地形による行軍速度の低下によって奇襲を受けずに済む位置。テュッレニアとも少しの距離があるのは、ナレティクスら建国五門からの攻撃を防ぐため。同時に、集まり具合によっては先にテュッレニアを潰すことも考えているのだろう。


 そうなれば、更なる兵力増強先は北方諸部族。


「グロブス」

「はい」

「タルキウスの動きを探ってきてください」

「かしこまりました」


 後は情報をまとめ、戦略をしっかりと練り、再度義父に軍事命令権の提案をするだけ。


 その準備をしている内に、アグニッシモが戻ってきた。

 早すぎる帰還だ。出会ってから、僅か十六日。行って帰ってきただけのような時間。


 違うと証明しているのは、アグニッシモや馬の汚れでは無く、後ろに居並ぶ数々の棺桶だ。それなりに立派なのは、その内の四つ。


 その一つ一つを確認するように、クーシフォスが蓋を開いた。


 一つ開けるごとに、手が震えているようにも見える。

 一つ開けるごとに、次へと行く速度が落ちていった。


 最後の一つを開ければ目を閉じ、棺桶のへりに手をついて。クーシフォスが、大きく息を吐いた。


「間違いありません」

 その言葉に、マシディリの隣にいたパラティゾが目を閉じる。呼び出された形のサジェッツァに変化は無い。アルモニアは、唇を巻き込んでいた。


「弟達、マヒエリ、アスフォス、プノパリア、プリティンです」


 言い切ったクーシフォスの表情は硬い。

 でも、恨みなどは見て取れなかった。目に膜も張っていない。背筋を伸ばし、ただ呼吸がいつもよりゆっくりとしている。


「最期は?」

 冷酷にも聞こえる声は、サジェッツァのモノ。

 顔が下がり気味だったアグニッシモが、睨むようにサジェッツァを見た。一瞬で下がったのは、睨むつもりは無かったと言う意思か。それとも。



「最初に前に出てきたのは、マヒエリで、だったので、先に殺しました。頭をかち割ると誰かわからなくなると思ったから、まず足を潰して、背中から。


 次がプリティンで、昔話をしてきたと思ったら珍しい甲虫を捕まえたから見逃してくれとかも言ってきてて。隙だらけだったので首をへし折っておきました。魚なら腹も膨れたのに。


 で、多分三番目はアスフォスかなと思ったら、アスフォスは逃げていて、ルフスの当主であるはずのプノパリアが挑んで来たから。一騎討ちを所望されたので答えました。頭をかち割るのが速かったけど、それだと分からなくなるから。腹を突き刺してオーラと一緒に上に少し上げて。なので、穴ぽこです。


 アスフォスは逃げてました。足に石をぶつければ転んで、懐かしい話をしてきて。そうだねって俺も応えて。本当に懐かしくて、昔はただ遊んでいたなあ、と思いながら、首に穴を開けていました」


「一番抵抗していたのは、プノパリアですか?」

 抑揚の無い質問はルカンダニエから。


「はい。纏めていたのもプノパリアで、多分、プノパリアが死んだからすぐに崩れたんじゃないかなって。思ってます」


 ルカンダニエがアグニッシモに小さく頭を下げ、その後に元老院議員の方を見た。いや、視線は、既にマシディリに固定されている。


「ルフスに対し、国家の敵の認定を行いますよう、具申いたします」

 頭の位置を低くするルカンダニエに対し、マシディリはまっすぐに見下ろした。


「議会の開催を願います。その場で、発議いたしましょう。それから、ファリチェ。民会はすぐにでも開いてください。民会に、ルフスに対しての見解の早急な提出を求めます」


「かしこまりました」

 ファリチェが『マシディリに従い』、去っていく。

 アルモニアもすぐに動き出した。


「アグニッシモ。宿を抑えてあるから、そこで皆を休ませてあげて。あくまでも私闘だから褒美は与えられないけど、労うくらいはできるからさ」


「はい」

 その返事だけで、うつむき加減の弟が去ろうとする。

 歩幅は変わらない。でも、表情も何一つ変わらず、背筋も伸びてはいないのだ。


「アグニッシモ」

 故に、マシディリは去り行く弟の腕を強めに掴んだ。


 抵抗はない。暴れもしない。

 ただ、アグニッシモの足が止まる。


「私は、何があってもアグニッシモを守るよ」


 やっと視線が合う。

 しかし、表情は暗いまま。


「守るのは俺の方だ。俺は、兄上の剣になると決めたんだ」

「それで?」

「剣に、感情は要らないでしょ」


 ぐい、と腕が引っ張られる。

 アグニッシモが歩くことで強引にほどこうとした結果だ。


 無論、マシディリは放したりはしない。


「兄上」

「確かに」

 強く言葉をかぶせる。

 それから、表情もやわらかくして続けた。


「たいていの剣に感情は無いだろうね。でも、私はそこらにある感情の無い剣よりも感情のある剣の方が欲しいよ」


 アグニッシモの目が大きくなる。

「あにうえ……」


 手を伸ばし、やや乱雑にマシディリがアグニッシモを撫でる。

 背丈で言えばマシディリとアグニッシモは同程度。だが、この日はマシディリにとって非常に撫でやすい位置にアグニッシモの頭があったのだった。

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